麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第487回)

2015-06-14 21:46:04 | Weblog
6月14日

長いこと、冒頭の、茶屋のばばあの語りの途中で挫折してきた「草迷宮」を読了しました。ラップ現象など数々の怪異の後、とうとう目の前に姿を現した化け物に、主人公が「は、は、はじめまして」とあいさつするところなどユーモアもたっぷりの小説。童話のようだと思いました。夢幻劇的な構成は「青い鳥」あたりと近いのかもしれません。もうひとつ「朱日記」を読みました。「夜叉ヶ池」同様、「自然界には人間の知らない神々の物語があり、そのやり取り(おもに神同士の恋)の結果が突然の災害の原因となっている」という解釈。と、書いてみれば、これも童話。そうしてもちろん、理想主義者は童話を書くものと決まっています。――いま読んでいる作品群は、おもに岩波の「鏡花小説・戯曲選」の第5巻と6巻の「怪異編1・2」にそっています。二冊は以前近所の古本屋で一冊300円で手に入れたもの。とりあえずここに入っているものだけは読もうと思っています。

近年、Bmが好きになりました。EmをキーとしたときのBm。若い時はC→D7→Emという(極端にいえばド→レ→ミ)わかりやすいコード進行が好きだったのですが、いまはそれが毒々しく下品に感じられる。C→Bm→Emのせつなさがたまりません。Emが心の中にすでにあるのにBmでずっとためらっている感じ。ああ。しかし、最近さらにもっとあいまいでせつない感じの進行を見つけました。Am→Bm→Emです。つまり、発端の「ド」すらラとミの中に埋没し、ぼんやりとにじんでいる。そうしてBmに進んでもいつまでも後ろ向きの感じが続いていく。ここまでくれば最後のEmは実際には弾かれなくてもいいのかもしれません。たぶんこれが私の発見した「老い」の雰囲気だと思います。
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