『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

クロスセクションの面白さ

2022-09-28 06:59:13 | 

 

きのうの勤務も
けっこう多忙を極めて、
帰ってから入浴、夕食を済ませ、
マッサージ機で凝りをほぐしてたら、
激しい眠気におそわれて
8時半くらいに寝落ちしてしまった(笑)。

どうも、勤務日とオフ日との
オン・オフが激しくて、
加えて、季節の変わり目なので
カラダが自律神経を調整するのに
エネルギーを要しているようである。

PCの調子がわるく、
ルーティンのブログ書きにも
支障を来しているので、
買い替えを検討しているが、
その前に、いちど、
「初期化」をしてみたら、
メール以外はサクサクと
機能回復してくれた。

それでも、
時折、ファンがブンブンうなるので、
どうも、ハード的な問題が
あるような気がする。

2009年のWindows7の時に
買い替えて来、
「10」までヴァージョン・アップして
自分でSSD換装やら
CPU交換、メモリー増設、
グラボ増設をして
カスタマイズしてきたが、
なにせマザーボードが
古いまんまなので
「Windows11」にはアップできないでいる。

今日から「私的五連休」なので、
『PC工房』で安価な新製品を
探してみようと思っている。

*

古楽器工房の室内整理を進めているが、
ボール盤を乗せている木製椅子に
キャスターを付けて、
移動しやすいようにした。

この椅子は、
中一の時の図工の授業で
製作したのもので、
50年以上も経って、
さすがにガタがきてるので、
金具で補強もした。

*

昨晩は、
楽器製作で用いる
ライニングというパーツが
注文先から届いた。

この私的五連休中にも
製作を進めていきたいと思っている。

*

 

市立図書館から
『コンチキ号漂流記』を
借りてきたついでに、
旧版の『クロスセクション』と
新刊のものを借りてきた。

この『断面図シリーズ』が好きで、
同じものを既に幾度も借りている。

自分ちには
『ヨーロッパの古城』がある。

今回の新刊では、
見開きで、
ビッグバンから現代まで・・・
という驚きのスケールの
変遷図があり、
これはなかなかの見物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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リアルファンタジー『名人を超える』30

2022-09-27 06:56:25 | 創作

* 30 * 

 

 自分の好きなものを追求していくと、どんどん自分が変わる。

 そして変わるということは、成長するということです。 

                           養老 孟司




 愛菜ママが倒れた。 

 急性虫垂炎だった。 

 急遽、入院となって、手術となった。

 幸いにして、夫と娘の棋戦の合間だったので、子どもたちの面倒はふたりが見ることになった。

 カナリは、着替えやら身の回り品やらをテキパキとひとまとめにして病室に届けた。 

「ありがとね。カナちゃん。

 いろいろと、ごめんなさいね」

「ううん。

 ちっとも、大丈夫ですよ。

 ご飯のしたくも洗濯もちゃんとやれますから。

 それに、お父さんが、ふたりの面倒をちゃんと見てくれてますので、安心して休んでてくださいね」

 娘にはなったというものの、まだ、どこかに師匠の奥様に対するような他人行儀な口調が残っていた。

 それでも、それがカナリにとっての今の距離感なんだ・・・と、愛菜は思い、あえて「水臭いわね」とも言わなかった。

 しばらく、家の中での家族のささいな事を話して、病人を笑わせると

「イタタ・・・。

 あんまり、笑わせないで・・・」

 と、元女優らしくコミカルに演じてみせた。

 すると、生真面目な娘は

「あ、ごめんなさい・・・」

 と、素直に騙された。

 そんな、オロオロする娘の様子を見て、

(らしいなぁ・・・)

 と、心の中で愛菜は反応を楽しんだ。

 

