拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

クライバーが乗りたかったのは馬ではなくロールス・ロイスだった。

2021-05-22 22:14:40 | 音楽
ちょっと前の記事に、クライバーがベルリン・フィルとのコンサート前の顔合わせのときに「私は、皆さんの乗り方を学ばなければなりません」と言ったと書いた。書きながら思った。これってもしかして、指揮をする(ライテン)と、馬に乗る(ライテン)をかけたの?思いっきりはずれた。指揮をするは「leiten」であり、馬に乗るは「reiten」である。ちょっと言い訳をさせてほしい。ドイツ語学校で「馬に乗る」(reiten)など習わなかった。もし、習っていればこのような間違いはしなかった。ドイツ語のlとrの違いは大きい。じゃあどこで「馬に乗る」(ライテン)を知ったかと言うと、それはサルツブルク音楽祭でよくオペラが上演される「フェルゼンライトシューレ」の「ライト」である。これが「乗馬」の意味だと聞いていて、だが、日本語でしか聞いたことがなかったので、lとrのどっちであるかが分からなかったのである(「フェルゼンライトシューレ」は、岩場をくりぬいて作った乗馬学校跡に作った劇場である。映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも出てくる)。とにかく、指揮をする(ライテン)と、馬に乗る(ライテン)が違うことは分かった。では、クライバーはどっちの意味で言ったのだ?(疑問は続くよいつまでも)そうだ、うちにドイツ語で書かれた分厚いクライバーの伝記があった。普段、ドイツ語では童話しか読まない私にとって高いハードルであるが乗りかかった船だ。調べてみよう。1994年のベルリン・フィルとの2回目のセッションに関する記述からは答えは見つからなかった。1989年の1回目のセッションに答えがあった。クライバーはベルリン・フィルの団員に対して「Ich komme mir vor,als hätte ich einen Rolls-Royce vor mir und kenne die Gebrauchsanweisung nicht.」(私は、目の前にロールスロイスがあり、その使い方が分からないような気分だ)と言ったのである。すると、「乗る」対象はロールス・ロイス=車であって馬ではなかった。「指揮」の「leiten」も言ってなかった。つまり、どっちの「ライテン」も関係なかった。私の想像は大はずれ。しまらないので、ひとつ四方山知識。クライバーのファースト・ネイムは、もともとはカールであった。それが、超世界的指揮者の父エーリヒ・クライバーがナチスをきらって南米に移ったとき、息子のカールも同行したのだが、その地で南米っぽい「カルロス」に改名したのである。因みに、父エーリヒは小さい人だったが、息子カルロスは高身長のイケメンである。カルロスは、お母さん似でよかったね、って話でおさまっている……

弓子が来た

2021-05-22 10:03:03 | 音楽
まず、昨夜の続きをちょっこし。広末涼子は高知県出身。高知県と言えば四万十川。行きたい。次の「募集地」(「愛の逃避行」の目的地)は四万十川にしよう。だが、これまでの募集はすべて空振り。下手な鉄砲数撃ちゃ当たると言うが、ウソである。イワシの群れにつっこむ大型魚のでかい口に一匹ぐらい入りそうなのに入らないのを見ても分かる。それから、NHK。チコちゃんで鮨の話にかこつけて戦後の「飲食営業禁止」の話を持ち出したのは、現在の「禁酒法」に対する密かな抗議だろうか。そのNHKで商品名、会社名を言うのはタブーなのだが、アサイチで視聴者からのお便り紹介で「○○県の黒霧島さんから」と紹介していた。発信者のペンネームならなんでもいいのだろうか。なら「○○県の真っ赤なポルシェさんから」もOKなのだろうか(山口百恵は、「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」に変えて歌ったそうだが)。ということで、ここからが本題。弓子が来た。弦子を奏でるためである。弓はヴァイオリン本体の半分くらいの価格がよいと聴くが、中古で買った弓子の新品価格は本体のヴァイオリンとほぼ同価格。本体が言えないほど安いからである。それでも、なんだか私、上手くなった気分。だが、これは明らかに錯覚である。それでも錯覚は大事だ。錯覚のおかげで張り切って練習をすればホントに上手くなるかもしれない(ひょうたんからコマ)。私は褒められて伸びる(調子に乗る)タイプである。一般論だが、錯覚というか、思い込みはたしかにある。かのホロヴィッツが来日したとき、吉田秀和氏などは「ひびの入った骨董品」と評したものだが、会場でNHKのインタビューに応じた聴衆などは「素晴らしかった」と感動のご様子。ホロヴィッツ=素晴らしいに違いない、の思い込みである(それはそれで、聴いたご本人は幸せなのだからよいだろう)。逆もある。オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の冒頭に裏でテナーがシチリアーノを歌うのだが、あまり有名でない歌手が歌って一つも拍手が起きないので、ある日マリオ・デル・モナコが名前を伏せて代わりに歌った。やはり一つも拍手がおきなかったそうである。そこへ行くと、競馬はリアルだ。名声があっても負ければこてんぱんに言われるし、逆に、しんがり人気でも優勝すると一夜にしてスターである。さて、来るものだがあれば去るものもある。先代弓子は「楽器墓場」「座敷牢」等々の異名を持つ押し入れの奥で、以後悠久の眠りにつくのである。ここには既に何人かの先住者がいる。先代の弦子、B子、A子である。因みに、「弓子が来た」と書いたが、「○○が来た」で思い出すのは「ペギラが来た」。ペギラは「ウルトラQ」の中で一番好きな怪獣である(三白眼のペンギン怪獣である)。それから「夏が来た」。故皆川達夫先生の中世音楽合唱団の演奏会の最後に聴衆全員が参加してこの歌を輪唱する。私は、テナーで歌うべきか、カウンターテナーで歌うべきかいつも悩んでいた。お友達にはだいぶ慣れていただいとはいえ(たまに男声で歌うと、そっちの方がびっくりされたりする)、まだまだ一般にはカウンターテナーは奇っ怪な存在であると自覚しているからである。