毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
朝一で
皮膚科を受診してきた。
アテローマも
3週間でやっと
収束してくれて、
あとは排膿した傷口が塞がり、
皮膚が硬化すれば完治だという。
4回目の大炎症だったので、
また火山みたいに
何処からか噴火するのではと
戦々恐々である。
これもまた
「持ったが病」
というのだろうか。
***
これから
大寒波が到来するという。
今日は午後から
高畠のKさんが
今年最後のレッスンにおいでになるが、
高速バイパスのおかげで
大雪難所の栗子峠を
通らずに済むようになって
幸いである。
夜のH君のレッスンで
今年は仕事収めである。
来春は4日に
ファイナル・リサイタルの
共演者・阿部さんとの
合わせがあるので、
伴奏パートの写譜や練習を
年末年始はやらねばならない。
居間にはまだ
炬燵を出していないが、
カミさんの仕事場でもあるので
ほとんど自分はそこには居ず、
もっぱら電気毛布を炬燵代わりに
ベッドをカウチにして
足元の大画面テレビを見たり
読書をして過ごしている。
去年の真冬日には、
さすがに
敷き毛布タイプだけでは寒くって、
掛け毛布タイプもプラスして
サンドイッチになっていた。
その掛け毛布も
接触不良で廃棄したので、
サンドイッチが必要になったら
980円のを買いに行こうと思う。
茶庭の蹲(つくばい)に
キレイな薄氷が
半分張っていた。
きのうは10時から
ソータの棋聖戦があるのを
忘れていて、
午後2時頃にシステム・ノートを開いて
あわててアベマにアクセスした。
持ち時間3時間の棋戦だったので、
ちょうど中盤にかかっており、
互角の戦況だったので、
そこからじっくりと観戦した。
中盤は均衡がとれた
いい闘いだったが、
ソータが最善手を刺し続け
次第に差を拡げて
終盤は圧倒的差で終局した。
解説陣も
どこがターニング・ポイントだったか
わからない、とコメントするように、
ソータ独特の深く広い読みが
光った一局だった。
このまま勝ち上がれば
今季内に初タイトルに
手が届きそうである。
28日にも
棋王戦があり、
元旦にはすでに収録済みだが、
新人王獲得の記念対局に
これまで一度も勝った事のない
最強の豊島二冠との
ガチンコ勝負が見られる。
NHK杯同様、
収録対局ながら
まだ結果はどこにも
洩られされていないので
ライヴ同様に楽しめそうだ。
15年来、毎年、
紹介患者さんが
お世話になっているK先生から
「お歳暮」を頂戴して
たいへん恐縮している。
これまで
中高生や教職員が
数十名もお世話になり、
ありがたくも
みな健康になり
社会で活躍している。
お礼状と共に、
拙著やライヴCDなぞを
いつもお返しとさせて頂いている。
過去にはリサイタルにも
奥様共々、足をお運び頂き、
ありがたくも
「ブラボー!」コールを
かけて頂いたことがある(笑)。
ロンバケ・シンドロームがでた。
8時頃に起きて
いつものように
ひとり朝食と朝刊読みを済ませ、
さてブログでも書くべぇかと
お茶を飲みのみ
カタカタやっていたら、
いつの間にやら10時を過ぎてしまった。
階下に
洗面しようと降りたら
カミさんが起きてる素振りがないので、
心配になってガラリと寝室を空けてみた。
そしたら
もぬけの殻で、
家中どこにもいないので、
はて、朝っぱらから
何処に出かけたのだろう・・・と、
怪訝に思っていた。
ハテ (・_・?)
