とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

社会人大学有志で忘年会

2013-12-19 23:59:13 | 社会人大学
今日は、社会人大学の有志だけの忘年会があった。
メンバーの中のHさんの洒落た自宅が、会場だ。
大型テレビや暖炉もあってちょっとしたホームパーティができる素晴らしい居間に10人ほどの仲間が集まった。




みんな一品以上持ち寄ろうということで、店で買ってきたものや自分で作ってきた料理を持ち寄ったら、凄い豪華な忘年会となった。
持ち寄ったものは、こんな料理だ。










こちらは、ヒロボーさんがわざわざポルトガルから取り寄せたというワインだ。


いろいろ飲んで食べて喋っているうちに帰りが遅くなってしまった。
しかも、フェイスブックのアプリをスマホにインストールして触っているうちに、大量の友達リクエストが送られてしまった。
今日は、フェイスブック友達が大量に増えてしまった。

さてまだ、明日も仕事だ。

体文協50周年記念祝賀会

2013-11-24 21:26:19 | 社会人大学
今日は、社会人大学卒業式と体文協50周年記念祝賀会が静岡グランシップで行われた。
午前中は、粛々と卒業証書・皆勤賞授与式が行われた。


私は、社会人大学5年目となり、5回目の卒業証書と皆勤賞をもらった。
今年の皆勤賞の記念品は、静岡出身の画家笹尾光彦さん直筆の受賞者名前入り色紙だった。

午後からは、祝賀会となり続々と来賓の方々が壇上に上がった。


会場内も、500名以上の参加者で埋まっていた。


そして、静岡の文化教育スポーツに絶大な功績があったという事で、川勝平太静岡県知事より体文協事務局長S氏が表彰された。


祝賀会が終わると、水戸大神楽が披露された。水戸大神楽(みとだいかぐら)とは300年の歴史を今日に伝える水戸藩徳川家の御祭禮御用を務めた由緒ある伝統芸能だという。演目は、おめでたい獅子舞と曲芸である。




会場には、静岡の名店がブースを開店し、食べきれないほどの料理が出ていた。






来場者のテーブルにもたくさんの摘みや料理が出てきて、食べきれない。


ブースの料理を食べあさっている頃、民謡歌手伊藤多喜雄さんのライブが始まった。


伊藤多喜雄さんのソーラン節が始まると事務局長はじめ大勢の人たちが壇上に上がり、ソーラン節で盛り上がる。


50年を振り返る映像を見た後、突然、NHKのプロジェクトXのナレーターとしてお馴染みの国井雅比古さんが登場した。体文協50周年と聞いて、わざわざ出向いてこられたそうだ。事務局長の親交の広さにはビックリだ。


宴もたけなわになったころ、キャンドルサービスということでケミカルライトを振りかざし全員で合唱する。「今日の日はさようなら」「若者たち」などが歌われた。団塊の世代には思い出深い曲のようだ。




最後は、ヴァイオリニスト・大谷康子さんとピアニスト・水上裕子さんの演奏で盛り上がって終演となった。


終演となったのは18時で、その後片付けなどをして帰る。朝から晩までまるまる一日かかった卒業式と祝賀会だったが、50年もレベルを落とさず文化的な活動を続けてきた体文協事務局長S氏の凄さには感心した。各界の著名人が何十人も進んで駆けつけてくれるというのは、なかなかないことだ。当初は50周年で終わりのようなことを言われていたが、新参者の私たちもまだまだ参加できるよう会を続けていって欲しいものである。

グランシップに初めて入る

2013-11-23 21:10:22 | 社会人大学


今日は、静岡市駿河区池田のJR東静岡駅南口にある静岡県コンベンションアーツセンター(愛称:グランシップ)に初めて入った。
明日、グランシップで社会人大学の卒業式と体文協創立50周年記念式典があり、その開催準備のお手伝いのボランティアに参加するためだ。
グランシップは、JR東静岡駅のすぐ前にあり外観が船をイメージした形の為、非常に目立つ建物だが、まだ一度も中に入ったことがなかった。

会場は、グランシップの中でも一番大きい「海」というホールだ。
「海」は、1階から6階までが吹き抜けとなっており、高さ58mもある大空間が広がっている。
最大で4600人もの収容が可能だという。
明日は、この会場に600人近い人が参加し、卒業式と祝賀パーティが開かれるのだ。

