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とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編4-城下町大洲街並みぶらり散歩

2015-03-27 20:23:44 | お遍路
大洲の観光案内所で大洲街並みマップを貰い、お遍路の途中だがちょっと散策していく。

これは、臥龍山荘。ミシュランで一つ星を獲得した山荘庭園だという。中までは行かず、遠くから眺めただけ。


まちの駅「あさもや」から少し歩くと、おはなはん通りがある。


おはなはんは、昭和41年に放送されたNHK朝ドラだ。かなり古いドラマだが、記憶があるドラマだ。


主役の樫山文枝と高橋幸治の写真が飾られていた。




これは、何の変哲もない郵便ポストだが、ドラマ「東京ラブストーリー」でリカが別れの手紙を出したポストだという。誰か、そのシーンを知っているのだろうか?


思ひ出倉庫。古い土蔵を改装して造られた、昭和がテーマのスポット。


ポコペン横丁。「大洲まぼろし商店街2丁目」という昭和30年代の町並みが再現されている。交番、床屋、薬局、雑貨屋などが並んでいる。ホーロー看板が、どれも懐かしい。






赤煉瓦館。明治時代の銀行だった建物だ。




別館では、懐かしい映画ポスターが展示されている。入り口では、オードリー・ヘップバーンが迎えてくれた。


懐かしい映画ポスター満載で嬉しくなってしまう。




ビビアン・リーもいた。


チャップリンのポスターも貴重だ。


二階には、「花子とアン」のポスターも…。


二階は、「赤毛のアン」をテーマにした展示館だ。






赤煉瓦館の煉瓦には、子供の手型が付いているとか。


これが、どうやら手のあとらしい。


次に向かったのが、お殿様公園にある大洲藩主加藤家住居だ。


何故ここに行ったかというと、実はここで「男はつらいよ 第19話」のロケが行われたと地図に書いてあったからだ。寅さんをはじめ、キャストの人たちの写真が飾られていて得した気分だった。もう一度DVDを見てみることにしよう。




そして、最後に大洲城を見に行く。


大洲城は、2004年に市民の寄付等により復元されたそうだ。4層4階の天守閣が素晴らしい。




大洲城のサクラの開花も、まだだった。満開になれば、賑わいそうな場所だ。


ひとしきり、大洲の町並み散歩を終え、遍路道に戻った。

2015四国八十八ヶ所巡り:西予市宇和町~内子町

2015-03-27 19:05:24 | お遍路
7時30分。「宇和パークホテル」を出発する。いよいよ今日が第1ステージ最後の遍路となる。


しばらくは、車の往来が多い国道56号線沿いに進む。


9時03分。国道の鳥坂トンネルと遍路道の分岐に来る。トンネル経由だと25分。遍路道経由だと60分とあるが、騒音が大きく排ガスも多いトンネル歩きより、迷わず遠回りの遍路道を選択する。


鳥坂番所跡から、山道に入っていく。




車が通らない山の遍路道のほうがずっといい。


9時34分。鳥坂峠を越える。


しばらく進むと、日天社に着く。お日様、お月様を神様として祀っている神社だ。ご神体は、円形の石で梵字が刻まれている。




9時55分。トンネル出口に到着する。やはり1時間近くかかった。


そして、しばらく進むと大洲町に入る。


11時40分。大洲まちの駅「あさもや」に到着する。レストランがあったので、ここで日替わりランチを頼む。その後、ランチとは別に、お接待としてコーヒーとフルーツをご馳走になる。こういった所でも、お接待の文化が根付いているのが嬉しい。


さて、この大洲の町は、城下町の町として街並みをぶらりと散策できる。いろいろ見所がありそうなので、ここでも寄り道をして街並み散歩をしていくことにした(詳細は、番外編4で)。

13時10分。大洲街並み散歩を終え先へと進む。大洲城ともサヨナラだ。


14時04分。番外札所「十夜ヶ橋」に到着する。


この先にある橋は、弘法大師が行脚のおり、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をした場所だという。その折、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれている。この事から、橋を渡る場合は、杖を突いてはいけないと言われている所以である。




15時31分。内子町に入る。


15時42分、再び里山の遍路道に入る。


里山から市街地に入ると宿はもうすぐだったが、宿のすぐ近くに「内子座」という歌舞伎小屋があった。宿が近くとはいえ16時半までで見学終了となっていたので、先に中を見学していく(これも詳細は番外編5で)。

16時半。やっと「松乃屋旅館」に到着する。第1ステージ最後の宿となり、高級そうな和風旅館で、最後の宿としてはふさわしいかもしれない。夕食も食べきれないくらいいろんな料理が出て大満足。今日は、しっかりくつろぐぞ!