車がないので、
どーこ行ったんだろー・・・と、
しばらく考えていたら、
アラマ・・・そーいや、
まだ仕事収め前だった・・・(笑)。
なので、
いつも通りに
6:45に出勤していただけだった。
(´ε `/// )ゞ ヘヘ
***
子どもたちが
みな家を出て、
老母もホーム入りになってから、
ここ数年は、
カミさんと二人きりの
聖夜の晩餐になっている。
・・・といっても、
普段の夕餉よりも
目先の変わった
ディナー・プレートに
非日常的な料理を盛るだけである。
子どもたちがいる頃は、
喜ばせようと
オマールや伊勢海老の
テルミドール(オーヴン焼)なぞを
はりきって作っていたが、
老夫婦ふたりきりでは
鶏モモひとつを
分け合うような晩餐だった。
それでも、
出来合いの照焼をやめて
生の素材をグリルで火入れして
皮目をパリリと仕上げたら
「皮んとこが美味しいね」
とカミさんが喜んでいた。
「パテ・アン・クルート」は
思い切り手抜きで
出来合いのパイ生地に
半額だった生ハンバーグ
(2ケ160円)を鋳込み、
スパイス、ハーブを効かせ
カリリと焼き上げた。
これも
ナイフを入れた瞬間
「香りがフワ~ッと、たった~」
と喜んでくれた。
あとは、
クリームシチューに
ドライフルーツ入りのピラフ、
サラダに
「トウフ・オー・シノワーズ」
(豆腐の花椒炒め)と
週末“ひとりフレンチ”よりは
手抜き感のある晩飯となった。
我が家の「食卓の儀」として
鶏の丸焼きだの、
鯛の尾かしら焼きだの、
ホールケーキだのは、
トーチャンがナイフで
デクパージュ(取り分け)する。
欧米でもそれは
シェフ、主夫、亭主の役目だが、
元はキリストがパンとワインを
弟子たちに分け与えた
という行為に依拠する。
誕生日もそうだが、
クリスマスも
もの心つく頃から
ケーキを欠かしたことがない。
これを幸いと言わずして、
何が幸いであろうか。
もちろん、
ケーキも嫌いではないが、
それが一度も欠かさずに
食べてこれた人生こそが
幸多きものだったと
感謝したいのである。
ひと月も前から
方々からチラシが入り、
毎年、何処のものにしようかと
カミさんとあれこれ審議するのを
恒例としているが、
今年は還暦を過ぎたせいか
昔を懐かしんで
唯一バタークリームがあった
フジヤにしてみた。
幼い頃は、
それが主流であったし、
チョコレートや
生クリームが出てきたときには
驚いたものである。
亡父は子ども二人を喜ばそうと、
毎年、ホールのアイスケーキと
二種類買ってきてくれた。
子どもたちがいた頃には、
さすがにその真似は
できなかった。
懐かしのバタークリームは
昔よりは断然軽く仕上がっていたが、
アフターフレーバーに
フッとバターの香りが鼻腔に抜けた。
昔風レシピに合わせたのか、
ジェノワーズ(スポンジ)は
いくぶんパサつき感があって、
あいだのコンフィチュール
(アプリコット・ジャム)も
垢抜けない昔感があった。
フジヤの現代レシピは、
ふんわりした軽さがあるので、
やはり昭和世代を意識した
創りなのかもしれない。
カミさんは
「やっぱり、重いねぇ・・・。
ひとつで、たくさんだわ・・・」
と、珍しく
オカワリしなかった。
「あとは、オトーサンよろしく・・・」
と託されたので、
今日、明日と
チビチビと片付けなきゃである(笑)。
ランチのデザートにした後、
近所のエクセルシオールに
散歩がてらエスプレッソを
やりにいくのも
クリスマスっぽくていい鴨(笑)。
朝刊の県内版に、
発達障害が小中高で
9.300人ほど見られるという
県教委の調査結果が出ていた。
ただ、
正式に医師が診断したものでなく
学校での様子を観察してのものだが、
おそらくSCのアセスメントに拠るのだろう。
「医師法」「心理師法」では
「診断」は医療行為なので、
心理師は「アセスメント(心理査定)」と
言わねばならない。
院の師匠だった
MD(医学博士)の市橋先生からは
「DSMやICDという操作的定義の
国際的な診断基準によって
『診断』が一般にも解放されたんだ」
と教わったが、
さすがに学校教員が
「診断」という言葉を
口にされると抵抗があり、
それを改めさせている。
朝刊記事でも
「判断」としているが
それなら妥当であろう。
もっとも、
何をもって判断したのか、