この日の準備のための参加したボランティアの人数も100名くらいいたのではないだろうか。
会場床のシート貼り、テーブル、椅子の準備、受付台の準備など大勢で一気にやったので意外と仕事が早くはかどり、
会場のセッティングは午前中で無事終わった。
明日も、朝早くから出かけ晩までかかりそうだが、著名な講師陣や来賓が来られるというので、どんな祝賀会になるか楽しみだ。
また、料理も静岡や浜松の有名な店が屋台を出すというので、こちらも楽しみでもある。

歌舞伎鑑賞会「一谷嫩軍記」「春興鏡獅子」

2013-10-06 23:46:49 | 社会人大学


今年最後の社会人大学の課外講座は国立劇場の歌舞伎鑑賞会だった。
早朝から、貸切バスで東京の国立劇場に向かった。

歌舞伎の概要は下記のとおりだ。

《演目》
・「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)二幕三場 ― 陣門・組討・熊谷陣屋 ― 
・新歌舞伎 十八番の内 「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)長唄囃子連中

《出演》
松本幸四郎、中村魁春、市川染五郎、中村松江、市川笑也、大谷廣太郎、松本金太郎、市川團子ほか

《内容》
「一谷嫩軍記」
舞台は平家が源氏に大敗した一の谷の合戦。源氏方の勇将熊谷直実は、源義経の「一枝を伐らば一指を剪るべし」の制札に、
後白河法皇の落胤である敦盛の命を救えという命を察し、我が子を身替わりに敦盛の命を救う。
「春興鏡獅子」
踊り上手の可憐な小姓・弥生が、勇壮な獅子へと変化する様が見どころ。前半は美しい女の舞、後半は獅子として豪快に頭を振りつつ踊る。

「一谷嫩軍記」での一番の見所は、熊谷次郎直実を勤める松本幸四郎の演技である。一の谷の合戦で、直実は敦盛の首をとったかに思われたが、実は源義経の敦盛の命を救えという命に従い、同い年の我が息子小次郎の首をとって敦盛の代わりにしていたという、何とも痛ましく悲しい武士の悲哀を描いた話だ。夫婦の情愛、上役への気遣い・義理、そしてわが子を喪った父としての思いなど、その複雑な感情を見事に演じていた。最後は、我が息子の菩提を弔うため出家して陣屋を去っていく直実の姿が、見ているものにも万感迫るものがあった。

「春興鏡獅子」では、小姓弥生と獅子の精を勤める市川染五郎の踊りが素晴らしかった。前半では可憐な女小姓で可憐な舞をみせるが、後半では勇壮な獅子の姿に打って変わり豪快に繰り広げられる毛振りは、まさしくこれが歌舞伎だということを思い知らされた。また、ふたりの少年の松本金太郎、市川團子が演じた胡蝶の精は、本当に可愛らしい。真っ赤な着物で、お人形のように可愛く、息もピッタリ合って本物の女の子以上に愛らしい。演目が始まった当初は眠たくてしっかり見ていなかったのだが、松本金太郎、市川團子が出てきたあたりから、俄然舞台に目が離せなくなり、市川染五郎の獅子の踊りとともに見入ってしまった。

今回で、歌舞伎を見るのは4回目だが、鑑賞を重ねるごとに歌舞伎の奥深さがわかってきたような気がする。今回も、素晴らしい演目を鑑賞できて大いに満足した一日だった。

「元気よく機嫌よく老い迎え」沖藤典子さん

2013-09-20 23:06:55 | 社会人大学
今年最後の社会人大学が昨日終わった。講師は、ノンフィクション作家の沖藤典子さんだ。プロフィールを下記に挙げておく。

ノンフィクション作家。1938年北海道生まれ。
北海道大学文学部卒業。1961年(株)日本リサーチセンター調査研究部入社、15年の勤務の後、夫の転勤や父親の介護などで、退職。1979年、介護や高齢社会が抱える問題、家族や女性の社会進出をテーマに書いた「女が職場を去る日」(新潮社)を発表。ベストセラーとなる。以後、執筆活動に入り、女性の生き方や家族の問題、シニア世代の研究、介護問題、次世代育成支援研究などに深い関心を寄せ、旺盛な活動、執筆を続けている。国・県・市の審議委員等を歴任。

講演は、これから高齢期を迎える人たちの心構えはどうすべきかという話だった。
その心構えとは、「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」という5原則である。

まず自立というと、女性は経済的自立、男性は生活的自立が必要だ。女性は生活力はあるが、経済的には十分でない人が多く、一人でも生きて行けるだけの経済的な余裕が必要だという。また、男性は定年後も「男らしさ神話」から抜け出せない人が多く、困ったときはすすんで人に頼るということをしたほうがいいという。いわゆる成熟した依存は必要なのだ。

