大相撲が先ごろの八百長騒ぎで支持を失っていたのがうそみたいな人気を博している。大鵬の32回優勝の記録を塗り替えた白鵬の活躍によるところが大きいのだろうが、その人気盛り返しの裏で見逃されているようなことがある。そのきっかけを作ったのは先に記者会見で白鵬が先場所の遠藤との対戦で取り直しとなった一番を取り上げ、審判部の判定に疑問を投げかけたことにある。白鵬の物言いに対し、不遜であるとの声が方々で起きだし、相撲界で白鵬に対すし白眼視するような動きが出始めている、というのだ。この問題の行方によってはまたぞろ相撲界に対する人々の支持が離れていく危険性すらある。
白鵬にしてみれば、先場所の遠藤との取組は明らかに白鵬の勝ちであるのに、観客は遠藤を贔屓にして、突如遠藤コールが起きたことに違和感があったのだろう。行司はすぐに白鵬に軍配を挙げ、客観的に観ていた人々もそう思ったに違いない。ところが、土俵にあがった審判員は協議して、取り直しと結論を出してしまった。協会側としてはすでに賜杯の行方は決まっていたし、ここは観客に対するサービスの上から言っても「取り直し」とするのが興行的にも一番いい、とでも判断したのだろう。取り直しの一番はあっさりと白鵬の勝利に終わり、協会側の思惑とは違ったものとなったものの、遠藤のプレゼンスを高めることではそれなりの効果はあった、といってもいいだろう。
ただ、2回も相撲を取らされた白鵬としてはやりうきれない、と思ったことだろう。それに大鵬を上回る史上最高の活躍を見せているのに新参の遠藤を盛り立てる役回りをさせられたことに対する屈辱はなんとしてもぬぐえなかったことだろう。冷静に見て、日本相撲協会の白鵬に対する遇し方は給料を別にすれば大鵬に対するものとは雲泥の差があるといわれても仕方がない。まだ、記録を積み上げていく過程にあるといえばそうかもしれないが、大鵬の記録を抜いて新記録を達成したというのに、協会としてはなんら表彰もしていないし、そうした声すら起きてきていない。
さらに相撲ファンの間にはなんとかして日本人横綱を早く生み出したい、せめて日本人の優勝を達成したい、との気持ちが根強くあり、声援もどうしてもそうしたものとなる、のも仕方のないところである。そんな雰囲気は相撲を取っている白鵬にも感じられることだろう。日本の国技といわれる相撲を支えているのは白鵬らモンゴル人力士である、とはいっても相撲ファンとしてはいつか日本人横綱を待ち望んでいるのはやむを得ない心情である。
だから白鵬としては前人未踏の大記録を達成したのにそれなりの称賛を浴びたいのに、という気持ちがあるのだろう。そして33回の優勝から一体どこまで記録を伸ばしていけばいいのか、という気持ちにもなってくることだろう。となると審判部の判定にも一言いいたくもなるのも無理からぬよころである。いつか、そうした気持ちはどこかで爆発することになる。白鵬はこのままいけば親方となって弟子を育て、いずれ協会の理事長にでもあることがあるのだろうか。それとも単なる最強横綱で終わってしまうのか。一説には白鵬はモンゴルの大統領をめざしている、との説もあるが、おそらくこのままでは白鵬はいずれ日本を去ってしまうような気がしてならない。そうならないためにも日本相撲協会が白鵬の気持ちに寄り沿うようなことがあってもいい時機にきている、と思えてならない。
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