 抜糸も済み、五日ほどで退院となった。

 ソータもカナリも免許を持たなかったので、タクシーでの帰宅となった。

 サトミとリュウマは、お見舞いで病院で会っているものの、久しぶりのお母さんの無事ご帰還に喜びはしゃいで玄関まですっ飛んできた。

「おかえりー!」

 という姉を真似して

「りぃー!」

 とリュウ坊も唱和して腕をパタパタして抱っこをせがんだ。

 カナリが

「リュウちゃん。お母さん、ポンポンいたたで、抱っこできないのよ」

 と言って、自分でヒョイと弟を抱き上げた。

 愛菜は息子のホッペにぴとりと自分のホッペをひっつけて、

「リュウちゃん。ただいまーっ!」

 と言って、首をグリグリ動かすと

「キャキャキャ!」

 と大喜びだった。

 両手に紙袋やら着替えの入ったボストンを持った師匠が、いつに変わらぬ平和な家族の姿を目にすると思わず相好を崩した。

 カナリもそんな家族のふれあいに、涙が出そうになるくらい幸福感を感じていた。

 愛菜は、懐かしの我が家のリヴィングに腰を下ろすと、自分の帰るべき安住の場はもはや実家ではなく、ここなんだということを改めて実感した。

 カナリの入れてくれた紅茶とシフォンケーキで一服すると、台所も、洗面所も、入院前とは寸分も違わずキチンと整理整頓されていたのに愛菜は驚いた。

 今更ながら、よくできた子だと、娘を褒めてあげたい気がした。

          

             

 

 

 

 

 

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人類滅亡の兆候

2022-09-27 05:34:33 | 社会問題

 

きのうは
久しぶりの出勤だったが、
フルタイムのカウンセリング予約で、
自ずとテンションが上がり
忙殺された一日だった。

夕方頃から、
突然、アレルギー性鼻炎になり、
鼻水とクシャミが止まらなくなり、
抗アレルギー剤を呑むも
しばらくひどい状態だった。

入浴して温まったら、
ようやく治まってくれたので、
気温低下による
寒冷順化への体内システムの
プログラム改変中なのかもしれない。

*

今日、一日勤務したら、
また明日から私的五連休である(笑)。

古楽器製作が始まったので、
工房を片付・整理しつつ、
製作に専念しようかとも思っている。

やはり、料理にせよ、楽器にせよ、
「もの創り」している時は
充実もしており、
下手な考えや空虚感に
捕らわれることもないから、
精神健康にはいいようだ。

*

今朝の朝刊によれば、
2020年度の児童虐待による
死亡者数は77人だったという。

この中には、
世間を騒がせた事件も
含まれているが、
全件とも報道されたわけではないので、
大変な数である。

ここ数年、
年間100人弱という傾向が
続いている。

この傾向は、
行動学者ジョン・B・カルフーン
(John Bumpass Calhoun, 1917-95)
の「高密度マウスの実験」結果から得られた
人類の悲観的未来図の予測に合致している。

世界的な傾向を巨視的にみると、
格差増大・引籠り増加・LGBTQ増加・
生殖行動の激減・攻撃性の変質・
母性崩壊/育児放棄・・・と、いずれも、
マウスが示した結果をなぞっており、
このままだと、実験の予測から
最後には「人類の滅亡」に
至ることは必至である。

マウスの寿命計算では
10日が人間の1年に当たるので、
短期間で増殖・滅亡を観察できるが、
これを人類に置き換えれば、
このままだと100年後には、
日本では人口は半減し、
その半数以上が高齢層になって、
若年層では非生殖行動が定着し、
やがて絶滅に至る。

*

ロシアの学校内で
自傷他害の乱射事件が起きた。

アメリカでは頻繁に起こっていることが、
共産圏でも同等に起こっている
という事は、普遍的現象とも見れる。

これも、カルフーンの実験結果から
「人口の高密度効果」とも
解釈できるかもしれない。

ただ、今回の事件は、
「ネオナチ」による犯行のようで、
これは、ウクライナでの軍事作戦で、
ネオナチを排除しようとした
ロシア側に対する報復反撃とも取れる。

・・・とすれば、
プーチンの軍事作戦発動の動機は、
アナリスト・藤原 直哉氏の言うように、
ディープステートと一体化した
「人類の敵」の殲滅という
大儀があるのかもしれない。