参加というのは、社会的なつながりを持つことだ。このつながりは、役割、主体性、居場所を持つことを推進する。老後の大敵は、退屈と孤独である。必要なものは「キョウヨウ」と「キョウイク」だという。教養でもなく教育でもない。今日の用事と今日行くという事だ。

ケアとしては、老後はくよくよしない、楽天的に物事を考えるといった事柄だ。とにかくニコニコと笑うことが大事だという。いつも笑っているお年寄りはみんなから好かれるものだ。また、老後に貯めたいものは、まず貯金だが、ほかには貯筋と友貯がある。つまり筋トレと友人をたくさん作ることだ。筋肉を作ることは認知症予防になる。そしてメシを一緒に食べることのできる友達が多いほうがいい。

自己実現は、年をとってからでもできる。年をとったからこそ冒険もできる。人間以外の動物は生殖とともに命は終わるが、唯一人間だけは命が終わらない。このことは、進化の上で重要な役目を持っているという。年をとることは素晴らしいともいえるのである。

そして、尊厳とは「その人が望む場所で老いを生き、生を終える」ことだ。住み慣れた地域や家で生を終えることが、人間にとっては一番いいことかもしれない。

以上、高齢者のための国連5原則の話を中心に話された。まだまだ自分は高齢者と呼ばれる年齢のつもりでいないので、他人事のような感じで聞いていたが、今のうちからそんな心構えで生きていきたいものだとは思った。

「125歳まで元気に生きる病まないボケない老いない腸健康法」藤田紘一郎さん

2013-09-13 21:53:40 | 社会人大学
昨年好評だった藤田紘一郎さんの講演が、今年も続けてあった。講演の主題はほぼ昨年と同じではあったが、長生きするための生活習慣のヒントは大いに参考になる。最初から最後まで大いに笑わされながら、講演を楽しく聞かせてもらった。

藤田紘一郎さんのプロフィールを挙げておこう。

1939年中国東北部(旧満州)生れ。東京医科歯科大学医学部卒業。東京大学伝染病研究所(現・医科学研究所) 大学院終了。テキサス大学で研究後、金沢医科大学、長崎大学医学部教授を経て、87年より現職。専門は寄生虫学と熱帯病学。日本医学会議のメンバーとして、マラリア、フィラリア、住血吸虫、成人T細胞白血病やエイズ関 連の免疫研究の傍ら、寄生虫と人とのより良い共生をPRしている。主な著書に「笑うカイチュウ」(94年、講談社-写真下-)、 「ボンボン・マルコスの犬」(96年、ルック)、「癒す水、蝕む水」(96年、NHK出版-写真下-)、 「空飛ぶ寄生虫」(96年、講談社)、「体にいい寄生虫」(97年、ワニブックス)等がある。

この人の講演内容は、とにかく面白い。まさに漫才師と言ってもいいくらいだ。ギャグがいっぱいちりばめられた話を聞き大笑いしながら、ためになる話になるのだから一挙両得である。人が笑うと、体内にNK(ナチュラルキラー)細胞が増えるという理論のもとに、面白い話を聞かせてくれているのだ。

藤田さんは、「カイチュウ博士」とも呼ばれ、実際自分の体にカイチュウを飼っているという。何故カイチュウを飼っているかというと、寄生虫の人体感染によるアレルギー抑制効果の実証実験をしているのだ。現代の日本は、生活が豊かに、清潔になるにつれて、寄生虫の感染率は急速に下がっていったが、その後は、花粉症やアトピー性皮膚炎などに代表されるアレルギー病が急増している。藤田さんは、カイチュウのキヨミちゃんを飼っているおかげで、花粉症やアトピー性皮膚炎とは無縁の生活を送っているという。

「清潔」を追求するあまり、人間の汗や体臭までをも消し去ろうとする現代日本の「キレイ社会」は、私たちの体を守る常在菌を排除しているのである。長生きするためには、西洋医学的発想での治療には限界があるという。東洋医学的発想で自然治癒力をもって体を守っていくことが大事だともいう。

藤田さんから、長生きするための次の5つのポイントが示された。
①よく噛み、ゆっくり食べる
②ゆっくり呼吸する
③体を温める
④過激な運動をしない
⑤自然の中で生活する

どれももっともなポイントだが、なかなかこれを全部実行するのは難しい。また、一日5種類の色のついた野菜を食べるのがいいとか、50歳からは炭水化物をとるのはやめたほうがいいという話もあったが、これも難しい話だ。長生きをしたいが、食べる楽しみを制限しながら長生きするのはつまらない。まあ、できるところから始めればいいのかなあと思った。一番納得したのは、食事は好きな人とするのがいいという。嫌いな人と食事をすると太るという。やはり嫌いな人とは、無理して付き合うことはない。

