麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第189回)

2009-09-20 22:12:18 | Weblog
9月20日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今週も、引き続き本代による破産危機です。
ついに、というか、まったく予想外というか、平凡社ライブラリーから、蒲松齢の「聊斎志異」が発売されました。全6巻のうち、今回は第1~2巻。一冊1500円。高いけど、これを買わずにすますことはできません。今週はかなり、めしを食うための仕事がいそがしかったのですが、寝起きと寝る前の時間で、すでに300ページ読みました。

おもしろい。おもしろすぎる。
読み始めると止まりません。以前通読した角川文庫の柴田天馬全訳は、これもすばらしいのですが、再読するには、紙は茶色くなっているし、活字も小さいしで気が引けます。かといって岩波文庫の抄訳は、訳文があまり好きになれないし、なにより作品の選び方がちょっとまじめすぎておもしろくない。てごろな文庫で何度も読めるようにならないかなあ、とずっと思っていました。今回それが実現してとてもうれしいです。
読んだことがないという方は、ためしに1巻だけでも読んでみてください。たぶん、やめられなくなると思います。



コンラッド「闇の奥」、読了しました。20年ぶりくらいです。正直、昔読んだときのほうが感動しました。結局クルツもまた、若者だけが思い描くことのできるヒーローではないか、という気が今回はしました。また、「整然とした文明社会に生きる、洗練された都会人」であるという作者の自己意識が強いからこそ、その目には怪物と見えるクルツを創造したのだろうとも思います。でも、東洋の島国の貧民階級に生まれた人間は、もとから作者の考える未開人に近いところも多いので、クルツをそれほどの怪物とは感じられないのでしょう。なによりも、クルツはある意味芸術家であり、芸術家が本当の怪物になどなれるはずがありません。芸術家が怪物になれると作者が考えている時点で、すでに若者の考えだという気もします。いずれにしても、「青春」のほうが、まっすぐでよい作品だと私は思います。

やはり、私が考える怪物的な人物像は、ニコライ・スタヴローギンにつきるといえます。もしくはドン・キホーテか。いずれも芸術家の創造したものですが、どちらも芸術家ではありません。狂人です。



では、また来週。
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