prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

近代能楽集「葵上」「卒塔婆小町」

2016年03月21日 | 映画
2013年に三島由紀夫の生誕110年、没後45年記念企画でポルケ(紀伊国屋)の企画で製作された、戯曲を改めて脚色せずそのまま映像化した二編。

もともとDVDとして発売するのが主眼で作られたのだが、フィルムセンターにて根岸吉太郎監督自選集の一プログラムとして大スクリーンで初上映された。

「葵上」は中谷美紀、柄本佑、市川実和子出演。
源氏物語の六条御息所登場のくだりを世阿弥が能楽化したのを三島が改めて現代版にしたもの。六条というのはもともと生きている時は生霊になって光源氏を間に置いた恋敵の葵上に祟り、死んだら死んだで死霊になって祟るというとんでもないキャラクターなわけだが、これが中谷美紀。解像度の高いカメラで迫られるともともと透き通るように白い肌が白すぎて何だか不気味に見えるなのは狙いだろう。
ともに三島の膨大なレトリカルなセリフをこなしているのは当たり前といえば当たり前だが、舞台の経験が役立ったか。

病院の真っ白な抽象化されたセットで、中ほどに吊られた紗のカーテンが光の加減で向こう側が見えたりみえなかったりするのは舞台でもよく使う技法だが、ここでは劇の中ほどですうっとカメラが上に振られて役者が完全にフレームから外れカーテンだけが画面いっぱいに写り、また役者がフレームに入ると場面が経過しているのがワンカットの中で幕が一度降りる、あるいは暗転するような効果を出していて面白い。

途中で二人がキスするところですうっとセットから引くと病院からもっと抽象化された白砂とヨットの模型のセットに移る処理もいい。

「卒塔婆小町」はもう少し写実的な公園のセットを使って、ものすごい特殊メイクの老婆が登場する。初め誰だかわからなかったけれど、これが寺島しのぶ。柄本佑が絶世の美男子の光源氏をやるのもだが、寺島しのぶが小町?という気はかなりする。
 美を実物の美男美女で表現するのではなく、言葉=観念を通した形で表現する、というか絶対の純粋な美はそういう形でしか表現できないという三島的なテーマを心得てのことと思える。

こちらはもう少しわかりやすい映像的な飛躍を使って過去と現在とを交錯させる技法を使い、すうっとカメラが手前の北村有起哉をなめて移動するとすっと若いときの姿になったりする(それを非常に自然にやっている)

ともに撮影・丸池納、美術・小川富美夫、音楽・吉松隆、衣装・黒沢和子。

上映後のトークショーで、根岸監督は吉松隆の音楽を絶賛し、彼が劇音楽を書いたのがこれが初めてで、依頼したら断られた、割といい条件だったから意外でなんでですかと聞くとこういう華やかな(だったかな?)仕事をすると書く音楽の純粋さが損なわれるのではないかと恐れたからだ、という。大河ドラマ「平清盛」でタルカスを使ったりする大胆さは想像しにくい。
監督は東日本大震災で生者と死者との関わりというのを考えることが増えたところから能という死んだ者と共演する形式への興味が湧いたこと、中島みゆきの「夜会」の映像演出をして舞台を映像化するノウハウを蓄積したことも、この仕事を引き受けた動機と語る。

柄本佑もゲストで登壇、よく名画座めぐりをしている話になり、新作も見ないといけないけれど1800円は痛い、1000円で二本見られる方がいい、六回見れば一回タダになるしとか、フィルムセンターはもっと安い、中学生のとき阪妻の「王将」を見ているとか細かい話をする。根岸作品では「キャバレー日記」が好きでラストシーンをどう撮ったのかとファン丸出しの口調。
スクリーンで自分の演技を見るのは落ち着かない、3年経っても客観的になるのはムリとも語る。

『近代能楽集』ノ内「葵上」 三島由紀夫 [DVD]
監督 根岸吉太郎
ポルケ


『近代能楽集』ノ内「卒塔婆小町」 三島由紀夫 [DVD]
監督 根岸吉太郎
ポルケ




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