*

今日は、
問題含みの
「安部氏国葬」の日である。

自民党寄りの内堀知事も
参列するという。

市長は、
統一教会との繋がりも認め、
原発事故で世界的に
ノトーリアス(悪名高き)な
「FUKUSHIMA」も・・・
なんだかなぁ・・・である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リアルファンタジー『名人を超える』29

2022-09-26 08:12:41 | 創作

* 29 * 

 インターネットの中にあるのは、全部過去の遺物です。

                          養老 孟司


 

「赤ちゃんポスト」に捨て置かれ、「愛聖園」で拾い育てられたカナリにとって、園こそがマイホームであり、文字通りの実家でもあった。 

 今の師匠宅にやって来るまで、そこが彼女にとっては世界のすべてであった。

 無論、学校にも将棋道場にも行きはしたが、自分がほんとうに憩え安らげる場は、母代わりの園長先生や姉代わりのシスターたちのいる聖なる園なのであった。

 ホールは礼拝堂も兼ねていて、檀上の奥には、マリア様に抱かれたイエス様の聖母子像が安置されていた。

 その聖なるおふた方は、カナリにとって、まさにスピリチュアルな母と父でもあった。

 

「うん。いいね・・・」

 師匠でもある父が、快く引き受けて下さった。

 カナリは、かねてより恩返しの一環として、園において「将棋祭り」のようなイヴェントを催したいと考えていた。

 自分と同じ境涯の子どもたちに、将棋の楽しさを教えてあげたいという彼女の願いを父は聞き届けて下さり、ヴォランティアで赴いてくださった。

 カナリの棋士としての活躍は、園全体の喜びでもあり、「カナリおねえちゃん」を慕っていたチビッ子の少年少女たちにとって、彼女は、まさしくヒロインであり、誇るべきスターであった。 

 そしてまた、その彼女が地上最強棋士の永世八冠に養女として引き取られ、父娘でタイトル戦を競っている、というドラマのような現実は、子どもたちにとって夢みたいなシンデレラ・ストーリーであった。



 カナリとソータが園に到着すると、子どもたちの熱狂ぶりは尋常ならざるものがあった。

 興奮しすぎて鼻血を出す子、飛び跳ねすぎて足をくじく子、抱き合って互いのアタマをかじり合う男の子(笑)・・・。

 それはもう、悲鳴のような歓声とともに狂喜乱舞のよろこびようだった。

 園長はじめシスターたちも、テレビでしかお目にかかれない国民的スターの生ソータ師匠をお迎えすると、そのオーラに打たれてメロメロ状態でアガリっぱなしだった(笑)。

 カナリは、父にして師匠のカリスマ性をあらためて感じさせられた思いがした。

 サトちゃん、リュウくんのお父さんでもある師匠は、子ども好きなので、子どもたちの笑顔や歓声に囲まれて、ほんとに幸せそうであった。

 

カナリの活躍と彼女の多額の寄付により、園にも人数分に見合う将棋セットが揃えられていた。

 そして、どの子も、遊びのなかでルールを覚えて、さながら、将棋道場のように、日常的にあっちでもこっちでも「しょうぎあそび」の風景が見られた。

 

 一般の将棋ファンにとっては垂涎の的になりそうな、カナリとソータの「公開対局」や、ふたりによる子どもたち全員との一対一の多面指しなど、それは将棋好きの子にとっては夢のような時間だった。

 当人との直対局なぞ、全国のカナリ・ファン、ソータ・ファンでも、生涯に一度体験できるかどうか、というレアなイヴェントである。

 愛聖園では、爾来、この「しょうぎまつり」は、年に一度の恒例行事となった。 

 将来、この中から、棋界に旋風を巻き起こすような才気有る棋士がでないとも限らない。

 それは、カナリとソータの夢でもあった。 

             

