鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

肩のこらない現代劇として楽しめた「空の定義」

2008-12-12 | Weblog
 11日は東京・六本木の俳優座劇場で、俳優座公演の「空の定義」を観賞した。送られてきたDMで公演初日のハーフチケットデーを選んで行ったところ、ぎっしり満員で、始まる前の雑談を聞いていると蜷川幸雄とか、市村正親などの名前が飛び交い、どうやら劇団関係者が数多くつめているような感じだった。入場の際に配られたパンフレットに粗筋くらい出ているか、と思ったが、それらしきものはどこにもなく、ぶうつけ本番の観劇となった。
 舞台はある田舎町の画廊喫茶の店内で、丁度45度の角度で客席に広がっている。幕が開くと、2階から店主らしき老人が下りてきて、客席に座った主婦が何やら本に取り組んでいる。そこへ店の娘婿になたる若い医師が入ってきて、カウンターの前に座る。主婦が大声を張り上げて、息子の塾の宿題が解けないので、助けを求める。医者は集合論だと言って、黒板に図解して、答を導き出す。
 そこへまた、編集ライターと称するいわくありそうな男がコーヒーを飲みに入ってきて、店内のやりとりを聞きながら、しきりに飾られている絵を見入っている。そして店主が近くに来た時に海岸で大きな錨を足で蹴っている少女の姿を描いた絵を指差し、「この絵は値段がついていませんね」と言って、作者の名前を聞く。店主は「忘れてしまった」ととぼける。
 どうやら、店主の娘で若い医師の奥さんはいま妊娠3カ月で病院へ行っていて、帰りに夫婦そろって久し振りに実家の様子を見に寄ることになっている。ところが、娘は米国へ研究のため留学に行きたい希望を持っており、夫とその話がつかないので、言い合いになってしまう。
 そんななかで、店主には新しい連れ合いが見つかり、数カ月前から2階で同居を始めたことが娘夫婦にばれてしまう。店主には30数年前に妻がいたが、娘が2歳の時に革命に命を捧げるのだ、といって出奔してしまった。ライターの男が聞いた絵を描いたのもその妻だった。店主の老後を心配していた娘夫婦は喜び、たまたま来ていたとして紹介され、最初はぎこちない状態ながら、家族そろって食事に出かけよう、ということになる。
 バタバタしているうちに一瞬、店内に娘といわくありそうなライターの男だけが残り、2人は往時の学生運動や革命の話をし、いまでも革命は終わらないようなことを言う。娘も母親の関係からか、一時は往時のことを調べたこともあって、詳しく男に食い下がり、熱を帯びた革命論議が展開される。それも束の間で、ももなく男は店から出ていく。
 そうこうしているうちに予約しようとしたレストランがふさがっていて、店内で結婚のお祝いパーティをすることになり、その準備をしているところへ、常連の人がライターの首根っこを押さえ、「警察を呼んで下さい」とい言って入ってくる。聞けば店の2階の様子を窺っていて、挙動不審だ、という。念のため、カバンを点検すると、なかからナイフなど物騒なものが飛び出てきた。テロリストか、と店内が騒然としたところ、店主の新しい連れ合いがそれまでの大人しい物腰から一転、「私に話があるのですね」と凄む。
 舞台は暗転して、まず常連に出ていってもらい、みんなに素性を元革命の闘士で、娘の母親だ、と明かす。男は革命の遂行のためにアジトを確保したいので、協力してほしい、と求めるが、女はきっぱりと断る。男はすげなく店を出ていき、残った家族は30年前に戻って撚りを戻そうとするが、娘は承知しない。最後は頭を下げて謝り、母親は出ていく。
 店主は当時の状況を回想を交えて話すが、娘は納得しない。そのうちに娘夫婦は娘の研究留学をお互いに了解して、乾杯する。娘は時間が経つにつれ、母親に対する愛情を取り戻したのか、突如店を飛び出し、母親を追いかけるが、見つけることができず、すごすごと帰ってくる。店主は改めて妻に電話すると言って2階に上がったところで幕となる。
 俳優座お得意の学生運動の革命ものを現代にうまく取り入れたもので、タイトルの「空の定義」は劇中で集合論を黒板で解説していて、黒板の周囲は空であり、話題となった妻の描いた絵に青い空があり、米国、日本、イスラエルなど世界の空がつながっている、と店主がつぶやく場面があり、そこからとったようである。出演者のなかでは娘役の松永玲子と編集ライター役の中嶋しゅうが印象に残った。
 現代劇としては理屈っぽくなくてわかりやすく、楽しめた秀作であった。
 
コメント
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