prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「戦争と人間」第一部「運命の序曲」 第二部「愛と悲しみの山河」 第三部「完結篇」

2021年08月25日 | 映画
日活製作。第一部は1970年8月14日公開、第二部は1971年6月12日公開、第三部は1973年8月11日公開。
日活では1971年の11月にロマンポルノ第一弾「団地妻 昼下りの情事」「色暦大奥秘話 」が公開され、大作で活路を見出すか、低予算のロマンポルノ路線に舵を切るか迷っていた時期にあたる。

第一部はタイトルにダイニチ配給と出る。系列の映画館が弱体だった大映と日活が提携した配給網だが、これが71年6月に瓦解したものだからその後は日活の単独配給になったらしい。

この頃の日活は共産党系の労組が強力で、ロマンポルノ裁判(1972~80)の時には労組の御用弁護士が監督被告は独占資本の要請に従って“退廃文化”であるポルノを作らされたといった弁論を繰り広げたものだから監督たちが制約はあっても作家としての表現としてロマンポルノを作ったのだと反発したり(斎藤正治「日活ロマンポルノ裁判ルポ」より)、会社が撮影所を売却したら労組が買い戻したり、最終的に労組の委員長(根本悌二)が社長に就任したりとずいぶんと組合が経営に介入している。
結局ロマンポルノ路線をとったわけで、本来東京裁判を描く第四部まで作られる予定だったが、製作費がかかり過ぎということもあって三部までで打ち止めになった。

左翼映画なのは別に隠しもしていない、どころかこれだけ左翼もどでかい映画が作れるのだぞとアピールしている格好。しかしどこからこれだけの製作費を調達したのだろうとは思う。
当然、軍隊内部のリンチや南京事件や三光作戦を堂々と画面に出して描いている(画面のリアリティとしては、こんなものではないだろう、と思うが)。
天皇の責任において中国と宣戦布告なき戦争が始まったとも第二部の終わりのナレーションではっきり言っている。
ただ中国人や朝鮮人の役が日本人俳優というのは、この時代の限界。

山本薩夫は党員であるとともに「赤いセシル·B·デミル」と異名をとった監督で、大勢の豪華キャスト(かなりの割合が新劇=俳優座・文学座・民芸の俳優、特に滝沢修の重鎮感)を縦横に使いこなし、メロドラマ的趣向に大々的な戦闘シーン、時にはエロサービスまで入れて(このあたり、聖書を題材にした説教くさい内容の割にお色気サービスも忘れなかったデミルに喩えられるゆえん)、同じ五味川純平原作の「人間の条件」が梶ひとりと軍隊内部に話を絞ったのに対して軍部や財閥なども取り入れて戦争に向かっていく日本をパノラミックな視点で描いている。あと、案外と金持ちの描写が堂に入っていて、「華麗なる一族」あたりにもつながってくる。わかりやすいとも言えるし、図式的で平板とも言える。
良くも悪くも(悪くも、ってことはないか)客を呼べる社会派映画を作れる人ではありました。

日活がロマンポルノ路線が行き詰まりロッポニカほか迷走した挙げ句に自爆的に製作していったん倒産する(その後ナムコ資本下で再生)きっかけになったのが、やはり戦前の大陸を舞台にした底抜け超大作「落陽」だったわけだが、一か八かの大勝負に出るとなると大陸に行きたくなるらしい。

冒頭、出演者名がずらずらっと五十音順でローリングタイトルで出るのだが、大変な数。それがちょっと遅れて女優陣の名前も出るのだが、これがかなり少ない。というか、前に出た大量の出演者が男優ばかりなのに気づかなかった。
戦争⋅歴史ものだと女の出る幕は少ないのだなと改めて知らされる(本当は出番いくらもあるはずだが)。

中国が重要な舞台になるわけだが、70年に日中国交回復したばかりとあって中国ロケは香港を除いてできず、青森県や北海道でロケしている。
第三部ではソ連ロケをしているわけで、このあたりの日共と中国共産党とソ連共産党との関係がどう絡んでいるのか、バックストーリーもいろいろありそう。

このノモンハンの戦いがソ連の戦車がごちゃまんと出てきて地平線まで一望でする風景といい一気にスケールアップしていて、提携効果満点という感じ。ここで終わったのはキリがいい感じ。

敗北した司令官たちがばたばた自決するわけだが、これ端的に言って恥を晒したくないええかっこしいの無責任。生き恥晒してなぜ負けたのか明らかにするのも司令官の任務のうち。