「伝説が語る民俗芸能」八木洋行さん

2013-08-30 22:15:15 | 社会人大学
このところ疲れ気味で早く家に帰って休みたい気分だったが、社会人大学だけは無理してでも聞こうと思って出かけていった。行ってみたら、いつの間にか当初予定していた講師が変わっていて、民俗学者の八木洋行さんだった。八木洋行さんといえば、静岡県では有名な人だ。何故かといえば、毎週日曜日の夕方SBS静岡放送のラジオ番組で放送されている「すっとんしずおか昔話」の案内人だからだ。足かけ26年、放送回数は1250回を超える長寿番組にずっと携わってきているというから、この名前を聞いたことのある人はかなり多いはずだ。ラジオで声を聞いたことはあったが、本人を見るのは初めてだったが、身振り手振りで楽しいお話を聞かせてもらい楽しく時間を過ごすことができた。

話は、遠州地方には槇囲いの家が多いという話から始まった。これは所謂「遠州の空っ風」を防ぐためのもので、特に西側を高くしているという話だ。因みに、槙の木の実のことを遠州地方では「やぞうこぞう」と呼ぶが実は「やぞうこぞう」と呼ぶのは大井川を境にして西の遠州地方だけだという。この空っ風は、大陸から渡ってきた風が伊吹山を抜け遠州まで届いているという。そして焼津の高草山に当って駿河湾に出て、西伊豆の海岸まで達する。そのため高草山の東の靜岡には空っ風は吹かないという。

さて、ここから風の名前の語源の話となり、遠州の空っ風は冬の西風をいうが、濃尾、三河では「弥三郎の風」、あるいは「弥三郎婆さんの風」と言われている。昔は遠州地方でも同じように言われていたが、遠州に繊維工業が発展し、上州から働きに来た人たちが自分たちの住んでいた場所と同じような冷たい風が吹くということで「空っ風」という呼び方をしたことから「弥三郎の風」という名前は廃れ、もっぱら遠州の空っ風と呼ばれるようになったという。

ところで「弥三郎の風」と呼ぶのは何故かというと、伊吹山の山の神が弥三郎婆さんだったかららしい。風は、婆さんが吹き下ろすといわれていた。実は伊吹山山麓には鉄を生産する職人集団がいて、冬の空っ風をふいごの代わりにして鉄を吹いたと伝えられている。その集団は、昔は出雲の安来あたりから流れてきた職人たちらしい。安来節のドジョウすくいの原型は、砂鉄取り作業だったという。つまりドジョウは「土壌」だったのかもしれないといのは面白い話だ。

風の名前には、何故か三郎とつくことが多い。「風の又三郎」も然りだ。元はといえば「寒い」→「サブイ」→「三郎」と変化していったのが語源のようだ。また、「弥三郎の風」が吹き始める初冬に、その風が通る槙の生垣に実る実を「弥三郎の小僧」と呼んだのが、なまって「やぞうこぞう」になったというのもなかなか面白い。

さて、遠州の空っ風は何時から何時まで吹くかというと10月から5月までだという。浜松では5月の連休中凧揚げ大会が開催されるが、この空っ風が5月まで吹くからだ。風がなくては凧は上がらないから、季節の変化を知るうえで民俗芸能は大事なものかもしれない。

その後も、地域によって異なる文化の話がいろいろ紹介された。いくつか挙げてみよう。
・おむすびの形は、大井川より東は丸で、西は三角だった。ただ、最近はコンビニが増えてどこの地域でも三角が増えてしまった。
・納豆の糸をひくのが好まれるのは、大井川より東。
・そばうどんと表示されるのは静岡で、うどんそばと表示されるのは浜松。これも大井川を境とする。
・ウナギのさばき方は、西では腹から、東で背中から。浜松はどちらでも。
日本の文化の違いって、結構大井川を境にしていることが多いようだ。江戸時代、大井川には橋をかけたり船を渡すことを禁じていたことが大きな要因で、人の交流が少ないことで文化の伝承も途切れてしまっていたのであろう。これって重要なことで、ちょっとした壁があるだけで文化の交流が途絶えてしまうのが顕著に表れた例だともいえる。国家間同士でも同じような問題が、潜んでいるといえるだろう。

他にも、砂浜のある地域に住む人たちと、砂浜がない地域に住む人たちでは、ウミガメに対する接し方が違うという話や遠州大念仏の起源、秋葉燈の意味などいろいろ面白い話があった。こういった民俗学の話っていろいろ聞くと興味深いものだ。

