「補給食、渡せなかった」
とYOMEがゴールで待っていてくれたころ
激しくなっていくる雨の中
脚を引きずりゴールへ向かっていた
佐倉朝日健康マラソンに参加しました
YOMEは10㎞
私はフル
1月に手術を決意してから
入学前にフルを走って
走れた頃の脚と脚の状態を確認しておきたかった
2月のフルでは後半痛みこそ出たものの
何とか力押しで大崩れすることなく走り切れた
3月末、学生として新たな一歩を踏み出す前に
最後のワガママで走っておきたかった
幸いエントリー出来たのが、実家に近い佐倉のマラソン
両親、兄も始めてレースを応援してくれるということで参加賞以上の物をプレゼントしたいと思っていた
昨年までは18~39歳の部となり、タイムも2時間20分代でないと入賞出来ませんでしたが、今年から40歳以上のカテゴリー。昨年の記録を見ると、トップが2時間42分~40分代後半と、イーブンペースで走っても充分狙えると思っていました。
ただ、気がかりだったのは、2月のフルのダメージが酷く、3週間は股関節の痛みと違和感がずっと残っていたことと。レース直前の週も股関節に引っかかり感があり、これがどうレースに影響するのか…と不安もありました。
予報では、雨・風ともにかなり強くなるとのことでしたが、朝から雨が断続的に降っていたもののスタート直前はほぼ止んでいた状態。気温14℃、風もそれほどなく、このまま止んでくれていれば、絶好のコンディション。
すでに30分前から選手が並び始めていたので、アップもそこそこに列に加わる。先頭から4列目(2時間30~3時間のプラカード)あたりでスタート。
競技場を半周して外へ。それほど押し合うこともなく前に進めた。
前回のフルでは、ハーフまで3分30前後で走り、後半脚が持たなかったので、今回は抑えめで3分40~50でリズムを刻む。
3㎞通過あたりで、集団が3つになる。先頭集団4~5人、第二集団7~8人、第三集団5~6人となり、丁度いいペースで走っていた第3集団に付いて走る。
舗装された田園風景を走る感じだが、応援も誘導もしっかりしていたので快適に走ることが出来た。
10㎞過ぎあたりから小雨が降ってきたが、かえって気持ちいいくらいだった。
10㎞前後のエイドで用意したパワーバージェルを水で流し込む。
ペースも心拍も脚の状態も問題なし。
少し前に出たい気持ちもあったが、40歳以上のカテゴリーでは、3~4番手に付けていたので焦らず落ちてきたら拾っていくつもりで抑えて走る。
ハーフ通過までは予定通りのペースで1時間21分弱。
まだまだ余裕があったので、このままのペースでラスト3㎞前後で余力があればあげようか…と思っていた。
…が、ずっと脚に残っていた違和感(股関節の引っかかり感)がだんだんと痛みに変わってきた。
早い、まだだ
前回よりも痛みが強く、股関節から四頭筋につっぱり感が予想以上に強い。
痛みをかばうようにすると、今度はハムにも痛みが。
この感じ前にも味わったような…イヤな汗が出てくる。
だんだんとペースが落ちて、4分10秒前後となってきて頃、27㎞地点を通過。
そこでまさかの2時間45分のペースメーカーに抜かれる。
それと同時に遙か後ろだと思っていた後続集団がどんどん前に出てくる。
必死に食らい付くとするが、脚が根本千切られるように痛い
あまりに痛くて、なぜ自分がココにいるのか一瞬分からなくなったくらいボーッとしてきた
一瞬よぎる、リタイア
走るのも、歩くのも止めて、止まってしまえばいい
楽になれる
それでも良かった
でも、前へ進んでいた
進もうとしていた
なぜだろう
だんだん強くなる雨
スピードが落ちると途端に寒さを感じる
ペースは5分30まで落ちていた
痛くて痛くて…
脚を取り外したいくらい
無意識に頬をたたく
脚を前に出すと激痛が腰から全身に頭の先まで響く
頬を殴る
それでも腰からの痛みの方がその何十倍も痛む
走っては止まり
走っては止まり
何しているんだろう
走っては止まり
走っては止まり
涙が雨粒と一緒に落ちてくる
37㎞通過
エイドで水を受けとろうとして
一瞬、時が止まる
身体が、脚が動かない
自分の周りが止まっているのかと思ったら
自分がピクリとも動けなくなっていることに気付く
あれ
どうした
シューズが捕まれているみたいに動けない
脚が前に踏み出せない
膝が動かない
その時、思い出した
あぁ、カナダと同じだ
Ironman Canadaのラン
それまでの練習のダメージ
当日のバイクでのダメージ
