prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「女の小箱」より 夫が見た

2015年09月30日 | 映画
監督の増村保造は東大の法学部で三島由紀夫と同級で、学士入学で東大の哲学科も卒業し、かつイタリア語で書いた論文で戦後間もなくイタリアに留学したという秀才で、日本人というのは人間ではない、人間らしい情熱も意思も愛もないという認識をもって帰り、すこぶる理性的かつ論理的な基盤から作品を作っていった人だけれど、作品そのものは理性よりは遥かに日本的風土ではデモニッシュな狂気じみて見える人間を描き続けた。

本当に人間らしい情熱や愛を描こうとしたら、この国でははみ出てエキセントリックに見えてしまうという認識の上のことで、ここでの若尾文子も田宮二郎も日本的「和の精神」からは完全に逸脱したキャラクターになっている。
田宮二郎が自分で自分を「馬の骨です」と開き直るのが笑わせる。

川崎敬三扮する夫は、いくら高度成長期(映画の公開は1964年)のサラリーマンとはいえ、仕事ばかりで妻をほったらかして碌に家に戻らないわ、ライバル会社の情報を掴むために他の女と寝るわ、それでいて離婚は嫌だと駄々をこねるわ、妻が他の男と関係すると知ると張り合って無理やり押し倒すわで、なんかもう社畜を絵に描いたよう。

周囲も男の浮気は甲斐性だの子供産むなら三十前だの、言うことが古い古い。もっとも古いようで今ではなくなっているかというと昨今の自民党議員の「失言」などを聞いているとそんなことはない。
夫のキャラクターはカリカチュアされているようで、実際ああいう人間性を自分からかなぐり捨てて長いものに隷属する奴いくらでもいる、というより増えている気さえする。




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