「泣き笑い」古今亭志ん輔さん

2013-08-22 22:28:54 | 社会人大学
第7回目の社会人大学は、落語家の古今亭志ん輔さんの高座であった。今年で三回目の登場となりお馴染みの落語家さんである。まだまだ暑い日が続いているが、久しぶりに一杯笑わせてもらって暑気払いだ。今回も、3つの噺を聞かせてもらった。

一つ目は、間男がテーマの「紙入れ(かみいれ)」である。あらすじは、以下の通り。

旦那の奥さんと関係ができた新吉、今夜は旦那がお帰りがないからと呼び出されたのだが、旦那が突然に帰宅したので慌てて逃げ出して気が付くと、その旦那にもらった紙入れに奥さんの手紙を入れたまま忘れてきてしまった。翌日、おっかなびっくり挨拶に出掛け、旅に出るから暇乞いに来たと申し出る。問い詰められて出入り先のかみさんと関係したというと、「で、先の旦那に見つかったのか」「見つけましたか」「俺が聞いてるんだよ」「よく分からないんですが、紙入れと手紙を忘れて来ちゃったんです」「そうか、心配だなァ。おい、嬶、聴いたか、新吉が間違いをしでかしたらし いんだ」「聞きましたよ。でもね、旦那の留守に若い男を引き入れて楽しもうという女じゃないか。そこに抜かりはないと思うよ。旦那のお帰りと戸を開ける前に、そこらを見回して、ちゃんとこっちにしまってあるから……と私はおもうよ。ねえ、旦那」「えッ、そうとも。またそこいらに紙入れが放り出してあったとしても、自分の女房を寝取られるような間抜けな野郎だもの。そこまでは気が付くめえ」

という間抜けな旦那とやり手の奥さんの噺だ。何か覚えがある噺と思っていたら、昨年の高座の最後が「紙入れ」だったのを思い出した。

二つ目は「豊竹屋」。こんなあらすじだ。(Wikipediaより)

一つの芸事に精進せず、あれこれかじってばかりというのは、いつの時代もあまり好ましいことではない。 ある男、豊竹屋節右衛門(とよたけや ふしえもん)は、自分が見たり聞いたりしたものを節にして語る浄瑠璃を趣味としており、黙っている時がない。風呂屋へ行き、湯船に浸かりながら湯加減について浄瑠璃風に語っていたが、歌に熱中するあまりのぼせてしまい、湯船から出る際に床で滑って転んでしまう。他の客に介抱されながら、そんなことをしていては体に悪いと諭されるも、懲りない節右衛門。帰路もやはり歌にしながら帰宅し、家内にも同様にたしなめられるが、飯を食べながらもなお語り、味噌汁をこぼしてしまう。とその時、同様に節をまわして唄いながら、節右衛門を訪ねて来た上方言葉の男が玄関に立っている。名前を花梨 胴八(かりん どうはち)、聞けば即席の口三味線を得意としており、どんな節にも合わせられるという。そこで、2人で即興の浄瑠璃を語ることにする。お互いに「先に」「先に」と順番を譲っているうちに、セッションが始まる。

「先に旗持ち踊りつつ、三味や太鼓で打ちはやす」(節右衛門の歌、以下同)
「チン、チン、チンドンヤ(チンドン屋)」(胴八の口三味線、以下同)
そこへ、隣家の洗濯に使う水音が聞こえて来る。
「水をじゃあじゃあ出しっぱなし、隣の婆さん洗濯」
「ジャジャ、シャボン、シャボン(しゃぼん)」
どんどん興に乗る2人。
「去年の暮れの大晦日、米屋と酒屋に責められて」
「テンテコマイ、テンテコマイ(てんてこ舞い)」
「26日のお祭りは」
「テンジンサン、テンジンサン(天神さん)」
「子供の着物を親が着て」
「ツンツルテン、ツンツルテン」
「蜜柑のようで蜜柑でない、橙のようで橙でない、それは何かと尋ねたら」
「キンカン、キンカン(金柑)」
「夏の売り物、蕎麦に似れども蕎麦でない、うどんに似れどもうどんでない、酢をかけ蜜かけ食べるのは」
「トコロテン(心太)、カンテン(寒天)」
「食べ過ぎてお腹を壊して駆け行く先は」
「セッチン、セッチン(雪隠)」

