prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「シルミド」

2004年06月19日 | 映画
俳優の名前をまったく意識しないで見た。特に、というと他のあまりに多くを切り捨てることになるが、訓練を受ける方より訓練する方の軍隊の隊長と副隊長が、役も演技も印象に残った。下手すると、「フルメタル・ジャケット」の鬼軍曹のリー・アーメイに当る、すでに自身が人間性を失った上官として描かれておかしくない役だ。
しかし、ここで非人間的なのは、もっと上だ。作戦中止の原因になった“中央情報部”の人事移動はまったく目に見える形で描かれず、役者の形をして現れる一番のエラブツは、「シルミド事件」の報告書にサインしない。

軍人が、というより組織としての軍隊自体が、上と下との板挟みになることになる。上官の命令は絶対という原理で動くはずの、というより動かなくてはいけない組織が、その成員を誰一人残さず、“政治的判断”の転換の論理的不統一に挟まれて軋みをあげることになる。

利用されたあげく捨てられ叛乱を起こす638部隊は、心情的にも論理的にもすっきりしている。東映ヤクザ映画によく例えられるゆえんだ。だが、正規の軍隊ではない638部隊だけでなくここでの練習隊もロジックの上では、犠牲になった可愛い弟分の仇をうつべく、悪い親分に殴り込みをかけなくてはいけない役に、あたってしまっている。単純なドラマのカタルシスからは、いい意味で濁ってしまっている、いわば高度な部分だ。

人情家と鬼と見えた二人の副官が、作戦の中止が決まってから逆転するあたり、人間性の複雑さでもあるとともに、“軍隊の論理”に従って、上は下に命令に従わさなくてはならないのを徹底していくと、上の政治的御都合主義を批判することにも通じてきて、鬼と見えた2曹が、部下に責任を持とうとする魅力ある人物で、人情家風はたまたま情けをかけられる立場でいられただけの、本質的に訓練兵たちを見下していた俗物であることが暴露される。

チョ2曹役(見ていて役名を覚えた)をハードにこなしているホ・ジュノが、今年の韓国最大の映画賞助演男優賞と聞いて納得。予め待ち構えて見るより多くのものを見られた気がする。

当方は連座制などという制度があったことも知らなかったのだから、ひどいもの。当時の韓国の政治情勢など、予備知識がないとなかなかわかりにくい。

ラストを含めて劇中計3回歌われるのは、原曲ドイツ民謡でアメリカの労働運動で歌われてから革命歌になったものだという。北朝鮮側の歌をわざわざ覚えて歌うというのも不思議な気がする。スパイ活動をするわけではないのだから。手榴弾のピンを抜いた時、外の部隊に向けて投げるのかと思うと自爆したのには、え、と思った。前半で自爆の教えをしているところを見ると、韓国側の権力者こそが敵ということか。
(☆☆☆★★★)