とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021下野街道新緑マラニック:1日目

2021-05-14 18:33:13 | マラソン
Hさんの呼びかけで、会津田島から会津若松までの下野街道を走るマラニックに参加する。ちょうど会津若松市内に泊まっていたので、会津田島まで移動することになるが、折角なので会津若松市内の鶴ヶ城を先に観光していくことにした。

鶴ヶ城の駐車場を出ると、司馬遼太郎の文学碑があった。 “会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作”と、司馬遼太郎が会津藩の教育や精神文化を高く評価している。「司馬遼太郎文学碑」には随筆「歴史を紀行する」と、最後の藩主、松平容保を描いた小説「王城の護衛者」のそれぞれから抜粋した文章が碑に刻まれている。


文学碑の近くには、2013年大河ドラマ「八重の桜」で紹介された山本八重(のち新島八重)の像も建てられている。


鶴ヶ城の入り口に着いた。鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめた。明治7年に取り壊されたが、昭和になって再建され、平成23年には「赤瓦」へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守になったそうだ。


立派なお堀が見えてきた。


赤い橋を渡ると、天守閣が見える。


六層にもなる立派な天守閣だ。


入場券を買って中に入る。


天守閣の最上部から、鶴ヶ城公園を臨む。約69,000坪の敷地は全て、国の史跡に指定されているそうだ。街並みも一望でき、白虎隊が鶴ヶ城を眺めたという飯盛山も見える。


会津若松駅から会津田島駅まで、可愛いラッピング電車で移動する。


1時間半ほどで会津田島駅に到着する。


13時。会津田島駅より、他のメンバーたちと一緒にスタートする。


行くときに乗った電車が、逆方向に折り返し運転していくのが見える。その先には、前日登った二岐山も見える。


旭ダムの横を通る。昭和電工への電力供給を目的として1935年に建設された自家用のダムだ。トラス構造の四角錐を組み合わせたもので、現役のものとしては国内で最古のゲートの一つだという。


ダムの前で、記念写真。


ダムから30分ほど走ると、いよいよ下野(しもつけ)街道の入り口だ。下野街道は、会津若松から日光に至る32里(128km)の道程で、「日光街道」や「会津西街道」、「中奥街道」とも呼ばれている。


かつて醬油工場だったらしい建物の横を過ぎる。


山道に入る。


高倉山湧水「長寿の水」。高倉山から湧き出る美味しい水を飲んで一休み。


下野街道の概要を記した看板。伊達政宗もこの街道を通ったことなどが記されている。


いまは、あまり通る人もいないのか、踏み跡がはっきりしていない場所も多い。


田園地帯に出ると、一面の菜の花畑が迎えてくれた。


八幡のケヤキ。高さ36mもあるという巨木だ。


再び下野街道の標柱を見つけ、進んで行く。


この日の宿となる大内宿の入り口まで来た。ゴールは間近だ。


江戸時代の町並みを今に残す宿場「大内宿」。下野街道と呼ばれた会津と日光を結ぶ街道の両脇には、茅葺き屋根の民家が並び、江戸へ向かう大名や旅人の宿駅として重要な役割を果たしてきた場所だ。30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ様子は極めて珍しく、年間約80万人の観光客が訪れ賑わうというが、今は、人影はまばらだった。


この日の宿となる本家扇屋さんに到着。この日のゴールだ。


夕暮れの大内宿。


夕焼けがきれいだった。


参考1.マラニック1日目のコースマップ


参考2.マラニック1日目の高低図&コースタイム


「2021下野街道新緑マラニック:2日目」に続く。