今日の歩行距離:30.6キロ(通算727.0キロ)
明日の予定:第1ステージ終了 自宅へ。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編3-愛媛県歴史文化博物館

2015-03-26 19:11:58 | お遍路
愛媛県立宇和高等学校の横から長い坂道を上っていったところに「愛媛県歴史文化博物館」がある。小高い丘の上にあり、愛媛県の歴史や文化をひとまとめにした大きな博物館であった。一つの県で、県の歴史や文化をこれだけ大きな建物で展示しているのも珍しい。他の県では、このような施設はあまりないような気がする。


まず最初に見たのが、和紙彫塑による「弘法大師空海」の世界という展示だ。和紙彫塑家・内海清美氏が「四国遍路文化」の根底である空海の半生を人形群で表現したものだという。


すべて和紙で作られた人形の精密さに感心する。






普通、こういう展示は写真撮影が禁止となっているのだが、これだけはOKとなっていたので何枚も撮らせてもらった。




その後は、部屋ごとにテーマが決まっていて、愛媛の原始・古代の展示だ。因みに写真は、撮影OKのものだけだ。これは古代の住居模型。


中世。武家社会下の伊予。当時の船や山城の模型。




近世。幕藩体制下の伊予。城下町や宇和島城、大洲城の模型。






愛媛のくらし。民家のくらしの様子などの展示。




近・現代。愛媛県の誕生と歩み。市内を走っていた電車だ。


懐かしい駄菓子屋の様子も再現されている。




くすりや。


おもちゃ屋。


昭和30年代頃の一般家庭の再現。三丁目の夕日の世界だ。




祭りと芸能では、大きな牛鬼が展示されている。


そして、だんじり。


四国お遍路に関する展示もあり、このお遍路さんは、近代の姿だ。


ほんの少し、時間つぶしになればいいという気持ちで入ったが、なかなか立派な博物館で思ったより時間がかかった。お遍路さんのコーナーは、もっとじっくり見たかったが、あまりのんびりすると後が大変なので、このあたりで帰ることにした。

2015四国八十八ヶ所巡り:41番~43番

2015-03-26 17:35:33 | お遍路
6時50分。民宿「みま」を出発する。大きなお屋敷のような民宿だった。


今朝も冷え込んでいて、田畑には霜が降り肌寒い朝だった。田園の中をまっすぐ歩いて行く。




7時20分。41番札所龍光寺に到着する。


龍光寺は小高い丘の上にあり、集落を見渡すことが出来る。朝の空気が冷たくて気持ちいい。


龍光寺の巡拝が終わり、42番札所への遍路道に進む。お墓の間から龍光寺が見える。


8時15分。42番札所仏木寺に到着する。龍光寺から2.6キロ程で近い場所だった。


43番札所までは10.6キロあり、そこそこ歩く。松山自動車道の横から山道に入り、歯長峠、歯長隧道を越えていく。最高点で標高450mあり結構歩きがいがあった。歯長峠を下りてきた所にあるのが歯長地蔵だ。その横には、「おへんろさんのお墓」があり、昔険しい歯長峠越えで力尽きて行き倒れたお遍路さんのお墓だという。


10時56分。道の駅「どんぶり館」に到着する。今日は、ここでランチだ。


12時15分。43番札所明石寺の奥の院である「白王権現」まで来た。本尊より先に奥の院に来てしまったようだ。


12時17分。大きな石の鳥居が見えてきた。


黄色い花の咲く坂道を上がって行く。


12時24分。43番札所明石寺に到着する。


今日の宿泊地は、明石寺から3.3キロしかない。このまま行ってしまうと13時半前には着いてしまう。とはいえそこに泊まらないと、次の宿まで15キロ以上もあり、とても歩けないので今回は近くの宿にしたのだ。ただ、時間が早いので何とか時間をつぶさねばならない。ちょうど明石寺から下りてきたところに「愛媛県歴史文化博物館」があり、そこを見学していくことにした(詳細は、番外編3で)。

1時間以上博物館で見学をした後、宿に向けて先に進むと愛媛県立宇和高等学校があった。


この高校の男子が、昨年の全国高等学校駅伝競走大会で愛媛県代表として、都大路を走ったようだ。


15時半。「宇和パークホテル」に到着する。チェックインには、ちょうどいい時間だった。

今日の歩行距離:20.2キロ(通算696.4キロ)
明日の予定:西予市宇和町~内子町まで。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編2-遍路道の道しるべ