その時ふと節右衛門が見上げると、棚の上のネズミが餅を引いて行くのが見える。その様子を歌にすると、ネズミが「チュウチュウ」と合いの手を入れる。 それを見た胴八が「さすが節右衛門さんとこのネズミは心得てますな」と褒めると、節右衛門は「いいえ、かじってるだけです」

とまあ、こんな感じで浄瑠璃と口三味線の役を交互に使い分ける志ん輔さんの口上が見事で、このセッションシーンが一番笑えた。

休憩後の三つ目の話が「唐茄子屋政談」。上下の二つに分かれる人情話だが、今回は通しで最後まであった。内容は以下の通り。

上(Wikipediaより)

道楽が過ぎた若旦那、勘当されても「お天道さまと米の飯はついて回る」とうそぶいて反省の色がない。だが、ころがりこんだ先の友人たちからも見放され、親戚を頼っても相手にされず、とうとう宿無同然となって吾妻橋から身投げしようとするところを、偶然通りかかった叔父に止められる。「お、叔父さん……! お願いです、助けてください」「なァんだ、てめえか……止めるんじゃなかった。さ、飛び込みな」口では散々悪態をつくものの、その実甥の行方を心配し続けていた叔父の家に連れて行かれた若旦那は、心を入れ替えて何でも叔父のいう事を聞くと約束する。翌日若旦那は叔父に言われて天秤棒を肩に、慣れない唐茄子の行商を始めるが、肩に食い込む重さのあまりに「人殺しィ!」と荷を投げだす始末である。通りかかった人たちの情けで唐茄子を買ってもらい、今更ながらに人情の温かさを味わうのであった。だが、昔覚えた道楽は忘れることができないもので、売り声の稽古をしようと吉原田舗に来かかると、ついつい花魁との甘い思い出に浸って一人で惚気てしまう。

下(Wikipediaより)

気を取り直した若旦那は、その内に三ノ輪の裏長屋を通りかかり、ぼろをまとってはいるがどこか品のあるおかみさんに呼び止められて唐茄子を売る。夫は浪人で今は遠くで行商をしているが、うまくいかないのか送金が滞っているという身の上話を聞き同情した若旦那は、お腹をすかせた子供に自身の弁当を食べさせ、「おあしはいりませんから。ここにわずかながらお金があるんで、これを差し上げます。これで何か買ってくださいまし。」と唐茄子の売り上げを無理強いに渡して去る。涙を流して喜ぶ母子。だが、入れ違いにきた因業な大家が、「店賃としてもらっておくよ。」と取り上げてしまう。そうとは知らない若旦那、家に帰って叔父に売り上げを差し上げた事を言うが、「お前、そんな嘘をついてどうする。」と信じてもらえない。やむなく、叔父ともども三ノ輪の裏長屋に来ると、そこは蜂の巣をつついた騒ぎ。聞けば、件の母子が、親切な人から恵んでもらったお金を大家に取られたことを苦に心中を図ったというのだ。幸い母子とも無事だったが、怒った若旦那は大家を殴り長屋の者も加勢する。裁きの末、大家はきついおとがめを受け、母子は叔父の持っている長屋へ引き取られ、若旦那は奉行から青差五貫文の賞金とお褒めを受け勘当も許される。

「韓国人と日本人~その本質を探る~」呉 善花(オ・ソンファ)さん

2013-07-26 23:09:20 | 社会人大学
第6回目の社会人大学の講師は、初の外国人講師だ。講師の呉善花さんは、韓国済州島生まれで、日本評論家、教員、言論家の肩書を持つ。大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程を修了。現在は、拓殖大学国際学部教授であり、韓国籍から日本に帰化した知日派でもある。

会場に到着し受付をすると事務局のT子さんが今日はいい話が聞けるよと、わざわざ言ってくれた。いままでそんなことを言われたことがなかったので、どんな話が聞けるかと大いに期待して席に着いた。講師席には、小柄だがきりっとした眼差しの美しい女性が座っていた。

事務局長の紹介のあと、呉善花さんの話が始まった。まず、日本語の発音が難しいという話から始まった。朝鮮語には濁音が元からなく、どうしてもうまく発音できないという。この為、自分の名前の日本語読みの「ご・ぜんか(呉善花)」を上手く発音できないので、朝鮮語読みのまま「オ・ソンファ」と名乗っているとのことだった。

今回の講演の主たる内容は、韓国人と日本人の本質を探るということで、いろいろ興味深い話が次から次と出てきて、飽きることがなかった。このところ韓国では、日本を過激に批判している様子が伝えられ、従軍慰安婦問題、竹島問題といたずらに対立を煽るような報道が絶えない。なぜそこまで、韓国人は日本人を嫌うのか理解できない部分も多かったが、今回の講演でかなり理解できたような気がする。

