麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

心に更地を持て

2023-11-26 12:58:26 | 創作
 幼稚園から高校まで一緒だった友だちが何十年ぶりかに訪ねてきた。20代のころの姿のままだ。「結婚した」と言う。それは知っていた。子どももいると聞いていた。きっと幸せなんだろうな、と皮肉な気持ちはなく思っていた。しかし、なにかそう告げる彼の表情が暗い。私と彼は坂道の上で話をしている。コンクリートの歩道が雨上がりのように黒く濡れ、夕暮れが迫っている。別れのあいさつはしないまま、彼は向きをかえて坂道をおり始める。猫背で小さい後ろ姿を見て、子どものころから見慣れた彼の印象を反芻する。すると突然目の前に身長が2メートルはある白人の若い男が現れて、身をかがめながら、真剣な表情とたどたどしい日本語で私に訴えかけてくる。どうやらその男の妹が、いま去っていく友人の妻だということらしい。それなのに、友人の母親は彼に冷たいのだという。「『心に更地を持て』ということわざは、私にもわかります」と、外国人が言う。「でも、おかあさんが一度も私に会いに来ないのはなぜですか。妹夫婦のところにも一度も行ったことがないのですよ。ひどい人です」。「心に更地を持て」なんてことわざがあったろうか。それにその言葉が彼の訴えていることとどういう関係があるのだろうか。私は考える。つながりとしてはあいまいだが、「心の中に不純物を入れない領域を持て」というようなことかと解釈する。だから、友人の母親は外国人になど会えないというのだろう、と思う。いつも「おばちゃん」と呼んでいたその姿が浮かぶ。やさしい人だったが、たしかにどこか芯の通った、昔気質の日本人という印象もある。友人はおばちゃんのことを心底愛していたと思う。そう考えると、彼の表情が暗かったことは理解できる。外国人はうるさく私につきまとい、外国語と日本語をまぜてしゃべりまくる。つばが飛んできそうなほど顔を近づけてきたので私は不快になり、後ろを向く。すると外国人は、有刺鉄線を巻いた何枚かの白い十字型の板で囲われた歩道横の空き地にひとまたぎで踏み入り、またひとまたぎで柵を越え、私の目の前に立ちふさがる。柵をまたぐとき、彼の身長が瞬間、3メートルにも巨大化したのを私は見た。「『心に更地を持て』ということはわかります。それにしても……」。彼は繰り返す。その調子が、「その言葉だけは発音にも使い方にも自信がある外国語なので、自然何度も使いたくなる」という使い方のようだと感じる。夕闇の中で、私はいまさらのように、外国人の女性と結婚した友人の大胆さを思いやる。いつもおとなしく保守的だった彼には考えられない大胆な行動だと。だが、すぐに、「いや」と思う。彼には大胆なところもあった。高校一年のとき、彼が中学の同級生に告白したということを、その同級生の女子本人から聞いたときは驚いた。彼の、彼女への気持ちを知らなかったからだ。ひょっとすると彼は、自分の保守的な部分を自覚すればするほど、それを打ち壊したいと思う気持ちも強い人間だったのかもしれない。そうして実際打ち壊す勇気もあったのだ。きっとそうだ。意欲的になればなるほど「本気でやってるわけじゃないよ」という態度を気取る人のように、さっきの彼の猫背と暗い表情は、大胆さと勝利の表明だったのだ。勇気がないのはこの私だった。彼は私を心から軽蔑するためにやってきたのだ。――外国人も坂道も消え、目覚めた私は自分がみじめだった。悲惨だった。
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