2015-03-25 20:07:45 | お遍路
遍路道を歩くには、当然地図がないと歩けない。ほぼ100%のお遍路さんが持っているのは、へんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」という本である。遍路道に特化した地図で、歩き専用、車用、歩き&車のルートがわかりやすく表示されている。分岐ごとに距離が示されているので、この地図で歩いた距離を大体知ることが出来る。また、コンビニや食堂、宿が記載されているので歩く上での重要な情報も満載だ。特に、札所、宿間の距離もわかるので計画を立てる上で役に立つ。もちろん宿の電話番号も記載してある。毎日、この地図とにらめっこしながら歩いているのである。ただ、地図表示が必ず北が上になっていない事や、複数の遍路道が一つのページに載っていないので遍路道の全体像がとらえにくいという欠点はある。また、コンビニや食堂のデータが古い場合もあり、実際通ってみたら何もなかったという場合もあった。それでも、お遍路さんにとってなくてはならない大事な地図本である。


さて、実際遍路道を歩くと、電柱やポール、ガードレールにいろんなお遍路シールが貼られているのを見る。








これは、外国人向けのシールだ。


案内札もいろんなものがある。




なかには、いろんな団体が貼ったシールだらけの電柱もある。


いずれも、お遍路さんにとっては、ありがたい道しるべとなり、これを頼りに歩けば迷うことはない。たくさん貼ってある区間は地図を見る必要がないときもある。ただ、シールが貼ってない区間もあり、わからなくなったら地図を見て確認することは必要だ。また、現在地を常時確認していくことも大事である。

こちらは、国が設置した道標。「四国の道」のロゴマークが、まさにぴったりの絵柄になっているのが素晴らしい。


これらの道しるべのおかげで、昔のお遍路さんに比べ、今はずっと歩きやすくなっているのである。

2015四国八十八ヶ所巡り:宇和島市津島町~宇和島市三間町へ

2015-03-25 18:59:27 | お遍路
泊まった民宿は、釣り客が多いらしく、釣り船が何隻も停泊し、いいポイントがあるようだ。


7時35分。民宿「西遊漁センター」を出発する。いつもより1時間朝食時間が遅く、スタートも遅くなってしまった。


7時58分。嵐坂トンネルを通過する。こちらは、歩行者・自転車専用トンネルだ。昨日通ったトンネルも車と別になっており、お遍路には優しい。風の通り道と名前がついているだけに、風は強い。


国道沿いの植え込みには、霜が降りていた。どうりで、朝冷えていたわけだ。


9時23分。津島大橋を渡る。




川沿いには、桜並木があったが、まだ開花している木は少ない。


1本だけは、数輪の開花が見られた。


10時13分。国道56号の松尾トンネルに到着する。このトンネルは、全長1710mあり車両通行量が多いため、排ガス充満の状態になると地図には書いてある。


そんなトンネル内は歩きたくないので、脇道にある遍路道から山越えのコースに向かう。


やはり車が通らない山道のほうがいい。


頂上には、遍路小屋があった。


山を越え、下って行くと道路工事の現場になった。


工事現場を過ぎると、今度は採石場の横を通る。ほこりが飛び交いダンプの通行量も多いので、足早に通り過ぎる。


宇和島市街地に入っていくと、馬目木大師がある。名前の由来は、弘法大師が馬目木(ウバメガシ)の枝を立てておかれたら、いつしか根づいて葉がしげるようになったことによる。


