鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

現役東大生のイメージに悪乗りした立花隆の論文にがっかりした

2010-02-14 | Weblog
 文芸春秋3月号に評論家の立花隆が「『政治家』小沢一郎は死んだ」を書いている。同じ文芸春秋誌にあの田中角栄を失脚に導いた昭和49年11月号の「世紀の論文「田中角栄研究」を書いた筆者だけにその小沢一郎版か、と期待したが、単なる随想程度の軽い内容に失望した。政治献金を用いて不動産購入に充てていて、そのからくりがいまひとつ明白でないだけに立花隆流の足で稼ぐ調査データをもとに解明いてくれるのか、との思いが裏切られた。
 「『政治家』小沢一郎は死んだ」の最大の根拠となっているのは筆者の立花隆が母校の東大で受け持っている政治学のゼミ生に対するアンケート調査である。立花隆は09年11月の東大駒場祭で配布された「2009 20歳の君へ」と題されたパンフレットで、「来年の10月3日は世界中で東西ドイツの統合から20周年を迎える」と記されているのを見て、彼らはポストウォーターキッズ一期生であることを認識し、彼らとのゼミで小沢問題を取り上げることを思いつく。立花は彼らにとって全共闘の戦士も太平洋戦争の兵士も一緒くたで、東大安田講堂事件すら知らない世代である、と前置きする。
 で、彼らにとっての小沢一郎とは「マンガみたいな政治家」(89年生まれ)とか、「きちゃない顔したおっさん。メディアに叩かれている」(89年生まれ)、「旧世代の権化」(90年生まれ)、「カネにがめついイメージが強い。とにっかうたぬき親父」(90年生まれ)、「何をやっているかわからない」(89年生)などと散々な評価となっている。
 立花はこれら東大生が社会の中心となって活躍する20年から30年後には小沢一郎は確実にいないし、立花自身も生きていないだろう、としたうえで、こうした未来のオピニオンリーダーが評価しない小沢一郎はもはや死んだも同然との理論を展開する。現役の東大生が評価しないのだから評価に値しない、という理屈は確かに一見説得力がありそうに聞こえる。
 しかし、この理論の組み立てはおかしい。東大生イコール同世代の最優秀頭脳というのはわかるが、こと政治的な問題についても同じことが言えるのかどうかは疑問が残る。単なる世論調査で東大生を対象に調査しましたというのなら成り立たないこともないが、それにしては母数がたかが10や20では説得力がない。
 本人が東大出身であるから東大を重視するのはわかるが、その東大生がこう考えるから、こうだ、という結論のもって行き方はあまりにも強引と言わざるを得ない。東大生は確かに同年の世代ではこと英語、国語、数学など学力判定の面では優秀な学力を持っていたんび過ぎない。東大生といえども一学年に3000人からの生徒があり、入学してからの勉学次第では入学当時から知力が低下している生徒がいないとも限らない。
 そんな生徒を対象にアンケートしただけで結論を導くとは立花隆といえどもあまりにも安易である。小沢一郎に対する意見はそこらの女子大学の生徒が応える内容とあまり大差ないではないか。
 確かに小沢一郎は国民に意識のうえではもはや過去の人になりつつある。あれだけマスコミで叩かれれば、極悪人のイメージが植え付けられ、世論調査では幹事長を辞めるべきだ、との声がほとんどというのは自明なことだろう。そんな風潮に悪乗りしたのが今回の立花論文だった、といえそうで、今度は沖縄などでの土地買収などにもメスを入れた本格的な小沢陸山会の解明を期待したいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする