prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「アンナ・カレーニナ」

2013年04月09日 | 映画
言うまでもなく原作はロシア文学の代表作で、しかもおよそ他の場所や時代に翻案など許さない。予告編で英語を使っていることはわかっていたから、よくある英語が世界中であたりまえに使われているかのような英語帝国主義的なリアリティ無視の作りなのだろうと思っていたら、もっと意識的にリアリズム離れした作りなのに驚いた。

オープニング、舞台の緞帳が開いて幕開きというのはよくあるけれど、そのまま劇場の客席と舞台とさらに舞台の上にあるキャットウォークまでぶち抜いた空間に、舞踏会や競馬場はおろか列車が発着する駅舎や野原まで持ち込むという大胆な作り。舞台の板の上を馬や馬車が走り、キャットウォークに列車が滑り込んでくるのですよ。

さらに装置も一見してリアルな椅子や机と言った調度の背景の壁が書割式の絵や文字、紋様が描かれていたりする。描かれた文字もロシア語だったり英語だったり、ちゃんぽんにしてある。
舞台劇の再現というのとも違い、芝居小屋という抽象化された空間にロシアの風物を見立てとして持ち込んでくるといった方法。

アカデミー衣装デザイン賞を受賞したわけだが、単にコスチューム・プレイとして衣装や美術といった視覚的な魅力が大きいというだけにとどまらずプロダクション・デザイン全般のコンセプト、という以上に「思想」は注目に値する。

アンナ以外の人物がぴたりと動きを止めてしまうあたりも含めて、何度も篠田正浩監督の映画「心中天網島」を思い出した。製作費は何万倍もかかっているだろうけれど。

脚本のトム・ストッパードは舞台劇「ギルデンスターンとローゼンクランツは死んだ」で「ハムレット」の脇役を主人公にしたドラマを再構築したことで有名だが、作り物のドラマの中で視点を大きく変えることで逆に作品世界に通常感じるものとは別のリアリティを取り出してみせたのに通じる方法が見られる。

さらにストッパードがもともと英語圏の出身ではなくチェコからイギリスに渡ってきた経歴の人というあたりも、どこか目の前にある世界やコトバを無前提に信じない姿勢をもたらしたのかもしれない。

これだけの大予算で相当に実験的な作りを貫徹したのにはかなり驚いた。代わりに単純な感情移入や「感動」はしにくくなったし、ストーリーも追いにくい。

キーラ・ナイトレイは毎度ながらどこかエキセントリックでまるで母親に見えないのがアンナの危ないところに合わせている。ジュード・ロウが頭を薄くしたメイクで演じているのが意外。アーロン・テイラー=ジョンソンのヴロンスキーは何やらゲイっぽい。
(☆☆☆★)


アンナ・カレーニナ@Movie Walker

アンナ・カレーニナ@ぴあ映画生活


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