市街地を歩いて行くと、宇和島城の看板を見つける。すぐ近くだったので、宇和島城を見て行くことにした。


急な石段や坂を上がって行くと、サクラの木があり、満開間近となっていた。


さらに上に行くと天守閣があり、宇和島城に到着だ。残念ながら、天守閣前のサクラはまだまだ開花が遅れている。満開だったら、お城をバックにいい写真が撮れたのだが…。




天守閣からの宇和島市街の展望は素晴らしい。


天守閣内部も見学していく。




宇和島市街地からJR予土線沿いの道を歩く。この辺りのサクラも、やっと開花が始まったばかりだ。


16時26分。民宿「みま」に到着する。スタートが遅かった事と、宇和島城に寄ったのでいつもより遅い時間になってしまった。


今日の歩行距離:32.0キロ(通算676.2キロ)
明日の予定:43番札所まで。

2015四国八十八ヶ所巡り:40番札所~宇和島市津島町へ

2015-03-24 17:18:42 | お遍路
昨日の夜、いつものように翌日のコースの確認をしていたのだが、大きな間違いがあったことに気付いた。当初の計画では、この日の宿から40番札所まで25キロあると見積もっていたのだが、よくよく見ると9キロくらいしかなかった。宿もその先2.5キロしかない。これでは、あまりにも早く宿に着いてしまう。いろいろ考えた末、コース距離を全部見直し、宿も予約しなおすことにした。夕食後は、宿の予約とキャンセルの電話で大忙しだった。結局4日分予約し直して無事スケジュール調整ができた。何とか1日繰り上げることができないかと考えたが、16キロの短縮では1日分繰り上げることはできず、最終日の帰宅時間が早まるにとどまった。

7時10分。民宿「大盛屋」のおかみさんに見送られ出発する。


9時05分。40番札所観自在寺に到着する。宿から2時間もかからなかった。


観自在寺から国道56号に戻り、道の駅「みしょうMIC」に立ち寄る。ここで、どこかで買っておこうと思っていた土佐文旦を一箱購入し、自宅に宅配で送ってもらうよう手配する。一か月近くも家を空けているので、何かしらお土産がないといけないので一安心だ。

さらに国道56号を西に進む。11時40分。ずっと山の中の国道を歩いてきたので、海が見えた時は、何だか久しぶりのような気がした。


ここは室手浜。今までの高知県の浜と比べ内海に入ってきたせいか、波も穏やかのように感じる。


13時12分。愛南町役場内海支所前を通過。プラネタリウムかなと思ったが役場の建物だ。この辺りは、地形通り内海というようだ。


内海トンネルの歩行者・自転車専用道。


いままでのトンネルと違い、中の照明は明るく安全性が高い。また、距離表示や絵が展示され飽きが来ないようになっているのがいい。


こちらは、須ノ川海岸。海の色がエメラルドグリーンに輝き目を見張る。




こんな大きな草鞋が目を引いた。お遍路さんの無事を祈ったものだろうか。


15時06分。民宿「西遊漁センター」に到着する。


今日のコースは、距離を見直した結果、清水大師などの山越コースをとると次の宿が遠すぎることになってしまうので、やむを得ず国道周りのコースにした。釣り客が多い宿のようだが、お遍路さんもこのコースで回る人も結構いるようだ。

今日は、写真も少ないので、宿に着いてからの行動を紹介する。
宿到着時間は、15時前後を目安にコース設定している。
17時くらいになるとあとが忙しくなってしまう。
まず宿に着いたら、着ていたものを全部脱いで洗濯に回す。
洗濯、乾燥を手早くやることが一番大切である。
その間に、風呂に入り洗濯や乾燥状態を確認しながら終了を待つ。
洗濯と乾燥が別になるので、終了したら次の人が使えるよう早く開けておかねばならない。
その後、またはその前後で、今日撮った写真の整理とブログ作成だ。
ブログ更新までは、やはり1時間半くらいはかかる。
更新が終わり、コメント返しやメールチェックもあって、パソコン作業が続く。
やっと終わって少しのんびりしたころ夕食時間となる。
夕食を食べて部屋に戻り、しばらくテレビを見たりしてくつろぎ、最後は翌日のコースチェックと食堂がある場所を考えておく必要がある。
食堂がなさそうなコースでは、事前に弁当を頼むか、早いうちに食料を買っておく必要がある。
自販機は、困ることはないほどたくさんあるので心配ない。まったく日本の自販機設置数は凄い。
そして、20時半~21時までには就寝。翌朝は、5時~5時半には起床。
こんな生活が毎日続いている。

今日の歩行距離:27.0キロ(通算644.2キロ)
明日の予定:41番札所手前2キロくらいまで。

2015四国八十八ヶ所巡り:39番札所~松尾峠~「菩提の道場」愛媛県へ

2015-03-23 17:29:08 | お遍路
昨日の17時50分。「大島屋旅館」の部屋から、夕日が沈むのが見えた。


そして、今朝の6時40分。「大島屋旅館」を出発する。看板が小さくて探すのに苦労した宿だった。


6時50分。畑の向こう側にある山の上からちょうど太陽が出てきたところだ。


7時32分。海の向こうに、島が見えた。何という島だろうか?