これが自分の身体(股関節)の痛みがブレーキとなる
心拍も脚もまだ残っている
痛みが前に進ませてくれない
そうか、これが今の俺
次に進みたければ治す・直すしかない
でも、今はこの痛みが俺自身
全部、受け入れてやる
そして、この痛み、絶対忘れないから
時間にして数秒だと思う
でも、スッキリした
脚が膝から曲げることが出来ないので
脚を引きずるように前に身体を押し出す
上半身、腕、首…使えるところ、全部使って前へ
走る…とは程遠いフォームで
40㎞通過
身体を前に倒すようにして全身の反動で前へ前へ
身体が痛みの塊のようだ
足下しか見えない
足下を見て前に動くことを確認する
ラスト500m
競技場へと続く坂道
登り切ると競技場
ゴールゲートが見えた
少し肩の力が抜けたところで再び脚が硬直
転びそうになってフラフラと蛇行しながらゴールゲートへ
倒れるところでYOMEがサッと抱えてくれた
すぐにその横に兄が肩を貸してくれた
YOMEは上着がビショビショ
すぐに帰ってくると思って傘もささずに待っていてくれたらしい
二人に抱えられながら、痛みと悔しさで涙が止まらない
両脇をYOMEと兄に支えられ
記録発行所のテントの下へ
既に外は叩きつけるような雨になっていた
2時間58分13秒
これが今の自分
これが今日、”完走”した自分
痛みと共に過ごし、等身大の自分とこれからの自分を知った時間
痛みの波が収まるまで、どれくらい時間がかかったのだろう
何とか着替えてタクシーで実家へ
とりあえず、動けるように凝り固まった筋肉を入念にストレッチ
支えがあれば何とか動けるようになった
駅まで車を出してくれた兄が一言
「始めて(レースを)見たけど…10㎞ぐらいなら、楽しそうだし、俺もやってみようかな…」
と
自分が走ることで何かが変わる
なんて思っていないが
”走る”ことで
少なからず誰かに影響を与えることが出来たのなら
何もプレゼント出来なかったこのレースでも
参加したことに意味があったのかもしれない
都内に戻ってくると
空は何事も無かったかのように晴れていた
YOMEがニコニコしながら桜を撮っていた
今までの自分
これからの自分
明日はまた新たな一歩だ
この痛みと共にこれからも前へ進んでいこう
とYOMEがゴールで待っていてくれたころ
激しくなっていくる雨の中
脚を引きずりゴールへ向かっていた
佐倉朝日健康マラソンに参加しました
YOMEは10㎞
私はフル
1月に手術を決意してから
入学前にフルを走って
走れた頃の脚と脚の状態を確認しておきたかった
2月のフルでは後半痛みこそ出たものの
何とか力押しで大崩れすることなく走り切れた
3月末、学生として新たな一歩を踏み出す前に
最後のワガママで走っておきたかった
幸いエントリー出来たのが、実家に近い佐倉のマラソン
両親、兄も始めてレースを応援してくれるということで参加賞以上の物をプレゼントしたいと思っていた
昨年までは18~39歳の部となり、タイムも2時間20分代でないと入賞出来ませんでしたが、今年から40歳以上のカテゴリー。昨年の記録を見ると、トップが2時間42分~40分代後半と、イーブンペースで走っても充分狙えると思っていました。
ただ、気がかりだったのは、2月のフルのダメージが酷く、3週間は股関節の痛みと違和感がずっと残っていたことと。レース直前の週も股関節に引っかかり感があり、これがどうレースに影響するのか…と不安もありました。
予報では、雨・風ともにかなり強くなるとのことでしたが、朝から雨が断続的に降っていたもののスタート直前はほぼ止んでいた状態。気温14℃、風もそれほどなく、このまま止んでくれていれば、絶好のコンディション。
すでに30分前から選手が並び始めていたので、アップもそこそこに列に加わる。先頭から4列目(2時間30~3時間のプラカード)あたりでスタート。
競技場を半周して外へ。それほど押し合うこともなく前に進めた。
前回のフルでは、ハーフまで3分30前後で走り、後半脚が持たなかったので、今回は抑えめで3分40~50でリズムを刻む。
3㎞通過あたりで、集団が3つになる。先頭集団4~5人、第二集団7~8人、第三集団5~6人となり、丁度いいペースで走っていた第3集団に付いて走る。
舗装された田園風景を走る感じだが、応援も誘導もしっかりしていたので快適に走ることが出来た。
10㎞過ぎあたりから小雨が降ってきたが、かえって気持ちいいくらいだった。
