鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

日本の「安さ」を変えるには年功序列制度、終身雇用制度の変革が必要である、しかし、それへの道は相当に厳しいものがある

2022-10-17 | Weblog

 17日朝のテレビ東京の「モーサテ」を見ていたら、伊藤隆敏米コロンビア大教授が「日本の円をはじめ物価が安いのは日本の企業の年功序列制と終身雇用制度にある」と語っていた。伊藤教授によると、日本の企業は永年、年功序列制度を保ってきており、いまの急変する社会の変化についていけなくなっている、ということで、これを打開するには仕事、および成果に応じた賃金制度に改めないといまのグローバルに繰り広げられている産業界の競争に勝ち残っていけなくなる、という。確かにいまの円安は日本経済を直撃する構造変化を求めてきているので、日本の企業は大幅な改革を求められている、といえよう。

 日本の年功序列制度と終身雇用制度は明治以来の日本の産業界を発展を促してきた制度で、それなりの役割りを果たしてきたことは事実であろう。しかし、伊藤教授によると、いまや日本の賃金は諸外国に比べ上がらないだけでなく、30年以上勤めて退職後の生活を保障するような制度となっており、根本的に機能不全なものとなり果てている、という。この30年日本の労働者の手にする賃金は諸外国と比べ、ずっと劣るような伸びとなっており、これが国民の生活水準を低いままにしているでけでなく、ひいては円安という結果を招くことにつながっている。

 だから、伊藤教授はいまの賃金を成した成果に見合ったものの切り替えていくことが重要で、終身雇用制度と年功序列制度にも大幅なメスを入れることが必要だ、と説いている。企業が仕事を行っていくには社内の年功序列に囚われず、それなりの能力を持った人を外部から採用し、成果に応じた賃金を払う、米国の企業が行っているような制度に切り替えていくことが必要だ、としている。日本の賃金制度はいま働いている賃金を向こう30年間にわたって保証してもらった形で、半ば積み立てているようなもので、いまの企業が置かれた状況からみて決してふさわしいものではない、ともいう。そんな積み立て金のようなものは即刻、取り崩して労働者に配分するほか、他の必要な経費に回すべきだ、ともしている。

 確かにそうなると、企業と社員の関係は常に流動的な関係になり、仕事、およびその成果で社員が評価され、果たした労働の成果でその時の賃金が決まることになり、合理的なものになるうえで、望ましいものと言えるだろう。欧米の企業はそうした体系を造り上げてきており、日本もそうした体制、制度に移行していくべきである、ということなのだろう。

 しかし、それを見ていて、果たして、日本の企業にそうしたことが一挙にできるものなのか、という疑問が湧いてきた。日本の場合は企業内でひとつの事業を行う場合、それを決定するのに合議制で決められ、遂行や成果配分などについても合議制で進められ、だれが最終決定するについてもわからないような体制で進められてきたのが当たり前だった。それを即断即決のような形で果たして進められるのか、それにし遂げられた事業の成果をだれが評価するのか、という問題が残る。それは賃金を決めることにまで及ぶことである。

 さらには事業をだれに担当させるか、ということも簡単には決まらないようにも思える。然るべき人を外部から採用するについても人事部が行うにしても最後は役員面談とか、社長面談などの手続きが必要ではないか、とも考えてくると、いろいろ問題がでてきそうである。こいう考えてくると、企業内の組織、意思決定の仕方など従来の構造も大幅に変えていかないといけないようなことになってきそうでもある。100年以上にわたって築きあげられてきた日本の企業・産業界の構造を一大変革しない、といけないのではなかろうか、とも思えてきた。ということは日本の「安さ」を変えるのは並大抵のことではない、と思った次第である。

 

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