麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第479回)

2015-04-19 10:54:55 | Weblog
4月19日

今昔物語集本朝世俗後半、15年ぶりくらいに読了。最高。と、近所の古本屋に行ったら本朝仏法部(角川文庫/昭和59年刊上・下)を一冊200円で売っていたので買ってきて読み始めました。現代語訳なしの校注本で、あまり速くは読めませんが、十分理解できます。いま上巻100ページあたり。聖徳太子、空海、最澄、行基など有名な聖人の伝記、というかほとんどSFといっていいくらいの仰天エピソード集です。このデフォルメは、いまなら漫画の領域でしょうね。手塚治虫は、ブッダにしても火の鳥にしても史実から大きく逸脱した(といっても史実がどれなのかもわからないわけですが)設定、表現を自由に使っていましたが、それは今昔物語などの古典にのっとった、伝統的、正統的な手法だったのだということがよくわかります。しかし、仏像や聖人の額からこれでもかと「光が出た」と書いてあるのは、世代的にはやはり、ウ〇トラシリーズを連想してしまうのでちょっとやめてほしい、などと不遜なことを感じつつ読んでいます。まあ、仏像もガンプラも根本的には同じものだと思うのでなにも不遜ではないといえばそうですが。もっといえば、ブッダ発言集(スッタニパータ他)を哲学としては好きでも、仏教に帰依しているわけでも何でもない自分にはそもそも不遜も何もないわけですが。――ちょっと感じたのは、(日本史で習った通り)物部氏が仏教に反対して天皇・蘇我と対立してついには処刑されるエピソードが何度か繰り返し出てくる(なんと馬鹿なことよ、というニュアンスで)のですが、「外国から入ってきた神をちやほやせずに日本の神を大事にしろ」という主張は、ちゃんと考えるとまったく正しいように思えますよね。きらびやかな仏像や舶来の経典のめずらしさに夢中になっている人たちは、「アメリカ大好き。アメリカこそ正義、金髪最高、ヘイヘイ」とか言っていた団塊の世代の人たちみたいでなにか軽薄なにおいもします。どうもそういう感じに反感をいだいてきた私ら「なにもない世代」からしてみると、物部氏に同情を感じてしまいますね。また、「今昔」が書かれて900年経つうちに、インドや中国の古典も、よく研究されたものが手軽に読める時代になり、それらに(ほんの一部でも)触れた人間から見ると、今昔の仏教解釈は偏っていて、およそブッダの説いたものとは違うと感じます(もちろん「大乗」だからといえばそうなのですが)。少なくとも私の感じるブッダは額から光を出すような怪人ではありません。仏法部の奇跡エピソードを読んでいると思い出されるのは、イエスの「彼らが望んでいるのは真理ではない。奇跡だ」という言葉。そうしてみると、「仏法部」も結局は「世俗部」ではないか、と思ってしまいます。
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