拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

クシコスの郵便馬車

2021-05-12 05:25:11 | 音楽
先日の某美女の門下生の発表会の話の続きである。「クシコスの郵便馬車」を弾いた子がいた。演奏者は自分で曲目紹介をするのだが、その子は「運動会でおなじみ」と紹介。おお、たしかに半世紀前にそうであった(あるいは、10年後に息子又は娘の運動会でワタクシが徒競走に出るときに聴くのかもしれない(妄想))。聴く。懐かしい。ん?(移動ドで)♪ソラシドレドレシドレミファソファソミ……これって、リストのハンガリー狂詩曲第2番じゃん。どういう関係なんだろう?そもそもこの曲ってどういう曲?ということで捜索開始。作曲者はドイツ人のヘルマン・ネッケなのだが、まず曲名について一悶着。原題は「Csikós Post」。「Csikós」はハンガリー語で「馬に乗る人」。「Csikós Post」全体で「郵便馬車」を意味するって説と、「馬の曲芸乗り(二頭の馬の背中に立って、前の二頭を操る)」を意味するって説がいる。いずれにせよ、「クシコスの……」とういう邦題は「Csikós」を地名と勘違いした言い方なので、今日では「チコーシュ・ポスト」と言う人が多いのだそうだ。ところが、無償の楽譜サイトのimslpのネッケのページに「Csikós Post」が見当たらない。それもそのはず、この曲は「Klänge aus Ungarn」(ハンガリーの響き)という曲集の中の一曲であった(この重要な情報がWikiのこの曲のページにないのは大問題である。この情報は、かろうじて、作曲者についての英語のページにある)。しかも、imslpにはその第2集のみがアップされており、その中に件の曲は入ってない。だから、imslpではこの曲の楽譜をDLすることはできない。だが、この曲とリストとの関係はすぐに分かった。ネッケがパクったのである(言葉が悪いかもしれない。「旋律を借りた」「オマージュを捧げた」等々の言い方があるが、でも「パクった」が一番分かりやすい)。「ハンガリーの響き」という曲名を付けるくらいだから、ハンガリー特集であり、だからリストのメロディーを使ったのだろう。因みに、ネッケのこの曲で、件のメロディーが出てくる直前にイントロ的に♪ソー♯ファー♮ファーミーレードーシーラーとくるあたりはオッフェンバックの「天国と地獄」と紛らわしい。だが、「天国」の方は、カステラ一番電話は2番でおなじみだが、♪ソー♯ファー♮ファーミーレミファ♯ファソ、ときて、ソレレミレドドミファラドララソソと続く。そう言えば、私が今よりもっと壊れていた30代のある日、今はもうないP合唱団のお花見の帰りに某駅のホームで、高校の同窓のTs女史と一緒に「カステラ一番」を歌いながらカンカン踊りを踊ったことがある。アラフォーは壊れがちなお年頃である。某美女の門下生の発表会に戻る。ショパンの夜想曲を弾いた子がいた。「大事な人を思い浮かべながら聴いて下さい」と言われて考えてしまった。そりゃ皆さんには大事な人がいるだろう。この子を始めとするお子さんたちには会場でわが子の成長に目を細める親御さんがいるだろう。某美女も、可憐弟子美女も、男装の麗人美女も、いずれもご夫君が客席で見守っていた。あるいは、80代で歌を歌われた方もいらしたが(ちゃんと高音を出されて感嘆した)、この方を見守ったのはお子さんやお孫さんだろう。しかし、ワタクシの場合、母はボケて既に私のことが分からないし、妹とは何年も会ってない。その娘(私の姪)とは、20年近くである。ほぼほぼ天涯孤独になったワタクシであるが、唯一……ではなく唯二、猫がいた。だから、ショパンを弾いた中学生だか高校生だかの将来の美女には「大事の人や猫を思い浮かべながら聴いて下さい」と言ってもらえたらなお良かった。余談を二題。その1。「クシコスの郵便馬車」を運動会のどのシーンで聴いたか覚えてないが、題名と曲の感じから騎馬戦が相応しいと思う。だが、騎馬戦って危ないからって今やってないの?その2。映画「オーケストラの少女」で、ストコフスキーが失業オーケストラを振るきっかになったのがリストのハンガリー狂詩曲第2番である。私、小学生の頃、電蓄(電気蓄音機)でこの曲のSP盤のレコードを聴いてから学校に行くのが常であったが、その演奏がストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団だった。ミーハーの父が映画の影響で買ったレコードであったろうことは明らかである。