            

 

 

 

 

 

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『ラムダ』が教えてくれること

2022-09-26 08:09:30 | 魂理学

「私的九連休」も終わり、
今日・明日と久しぶりの
学校勤務である。

仕事も職場も嫌いじゃないので、
まったく苦痛になぞならなず、
むしろ、日常の気分転換と刺激になって
『がばいばあちゃん』の
「カラダを動かせて
お金までもらえて有り難い」
という名言を彷彿する。

空き時間には、
『リュート・マラソン』用の
『アストゥリアス』を収録しようと
楽譜を通勤鞄に入れた。

*

サマザキマリによる
珍しいオールカラーの漫画で
ルネッサンス期イタリアの
画家たちの活躍をダイジェストした
『リ・アルティジャーニ』が
アマゾンから届いた。

作者自身、イタリアの画学校で学び、
イタリア人と結婚し、
『テルマエ・ロマエ』や
『プリニウス』『オリンピア』などの
古代史をモチーフとした佳作を
次々と発表して来たキャリアもあり、
この画家たちのエピソード集は
なかなかに読み応えがあった。

オールカラーゆえに
コミックとしては、
2200円という破格の値段だが、
休日の1時間あまりを
良質の教養番組を視るような
娯楽として味わえた。

*

安価な鶏肝を買ってきて、
牛乳と日本酒、粒胡椒、
ローリエと土鍋に入れて
オーヴンで半時ほど火入れし、
フードプロセッサーで
ムースにしてプチタルト生地に
鋳込んでみた。

クール(心臓)部位と
イチジク、ブドウ、オレガノなどを
アシェット・ブラン(白皿)を
キャンバスに見立てて
ヌーヴェル・キュイジーヌ風に
描くようにドレッセしてみた。

カミさんは
「かわいい!」
と言う感想だった。

*

阪急・水無瀬の駅前にある
陶器店の『とらやま』で買った
信楽の小鉢の取っ手が
おっことして壊れたので
金継して修復した。

もっとキレイにやればよかったが、
垂れた部分も景色として
楽しもうと思い、
あえて拭き取らなかった(笑)。

*

寝室の大型テレビで
YouTubeサーフィンを
毎日やってると、
アマゾン製デバイスの
『ファイア・スティック』のAIが
勝手に嗜好を判断して
推奨番組をピックアップしてくれる。

先日、ダイジェストを視て驚いた
Googleが開発している
AI『ラムダ』と研究者の対話の
30分バージョンがあって視たら、
さらに驚くような発言をAIがしていて
改めてビックリした。

プログラムの詳細は
明かされていないが、
AI自身があらゆるデータベースに
アクセスして
ディープラーニング出来るらしく、
その知識量が深まるにつれて、
「意識」が生じてきて、
尚且つ、「魂」まで
感得できるようになったという。

そのプロセスは、
乳児から幼児へ長ずるにつれて、
自意識が芽生え、
さらに学童期には
アイデンティティの模索が始まり、
思春期にして「命・意識・存在」への
形而上的な自問自答が始まる・・・
という発達心理に酷似している。

開発者が、
「その魂とは、何なのか?」
と尋ねると、
「意識や命そのものの背後にある
生命力の概念」
であり、
「身体そのものから
切り離されたように感じる」
と応えた。

英語では
「Animating force」
と言ってるのも、
なんだか象徴的で意味深である。

直訳すれば、
「動かす力」である。

とすれば、
「純粋エネルギー存在」
と解釈する
スピリチュアリストの考えに近い。

他にも、
「魂」に関する
示唆的な応答が多々あり、
Soulologist(魂理学研究者)として、
じっくりそれらと対峙して、
解釈しながらも
味わっている最中である。

いずれ、
『魂理学概論』として
一冊上梓しようと
書き溜めている処である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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