7時35分。道の駅「すくも」に到着する。


8時06分。松田川大橋を通過する。


その後は、宿毛市内の中心部から国道56号線を通り、ひたすら延光寺まで歩く。宿毛市の中心部から片道6キロ程あり、打ち返しとなる。途中には、堤防沿いの河津サクラ?がきれいだった。


10時14分。39番札所延光寺に到着する。


今日は、昨日より長い距離を歩くので、早々に引き返し宿毛市内へと戻る。国道から外れ貝塚付近から松尾峠への道へと入る。しばらくは舗装道路だったが、次第に山道になっていく。


ヤマザクラが、あちらこちらで咲いているのが良く見える。


しばらくは、里山歩きが楽しくなるような道だ。




「土佐の褚牛(あかうし) モー すぐ 伊予 やけん ことぉたら ちぃと 休まんかね」と書かれているのが笑える。


14時21分。高知県側最後の茶屋跡を通過。


14時22分。松尾峠に到着。


「従是西伊予国宇和島藩支配地」という石碑があり、いよいよここから愛媛県に入る。


愛媛県側の遍路道は、整備された広い道になっていた。


15時21分。松尾大師を通過。


15時半。今夜の宿「大盛屋」に無事到着する。数日前泊まった民宿の主人から、今日のコースは、相当時間がかかるようなことを言われていたので、到着がかなり遅くなることを心配していたが、それほど遅くなることもなく16時前に到着できてよかった。

今日の歩行距離:31.5キロ(通算617.2キロ)
明日の予定:40番札所まで。

2015四国八十八ヶ所巡り:土佐清水市大津~宿毛市

2015-03-22 17:02:26 | お遍路
民宿「とさや」のご主人に車で、昨日歩いた歯朶ノ浦トンネル出口まで送ってもらう。支度を整え、6時30分に出発する。この日の朝食は、6時前には済んでいた。


6時58分。後方から太陽が上がり岩礁を照らし出していた。


今日も海岸線を見ながらの遍路道が続く。


7時08分。叶崎に到着する。


少し寄り道して、叶崎灯台まで歩く。


灯台への道は、両側が切り立った断崖絶壁となっている。木が茂っているので良く見えないが、隙間からは真下に海が見え、まるで馬の背中のような道だ。


灯台の反対側には、叶崎神社がある。神社に向かう石段には、ノラ猫ちゃんがぽつんと座っていた。


さて、この叶崎神社はその名の通り、願いを叶えてくれるというありがたい神社だ。今回のお遍路が無事結願できますようにと祈ってきた。


小才角の集落では、スルメ漁が盛んなようで、スルメがあちらこちらに干されていた。


この辺りは、日本で初めて「宝石サンゴ」の漁が始まった発祥の地だという。サンゴを持った少女の像が建っている。ただ、現在は乱獲が多々って漁は行われていない。最近、中国船による小笠原近海でのサンゴの密漁が問題になったが、そのルーツはここにあったのだ。




さらに海岸線を歩いて行くと、岩礁の上に釣り人がいるのを見かける。よくもあんな場所で飽きもせず釣りをやって居られるものだと感心しながら歩く。


大浦から、国道を離れ月山神社への遍路道に入る。最初は、お墓の中の急坂を登っていく。


山の中の遍路道に入っていくと、地元大月小学校の生徒による応援ボードが至る所に釣り下げられてるのを見かける。一つ一つのメッセージを読みながら歩いていくと気持ちが和んでくる。




一旦山を下ると沢に出る。雨が酷い時は、渡れなくなることもあると聞いていたが、大した水量でもなく難なく渡渉する。


8時54分。月山神社に到着する。古来から、38番の金剛福寺を打ち終えた遍路は、篠山詣りか月山詣りをするのが不文律になっているという。当初は、ここを通らずに行くコースも考えたのだが、不文律になっているとあれば行かざるを得ない。特に大変なルートでもなかったので、無事月山詣りができて良かった。


この神社のご神体は、三日月形の石だという。この石がそうかと思って、注意書きを読んだら、本物は神社の奥の山の上にあるそうだ。良く分からなかったので、そのまま先に進む。


その後、再び山の中の遍路道を進むが、途中から自分の鈴の音以外の鈴の音がやけに大きくなってきていた。誰か来るのかと訝しげに後ろを振り向くと、突然藪の中から二匹の犬が飛び出てきた。ギョッとしたが、「コラッ!」と一喝したらそのまま引き下がっていった。鈴がついていたから猟犬だったのかもしれない。野犬だったら、ヤバかったかもしれないが何事もなく済んで良かった。

山を下ると今度は海岸に出る。


ずっと岩だらけの海岸を歩くのかと思ったが、程なく車道に出る。


ヤマサクラが満開となっていて、時折花吹雪が舞っていた。


これは、タムシバか?


