拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

優しさが怖いワケ

2021-05-15 19:59:15 | 日記
「神田川」のことを書いたついでだ。この際、疑問・感想を一挙に吐き出してしまおう。この歌の作詞をした人(男性)は早大時代に実際に同棲をしていて、そのときの経験を詩にしたそうだが、一人称は女性である。すなわち、相手方の女性の立場になって、思い出を綴ったものである。だから、「待たされた」と書いた人が実際は相手を待たせていたのである。その待たせた理由というのが、その銭湯では鯉を飼っていて、その鯉にエサをやっていた、ということだそうだ(史実)。鯉へのエサやりで待たされて、「洗い髪が芯まで冷え」たのだからたまったものではない。風邪をひいたらどうする、って話である。ところで、その「待たされた」ってとこ、音の付け方のせいで「まあたあされた」と聞こえる。子供の頃、ここんとこを聴いて、「待たされた」ようでもあり、「まったされた」ようでもありで、いまいちピンと来なかった。両者は似ているようで微妙に意味が違うと思う。「待たされた」は待ち人がなかなか現れないのに対して、「まったされた」はやろうと思っているのを止められたイメージである。とか言いつついよいよ曲も最終盤。歌詞の最後で「ただあなたの優しさが怖かった」と言っている。これが最大の疑問である。どういう男が好きか聞かれて少なからぬ女性が「優しい男が好き」と言う。なのに、優しさが怖いとはどういうことだ。想像(妄想)してみた。その1。優しい顔をして、ホントは私を外国に売り飛ばそうとしてるのかもしれない。だから怖い。その2。こんなに優しくしてくれるのに自分は浮気をしている。最後の審判できっと神様に怒られる。だから怖い。その3。優しい人に限って怒ると怖い。だから、自分の浮気がばれたときが怖い。その4。優しそうな顔をしているけど、よく見ると目が怖い等々……こういう妄想しかできない自分が怖い。まっことワタクシはダメンズ。だが、女性の中には、好きなタイプを聞かれて「ダメンズ」と言う人がいるらしい。朗報である。世のダメンズウォーカーに超お奨めの物件がある。それはワタクシである。

神田川のヴァイオリン

2021-05-15 09:04:00 | 音楽
似た感じのさだまさしと南こうせつのうちヴァイオリンを弾くのはさだまさしである。ヴァイオリニストになるために子供の時分に上京したって言うんだから本物である。だが、南こうせつにもヴァイオリンのイメージがあるのは「神田川」のイントロとサビで切々と歌うヴァイオリンのせいだろう。だが、この曲との出会いは最悪だった。中学3年のある日、クラスメイトが発売されたばかりの歌謡曲のレコードを学校に持ってきた。プレーヤーは音楽室にある。だが、授業以外では普通は使えない。そのとき誰かが、私が頼めば音楽の先生の覚えがめでたいから使わせてくれるんではないか、と言い出した。それがクラスの総意になった。それで、しぶしぶ頼んでみたらあっさりOK。それが「神田川」だった。「へー、イージマ君もこういうの聴くんだ」と音楽の先生は言うし、クラスメイトは「ほらやっぱり」と味をしめ、次の日は、今度はビートルズのレコードを持ってきた(「Help」と「You've Got To Hide Your Love Away」)。私の好きな曲ではあったが、やはりいやだった。今で言えば、コネを利用してワクチンを早く打つ感じである。だから3回目は断って、以後、そういうことはなくなった。そんな出会いだったら「神田川」にはいやなイメージがまとわりついた。だが、ヴァイオリンのメロディーは好きで耳コピでよく弾いたし、そのうち大人になると、歌詞の意味にも惹かれるようになった。そう言えば、歌詞に「二人で行った横町の風呂屋」が出てくる。それで思い出す話がある。学生時代、某美男と某するめ美女は密かに付き合っていた(このことを知っているのは私だけである。某するめ美女から聞いた。因みに、某美男とは私のことではない。このような注意書きを書くことについて二説ある。第1説。美男と言ったら私だから「違う」と言っとかないと誤解されるので書いたとする説。第2説。美男と言ったら私じゃないことは当然だから、これは当然のことを注意的に記した「注意的注釈」であるとする説。それから、「するめ美女」とは、最初はあまり印象がなかったのに見れば見るほど味が出てくるするめのような美女のことである(今作った。当初、「よく見たら美女」と表現しようと思った)。その某美男と某するめ美女がある日銭湯に行った。予め、某美男が出ようと思ったら女湯に聞こえるようにミサ曲の先唱を歌うという取り決めをしたそうだ(ルネサンス期においては、ミサ曲のグローリアやクレドの冒頭だけは、グレゴリオ聖歌をソロで歌う。それを先唱と言う。♪グロオリア(ソラドドド)、インネクシェルシス(シドレシ)デエエオ(レドシシ)って具合である)。だが、某するめ美女が待てど暮らせど男湯から先唱は聞こえてこなかったそうだ。だが、某美男は、後で、歌ったと言い張った。想像するに、某美男もいざ歌おうと思ったら他の人の目が気になってぼそぼそとしか歌わなかったのだろう。今、「神田川」は、聴くたびにいい曲だなぁと思う。因みに、A合唱団の練習で、西戸山生涯学習館に落合駅から向かうと途中で神田川を渡る。春は桜がきれいである。それから、「神田川」が流行った当時は、「同棲」という言葉は神秘で淫靡で憧れの言葉であったが(水戸黄門の入浴シーンでおなじみの由美かおるが主演した「同棲時代」という映画もあった)、今では、籍を入れる前に同棲するのが半ば普通のことだそうだ。考えてみれば、私とケメ子とワサビだって同棲である。しかも三角関係である。