舞台をアメリカではなく中国にしたことで、つまり主人公にとって異郷にしたことでオリジナルより座りが良くなった部分がある。
いじめられるにせよ、好かれるにせよ、ホームランドで体験するより緊張感が出るし、他者を理解するプロセスにしても切迫したものになった。
アメリカ人が見た東洋イメージの変さ加減にしても、日本が対象になるより気にならないし、充分近代化された北京を舞台にしているから無理がない。
オリジナルでは原題がカラテ・キッドだったように日系人が師匠だったけれど、これを日本に持ってきてリメークして成立するかというと、2作目がおよそ珍作になったようにかなり怪しい。
第一、空手は日本というより沖縄のものだろうし(オリジナルの師匠ミヤギも沖縄出身だった)、言ってはなんだが本土人は沖縄のことを日本だと本当に思っているのだろうか。違うと思うよ。建前はそうでも。
日本には純潔主義みたいなものが厳然としてありますからね。世界に散らばっている日系人と日本との間でたとえば華僑みたいなネットワークがあるだろうか。
ジャッキー・チェンの相手を力でねじふせるのではなく敵同士同士討ちさせるコミック・カンフーを応用した趣向が、もっともいいのは戦わないことという哲学にうまく合った。
しかし、「ドランク・モンキー」の頃は弟子の側だったジャッキーがいまや師匠の側にまわったのですね。
ハエを箸でつまむ「宮本武蔵」式の趣向や、鶴拳を蛇拳にしてのクライマックスのアレンジなど、細部はいじっているけれど定型は変わらない。
というか、オリジナルが定型そのまんまの作りなのです。定型の強みというのを改めて感じる。
(☆☆☆★)