11時45分。道の駅「「大月」に到着する。宿の主人の話では、13時くらいになるだろうと聞いていたが、あまりにも早く着き過ぎた。ここから宿までは6キロくらいしかない。このまま行ったら13時過ぎには着いてしまうので、ここで時間調整をすることにした。


この日も暑く、冷たいものが欲しくなっていたので、イチゴアイスにソフトクリームや蜜のオールトッピングを頼んだ。これが、とてつもなく美味しくて生き返った気分になる。


1時間以上、道の駅でのんびりした後再び歩き出す。相変わらず菜の花が咲き乱れ、春を感じさせる景色が続く。


14時30分。場所がわからず苦労したが、今夜の宿「大島屋旅館」に到着する。今日は、余裕がある歩きだったが、明日は32キロ程の行程となり山越もあるので英気を養っておこう。

今日の歩行距離:26.9キロ(通算585.7キロ)
明日の予定:39番札所を越え「菩提の道場」愛媛県へ。

2015四国八十八ヶ所巡り:足摺岬~土佐清水市大津

2015-03-21 19:19:18 | お遍路
6時25分。民宿の部屋から外を眺める。雨は降りそうもないが、雲が多く晴れ間が見られなかった。


7時15分。民宿「福田屋」を出発し、10分ほど歩くと「夕日ヶ崎」に到着する。この場所からは、気象条件によりダルマ夕日を見ることが出来るそうだ。もちろん朝だから夕日が見えるはずもない。




松尾から遍路道には入らず、県道を進む。遍路道のほうが短いのだが、県道からの景色が素晴らしいという話を聞き、回り道にはなるがあえて県道を選択した。しばらく進むと、赤茶けた岸壁の海岸線が見えてきた。


民家など何もない道端で、野生?の鶏を見かける。


半島の突端辺りに、臼婆園地があり、そこの臼婆くろしお展望台まで登ってみる。展望台からは、臼婆の岬と灯台が見える。


眼下には竜王宮神社が眺望できる。


そして、反対側には足摺岬が眺望できる。


中の浜の集落に着くと、ジョン万次郎こと「中濱万次郎」の記念碑があった。


その先には、中濱万次郎の生家(復元)があり見学していく。


中は、無料で見学できる。地元では、「ジョン万次郎」の生涯を大河ドラマにしようという運動が始まっているらしい。




11時30分。海の駅「あしずり」に到着する。ここには、「ジョン万次郎資料館」があったが、今日は歩く距離が長いので中には入らず、公園の中にある万次郎少年像と仲間の群像の前で弁当を食べる。


12時に、公園を出発して30分ほど歩くと松崎海岸だ。ここの見どころは、化石連痕と呼ばれる独特の岩の海岸と、沖合いに浮かぶ双子の島である。


14時。民宿「とさや」前を通過する。今日の宿はここなのだが、当初予約した宿がもっと先の民宿で、宿の都合で「とさや」に泊まることになる(経営者が同じ)。自分としては、歩きにこだわりたいので、歩いたところまで送迎してくれるということでさらに先に進んだ。


14時09分。足摺海洋館前を通過。


菜の花の中を進む。




菜の花畑の先には、足摺海底館があり、見学したいという気持ちもあったが明日の為に距離を稼ぎたいという思いが強く、ここも通りすぎる。


15時37分。歯朶ノ浦トンネルを出たところで民宿の人に電話をして迎えに来てもらう。


16時に民宿「とさや」に到着し、泊まることになった。明日は、6キロ先の歯朶ノ浦トンネルまで送ってもらい再び歩き出すことになる。

余談ではあるが、このところマメはできていない。足が慣れたこともあるのだろうが、当初靴の先端部分の紐をきつく締めすぎていたのが原因のようだ。遍路の場合、靴のサイズは、足の大きさより1~2センチ大きいほうがいいと言われている。少し大きめの靴で紐を締め過ぎないことがマメを作らないコツだ。また、靴下も2枚重ねは良くなく、薄手の靴下で靴の内部に熱がこもらないようにしたほうがいいようだ。これらの事は、すべて自分の経験で学ぶことができた。

今日の歩行距離:30.8キロ(通算558.8キロ)
明日の予定:38番札所手前15キロくらいまで(宿毛市)。