prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「i 新聞記者ドキュメント」

2019年11月24日 | 映画
不愉快なのがわかりきっているのでネットやテレビではできるだけ見ないようにしていた菅官房長官の会見場面を映画館となると逃げようがなく見せられるわけで、たびたび繰り返される答弁の映像は内容(がないの)はわかっているのだからこんなにいちいち見せんでええわと正直思った(個人の感想です)。

考えてみると、会見で撮られている映像というのがおそらくほとんど長官のアップしかないからそうならざるを得ないわけで、森達也監督がしきりと会見場での望月記者と官房長官との(おそらく入れ込んだ引きの)画を撮りたがるのともつながってくる。

静止写真だが、最前列にパソコンを前にした記者たちが壁のように横一線に並び、離れた後ろの席で望月記者が手を挙げている画はこの場の力関係と構図を典型的に示していた。

ただ、長官とその眷属と押し問答ばかりしていても埒が開かないのも確かで、映画とすると会見に出ている他の記者たちは望月記者をどう思っているのか、自分たちはジャーナリストとしての仕事をしているつもりなのか、など個別の記者に当たって聞いてみればいいのにと思った。

ただかなりの程度、ひたすら沈黙か問答にならないやりとりしか成り立たない、警備の警官から補佐官の類と似たようなのっぺりとした反応が返ってくるような気もするが、それでも確認はしてほしかったし、特に日本の人民日報化が著しい読売新聞(余談だが、望月記者は場合によっては転職の時読売に入社する可能性があったのが皮肉)には聞いてもらいたかった。記者に聞いてはいけないというルールはないだろう。むしろ自分が取材される側にまわった記者が一般にどんな反応を見せるか興味がある。

そうしなかった一つの理由は森監督がとにかく望月記者個人(と、自分自身)を追うことに賭けたからかもしれないが、記者が個人としての思いで動くのはいいとして、一方で視野狭窄に陥る可能性もあるわけで、そこはこの映画自体にも表れてはいないではない。
会見があまりに不快なので、狙った対象だけでない、ドキュメンタリーならではの“写ってしまった”ものを読み取ろうと苦心したのだがさっぱり見えないのもそのせいかもしれない。

それにしても、沖縄で住民を騙して自衛隊が武器庫を作ってしまうデタラメさは予定地の大きさを映像で見せられると衝撃。
いかに一般のメディアの報道から沖縄がこぼれているかもわかる。

前川元文科省事務次官が安倍内閣は国民を完全に舐めているのだと思うと言ったのは本当で、舐められるような国民なのだと言ってしまえばそれまでだが、いい加減シニカルになってられる余裕などない。

出るメディアが吉田豪とパックンとに挟まれたローカルテレビ番組とかネット番組とか、いかにもマイナーなのが、NHKとか読売といったメジャーほど忖度の度合がひどい(もちろんメジャーを押さえた方がメディアコントロールが効くから)のと好対照。

“大きなもの”ほど、一見確かで頼り甲斐があるようで、実際には傲慢で無責任で理不尽でもあるというのは、単純な真理。

ラスト近くアニメを入れたり、ナチスから解放されたパリでナチスと仲良くしていた女たちが頭を丸刈りにされて晒し者になっているキャパによる有名な写真が出てくるのは意味がわからない。

姿を現さない、子供の世話をして妻の弁当も子供のついでといいながら作る夫というのはどんな人だろうと思った。

イヤホンみたいな電話を使いながら駆けずりまわる姿は「24」をジャック・バウアーばり。どの程度使われているものなのか。

“本筋”とは関係ないが、ビン・ラディンのマトリョーシカなんてあるのだな。




11月23日のつぶやき

2019年11月24日 | Weblog