鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

一見の価値ある「硫黄島からの手紙」

2007-01-15 | Weblog
 昨年度キネマ旬報でナンバーワン作品の「硫黄島からの手紙」を観賞した。クリント・イーストウッド監督の米国の作品の割りには最初から最後までセリフはすべて日本語で、本当にこれは米国の映画?と思わせる。1945年2月19日に始まった米軍の硫黄島上陸は5日間で陥落する、と思われていたのに36日間ももった。ヒューマニズムを貫いた栗林忠道中将の戦術が功を奏したのだが、全編を流れるのは戦争を憎み、命を大切にするヒューマニズムである。主演の渡辺謙の好演が光っていた。
 「硫黄島からの手紙」は最終決戦に備え、海岸線の塹壕堀りに従事させられ、「こんな島は米軍にくれてやればいい」と放言し、上官に殴られている兵隊を指揮官といsて着任したbかりの栗林中将が「兵隊は大事にしろ、昼飯抜きくらいにしておけ」と放つところから始まる。硫黄島の指揮官を命じられた将校が拒否したため、かねて開戦反対を唱えていた栗林中将にお鉢が回ってきた、と兵士の噂話で明かす。それでも栗林中将は「硫黄島を死守して、本土への戦火が及ぶのを一日でも延ばす」ことを使命と考え、全島をくまなく自らの足で調べ、下士官の反対を押し切り、海岸での塹壕堀りを止めさせ、山の中トンネルを掘り、穴熊作戦に切り替える。
 全島視察した際に民家があり、「こんな時期に住民がいたのか」と不思議な気がしたが、2万人も兵隊がいれば多少のインフラがあったのも無理からぬところだ。栗林中将は早速、全戸の本土への撤収を命令する。ヒューマニストの面目躍如といったところである。
 頼みにしていた応援もないことがわかり、ミッドウェイ海戦での敗北も知れ渡り、いよいよ米軍上陸が間近となってくる。必死になって届くことはないと思っても家族への手紙を書く。栗林中将はお得意の絵手紙にペンを走らせる。この手紙の束が戦後見つかり、硫黄島での悲惨な最期が明らかとなるのである。
 病気で戦友を失いながら、決戦に備えている兵隊の生態が様々なエピソードで綴られる。決戦の朝、肥溜めの清掃に塹壕を出た兵士が目にしたのは海岸を埋め尽くした米軍の大艦隊で、見る者に一層の悲壮感を漂わせる。わずか2万の兵を鎮圧するのにこんなに大量の軍隊ではとても勝ち目はない。
 それでも必死に戦う日本軍。戦場の描きぶりは映画「プライベートライアン」でもそうだったが、徹底して殺戮場面を展開する。栗林中将の自決してはならぬという戒めもものかわ、次ぎから次ぎへと「天皇陛下万歳「を三唱し、手榴弾で自爆していくシーンは痛々しい。白旗を掲げて米軍に投降した日本軍兵士の扱いに困った米軍兵士がその日本兵を撃ち殺してしまう場面は「アレッ」と思わせた。
 また、一時的に捕虜にした負傷した若い米軍兵士がバロン西と交友を深めながら死んでいき、母親からの手紙「死なないで、生きて帰ってこい」との内容が披露されるところも米軍兵士も同じなのだ、と思わせるところは見せるシーンだった。
 それでも最後はほとんどの日本兵が死んでいく、悲しい映画である。こんな日本人の感情に随分踏み込んだ映画がよくも米国人の手でつくれたものだ、と感心した。見終わって、パンフレットを買って、脚本の日系アメリカ人、アイリス山下さんはじめ日本のことに詳しい人々が協力したうえで、つくられた作品であることがわかり、納得した。パンフレットの中に映画作成にあたり、栗林中将の子孫の人々や関係者に取材したことも書いてあった。東京都の石原慎太郎知事にも硫黄島撮影の許可をもらった、と書いてある。そういえば、この1、2年硫黄島に関する話題が随所で出てきたのはこの映画のもたらした影響だったのだろう。
 「硫黄島からの手紙」は一見の価値ある映画といえよう。
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