麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

ノートから

2007-02-04 17:53:05 | Weblog
ソクラテスは、わりとふつうの人だった。
彼は、国家を馬に例え、自分を馬の尻を刺すアブに例えたが、ソクラテスにとっては、世間がさしてなんの哲学も持たずに存続していくのは当然のことであり、自分がアウトサイダーなのは了解ずみのことだった。
だからこそ、死刑の判決を受けたからには、それを受け入れるのが当然と考えたわけだ。「世間は哲学も真理も持っていない。つまり誰も善悪とは何か知らない。だが、誰もがそれを知っているかのように振る舞い、その人たちが私を悪と認め、死刑を宣告した。だからとりあえず死のう」というのである。『パイドン』では、「なぜ死ぬことが楽しみなのか」が感動的に述べられるが、ソクラテスがそれを信じていたかどうかはわからない。死を受け入れたこと自体が大いなる皮肉のようにとれなくもない。
 その師の言行を原稿に置き換えたプラトンは、おそらく最初は、ソクラテス(=アイドル)の姿を自分のためにとどめておこうと対話編を書いたことだろう。しかし、なんでも「メタ」になっていくわけで、そのうちには、書いている内容に足をとられて思想を生み出してしまった。
 これをまともに受けた、かたぶつアリストテレスは、世間での成功者になるより、「真理の王者」になるほうがかっこいいように思われたので、学問を打ち立ててしまった。
 彼がいかに浮世離れしているかは、『ニコマコス倫理学』において、「アガトン」(最高善)を知る人間は、観照生活を送る人間だという結論を出しているのを見てもわかる。
 これは、まったく変人の人生論ではないか。
 為政者や実業家はこんなやつのやっている学問を重視する必要はないはずである。むしろ、ソクラテス同様死刑にしたほうが、国としては矛盾がなかったろう。
しかし、アリストテレスは、実務にも長けていたようで、うまく金持ちに取り入って、マケドニア王の息子であるアレキサンダー大王の家庭教師まで勤めている。
痛快なのは、この教え子が、観照生活を最高とする先生について学びながら、およそ正反対な行為=世界征服に出かけたということだ。
史上まれに見る英雄も、担任の教師(アリストテレス)から見れば、その評価は、私の大学時代の成績表のごとく「G」か、せいぜい「F」だったことだろう。その意味は、こうだ。
「不可不可不可不可。いや、不可どころじゃない。『非』だ。このやろー」
 
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