呉善花さんが来日して最初の一年は、日本人のおもてなし精神に支えられ日本は素晴らしい国だと思ったという。しかし、それは最初の一年だけで2~3年目になると、次第に日本人がおかしい、理解できないという思いにとらわれるようになったという。何故そういうふうに思うようになったのは、ほんの些細なことの積み重ねによる。例を挙げると、敬語の使い方が韓国とは違うという。韓国では、身内に対して敬語を使うが、日本では身内に対してはへりくだった言葉を使い、身内以外のものに敬語を使うというのが大きなカルチャーショックだったらしい。また、玄関から座敷に上がるとき韓国では、靴の向きはそのままだが、日本人はわざわざ靴の向きを外向きに変える。靴の向きを変えるということは、韓国では早く帰れという意味になるという。またご飯茶わんは、日本人は左手に持つが、韓国人は左手を使わない。鍋料理の時、日本では一人一人に取り皿を出すが、韓国では各自鍋に直接箸を出す。日本では、客人に割り箸を出すが、韓国ではそんなことはしない。等など、大した事でもないともいえるが、文化が違うということで“おかしい”“変だ”という気持ちが増幅され、耐えられない状況になっていったという。現在の韓国の日本嫌いの風潮は、この2~3年目の状況と同じだという。日本に3年いた韓国人は、これで日本が嫌いになって、韓国で日本批判を繰り返している人も多いという。しかし、彼女はそれを乗り越えると、逆にますます日本が好きになっていったという。つまり日本の文化の違いに慣れ、日本を理解できたからこそ改めて日本の良さを知り知日派として現在に至っているというわけだ。日韓のビジネスマンとの通訳・翻訳のアルバイトをしながら、東京外国語大学在学中に発表した滞日韓国人ホステスに関するルポルタージュ『スカートの風(チマパラム)』が話題を集めベストセラーにもなっていたのだ。

ただ、彼女の日本での活動の状況は、韓国では良く思われていないようだ。『スカートの風』が日本で評価されたのに対し、韓国では、呉善花は実在せず日本人がなりすましたのだという説が流れ、呉善花探しが行われたが実在することがわかりその話は立ち消えになった。2007年には、母の葬儀で母国に帰郷しようとしたところ、日本での「反韓国的な活動」が理由で韓国当局から入国禁止措置が取られたこともあったという。韓国では、彼女は親日派と呼ばれ、ほぼ売国奴と同じ意味で扱われているというから、韓国での日本嫌いは、異常なまでの盛り上がりなのだということを知って驚きを禁じ得ない。特に最近の安倍総理は韓国では軍国主義の権化であり、大手放送局や新聞社でも悪魔呼ばわりしているというのを聞き、唖然とする。確かに安倍総理の発言は、日本人でも軍国主義に傾斜している言動が見られ、先行き不安の要素はある。だが、ここまで他国の国家元首を悪魔とよびつけるようなことが国レベルで行われていたとは。今後の日韓関係の修復の難しさを際立たせているような気がした。

未だに、韓国は来日2~3年目の留学生レベルの認識でしかないのである。韓国人もそうだが、日本人もお互いの文化の違いを認識し、相互に理解を深める事をしなければ、いつまでたっても関係改善は望めないだろう。そんな中で、韓国と日本のそれぞれを知り尽くした呉善花さんのような人の存在は大きい。今までにも、何冊も日本人研究の本を出されているそうだが、後半の話では日本の素晴らしさを大いに取り上げてくれた。

いま世界で一番注目されているのは、「日本人」というブランドだという。中国人も韓国人も表向きは日本を嫌っているが、日本のモノは大いに売れているのである。化粧品、酒、和牛、カラオケ、アニメ等枚挙にいとまない。安くて大量にある中国製品、韓国製品よりも高くても精巧で緻密にできている日本製品は金持ちの間では飛ぶように売れているのだ。このようなものを作れるのは、世界において日本だけしかない。日本人はサービス精神に適し、秩序が保たれている(東日本大震災時の日本人の秩序ある行動は外国人には信じられないのだ。略奪、暴動があって当たり前な出来事なのだ)、日本人はモノに魂を吹き込むといった事が、日本人の特徴であり、出来上がったものはどれも外国人は真似できないものばかりなのだ。

日本は、山紫水明の国であり、海や山、森、沢、湖、川等ちょっと移動するだけで美しい自然が至る所にある。そして、あらゆるものに神が宿り畏敬の念を与えるものが多いということが、世界にも比類ない民族が出来上がった所以ではないだろうか。大きな山や、巨石、古木にも神が宿り敬うという精神が、受け身の思想を導き、和を重んじる国民性が生まれたのではないかという説も納得できる。