10㎞前後のエイドで用意したパワーバージェルを水で流し込む。
ペースも心拍も脚の状態も問題なし。
少し前に出たい気持ちもあったが、40歳以上のカテゴリーでは、3~4番手に付けていたので焦らず落ちてきたら拾っていくつもりで抑えて走る。
ハーフ通過までは予定通りのペースで1時間21分弱。
まだまだ余裕があったので、このままのペースでラスト3㎞前後で余力があればあげようか…と思っていた。
…が、ずっと脚に残っていた違和感(股関節の引っかかり感)がだんだんと痛みに変わってきた。
早い、まだだ
前回よりも痛みが強く、股関節から四頭筋につっぱり感が予想以上に強い。
痛みをかばうようにすると、今度はハムにも痛みが。
この感じ前にも味わったような…イヤな汗が出てくる。
だんだんとペースが落ちて、4分10秒前後となってきて頃、27㎞地点を通過。
そこでまさかの2時間45分のペースメーカーに抜かれる。
それと同時に遙か後ろだと思っていた後続集団がどんどん前に出てくる。
必死に食らい付くとするが、脚が根本千切られるように痛い
あまりに痛くて、なぜ自分がココにいるのか一瞬分からなくなったくらいボーッとしてきた
一瞬よぎる、リタイア
走るのも、歩くのも止めて、止まってしまえばいい
楽になれる
それでも良かった
でも、前へ進んでいた
進もうとしていた
なぜだろう
だんだん強くなる雨
スピードが落ちると途端に寒さを感じる
ペースは5分30まで落ちていた
痛くて痛くて…
脚を取り外したいくらい
無意識に頬をたたく
脚を前に出すと激痛が腰から全身に頭の先まで響く
頬を殴る
それでも腰からの痛みの方がその何十倍も痛む
走っては止まり
走っては止まり
何しているんだろう
走っては止まり
走っては止まり
涙が雨粒と一緒に落ちてくる
37㎞通過
エイドで水を受けとろうとして
一瞬、時が止まる
身体が、脚が動かない
自分の周りが止まっているのかと思ったら
自分がピクリとも動けなくなっていることに気付く
あれ
どうした
シューズが捕まれているみたいに動けない
脚が前に踏み出せない
膝が動かない
その時、思い出した
あぁ、カナダと同じだ
Ironman Canadaのラン
それまでの練習のダメージ
当日のバイクでのダメージ
これが自分の身体(股関節)の痛みがブレーキとなる
心拍も脚もまだ残っている
痛みが前に進ませてくれない
そうか、これが今の俺
次に進みたければ治す・直すしかない
でも、今はこの痛みが俺自身
全部、受け入れてやる
そして、この痛み、絶対忘れないから
時間にして数秒だと思う
でも、スッキリした
脚が膝から曲げることが出来ないので
脚を引きずるように前に身体を押し出す
上半身、腕、首…使えるところ、全部使って前へ
走る…とは程遠いフォームで
40㎞通過
身体を前に倒すようにして全身の反動で前へ前へ
身体が痛みの塊のようだ
足下しか見えない
足下を見て前に動くことを確認する
ラスト500m
競技場へと続く坂道
登り切ると競技場
ゴールゲートが見えた
少し肩の力が抜けたところで再び脚が硬直
転びそうになってフラフラと蛇行しながらゴールゲートへ
倒れるところでYOMEがサッと抱えてくれた
すぐにその横に兄が肩を貸してくれた
YOMEは上着がビショビショ
すぐに帰ってくると思って傘もささずに待っていてくれたらしい
二人に抱えられながら、痛みと悔しさで涙が止まらない
両脇をYOMEと兄に支えられ
記録発行所のテントの下へ
既に外は叩きつけるような雨になっていた
2時間58分13秒
これが今の自分
これが今日、”完走”した自分
痛みと共に過ごし、等身大の自分とこれからの自分を知った時間
痛みの波が収まるまで、どれくらい時間がかかったのだろう
何とか着替えてタクシーで実家へ
とりあえず、動けるように凝り固まった筋肉を入念にストレッチ
支えがあれば何とか動けるようになった
駅まで車を出してくれた兄が一言
「始めて(レースを)見たけど…10㎞ぐらいなら、楽しそうだし、俺もやってみようかな…」
と
自分が走ることで何かが変わる
なんて思っていないが
”走る”ことで
少なからず誰かに影響を与えることが出来たのなら
何もプレゼント出来なかったこのレースでも
参加したことに意味があったのかもしれない
都内に戻ってくると
空は何事も無かったかのように晴れていた
YOMEがニコニコしながら桜を撮っていた
今までの自分
これからの自分
明日はまた新たな一歩だ
この痛みと共にこれからも前へ進んでいこう