これほど韓国の人から日本の良さを挙げれらと、いささかこそばゆい気持ちになるが、改めて日本の良さを教えてもらったことはとてもいいことだった。やはり、日本人は日本のことをもっと良く知っておく必要がある。外国人と接するときには、日本の文化や歴史について自信をもって話してほしいと事務局長が案内文に書いていたが、まさにその通りだ。そんなわけで、今回の講演は今までにも増して素晴らしい講演内容だった。いつもは、帰りに講師の本を買って帰る事はほとんどなかったが、今回だけはしっかり購入し、サインも頂いた。本の感想も、時間があったら記事にしてみたいと思っている。

「美術を身近に」永井龍之介さん

2013-07-05 21:58:23 | 社会人大学
昨日は、第5回目の社会人大学だった。今回の講師は、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」のレギュラーとして活躍中の永井龍之介さんだ。プロフィールを紹介しておこう。

永井 龍之介(ながい りゅうのすけ、1956年2月7日 - )は、日本の洋画商、永井画廊代表取締役。早稲田中学校・高等学校を経て立教大学経済学部に進み、同大学を卒業。先代が六本木に1971年にオープンさせた東京アートギャラリーを、2年後に現在の名称に改名して銀座に拠点を移した。現在テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」のレギュラーとして活躍中。(ウィキペディアより)

「開運!なんでも鑑定団」は、たまに見たりすることがあり結構好きな番組なのだが、残念ながら永井さんのことはあまり印象にない。鑑定士の中では、中島誠之助さんが目立つので他の方は、よく覚えてなかった。この番組では、鑑定士の顔よりお宝にどれだけの値がついたかのほうが気になるので、良く見ていなかったかもしれない。

講演では、やはり「開運!なんでも鑑定団」の裏話的な話に興味がわく。もう20年近くも続いている長寿番組だが、一番の事件は、やはり島田紳助の降板ということだったらしい。当時多くの番組が島田紳助メインで作られていたので、彼の降板で多くの番組が打ち切りになった。「開運!なんでも鑑定団」のスタッフも打ち切りになるのではと、戦々恐々だったらしいが、司会者を今田雄二に変えて存続された。この番組は、司会者で成り立っていたのではなく、お宝を探し出し出展者の悲喜こもごもの様子を導き出すという番組自体のコンテンツがしっかりしていたので、司会者が変わっても何の問題もなかったのである。また、マンネリ化した司会者より新しい司会者の新鮮な感覚が視聴者に受けたのではないかという話でもあった。

また、この番組は地方出張が多い。市町村合併直前や直後にいろんな地域から出張鑑定の依頼が多いそうだ。昔は、地方でテレビ番組の誘致というと「のど自慢」が多かったのだが、最近は「鑑定団」の誘致が多いという。おかげで、全国津々浦々に出張しているが、地方に行くと数多くのお宝が出てくるようだ。ただ、残念なことに鑑定士たちは、ほとんど日帰りであり、地方でのんびり泊まって美味しいものを食べて帰ってくるということはないらしい。テレビ東京では予算が少なく、結構ハードスケジュールのようだ。

西洋人と日本人の美術品に対する考え方については、興味深い話があった。最近では、そうでもないが、昔から和風住宅には床の間があり、日本人は必ず掛け軸をかけている。日本人は誰でも、美術品を目立つ場所に飾るという気持ちに余裕が備わっているという。それに引き換え、西洋では貴族の屋敷には、競って豪華な美術品が飾られているが、一般庶民には、美術品を飾るなどという気持ちに余裕はない。美術品があるというのは、あくまでも権威の象徴なのである。また、中国では権力者が変わるたびに、過去の遺物をことごとく破壊してしまうという歴史があり、日本のように数百年前、千年前の美術品などほとんどないという。そういった意味では、日本ほど古美術品がきれいに揃っている国は少ないのである。

あとは、ピカソが10万点にも上る絵画を書いていたことや、ゴッホが天才的な画家だったという話があった。ほかにも、西洋画の話をされていたが、どうも絵画のこととなるとよく知らないことが多く、少々眠くなってしまっていた。一ついいことを言っていたと思うのは、国際人として通用するなら、英語をペラペラと話すことができるより、自国の文化をしっかり発信できたほうがいいと言われていた。やはり、日本人なら日本の文化をしっかり勉強して外国人に日本語で正確に説明できるようにならなければいけないと思った。