「それらしい」では
科学的ではなく恣意的であり、
その程度の「疑い」で
障害者差別法の合理的配慮の
対象になるからといって
配布される告知マニュアルで
拙速、軽率に学校から
「告知」されては問題である。
「障害受容」は
当人や保護者にとっては
ナイーヴな問題なので、
ファミレス・アルバイターの
接客マニュアルのように
済むことではない。
それこそ、
ケース・バイ・ケースである。
たしかに、
適切な特別支援を享受するには、
当人や保護者が
「障害」を認めることから
出発するのが前提だが、
その「告知」「受容」というのは
一様に一筋縄ではいかないのである。
「障害」という言葉が
重くのしかかってきて、
保護者は涙し、当人も当惑するのが
少なくない。
ともすると、
教育現場では
SCという専門家に
その役目を期待されたり
負わされたりする場面が多く、
我われも細心の注意を払い
苦慮しながら対処している。
シゾ(統合失調症)や
デプ(うつ病)であれば、
すぐに保護者を召喚して
病理説明・心理教育をして
病院へ送るが、
こと「発達障害」系は
それを「個性」と開き直られて
学校側と関係性が悪くなることも
ままあるのである。
まずは、
『対応ハンドブック』なるものが、
手許に届いてから
検討することにしよう。
場合によっては、
市教委主催の連絡協議会で
問題提起して
議論する必要もあるかと思う。
教育行政側の
スクール・カウンセリング担当は、
2年ごとに交替する
「当て職」的立場なので
専門的見地に欠けることが間々あり、
これまでも随分と
不満を伝えてきた。
あんまり憎まれ口をきいてると
BLに載って仕事を干されるかもなので、
近頃では大人しくしているが・・・(笑)。
『トーキング松尾堂』で
番宣していたホラー映画
『来る』の原作を読んでみた。
朝7時から
寝床で読み始めたら
引き込まれて
1時まで一気に読んでしまった。
『ホラー大賞』作だけあって、
なかなか面白く読ませてくれたが、
後半はミステリーっぽく、
終盤は「化け物」とのリアル対戦という
なんだかゲームのようであった。
なので、
いかにも映像化しやすそうな
作品である。
作者は39歳で
阪大出で出版社、
フリーライターを経て
作家になったという。
怪談数寄だったようで、
知性とエンタメ性が
バランスよく融合しているが、
やはり予定調和的な解決なので、
気持ち悪さを残したまま、
という怪談にはなっていなかった。
他にも
数作品あるので、
怪談数寄としては
この機会に
読んでみようと思う。
室内栽培のイチゴが
イヴになって
やっと『半分、赤い』
状態になった。
『半分、青い』なら、
スズメっちである(笑)。
Eテレ園芸番組での
ペットボトル漏斗を
真似て水遣りしている。
昨晩は、
東山から満月がのぼり
イヴイヴらしからぬ
「和」な宵景色であった。
今朝方、
実家の山形に赴いたカミさんから、
「帰りケーキとってくるから、
鶏モモ買っといてね」
と仰せつかったので、
これから寒風吹きすさぶ中
テクテクと買出し散歩に
出かける処である。
今日は
日中の最高気温が
6℃なそうな。
強風がビュービューと
吹き付けているので、
体感温度はさらに
下回るだろうから、
スキー用の上下を着こんで
完全防寒で出ねばである。
ついでに、
古書店めぐって
怪談小説買ってこよっと。
きょうは
クリスマス・イヴイヴになるが、
「イヴ」はイヴニングのことで、
日が沈んだ24日の晩が
正式には「クリスマスの晩」になる
と研究者がテレビで言っていた。
じゃ、25日は?・・・
というと、
名残りを惜しむような
「後祭」のような
ニュアンスがあるそうな。
キリストの誕生日も
諸説あって、必ずしも、
25日が正解というわけではなく
暫定的な定説とされているようである。
へぇ~・・・
この歳になるまで、
ちぃ~とも知らなんだ、
である。
昭和世代は、イヴは、
ホールのケーキと
鶏モモが食べれる日、
と幼い頃から
刷り込まれてきた(笑)。
なので、
未だにその二つが
揃わないと
クリスマスという気分がしない。
子どもたちが
在宅していた頃は、
それにオマールだの
カニを加えて
赤々とした食卓だった。
去年は
ナツが帰ってきていたが、
今年は建築科の卒業制作で多忙らしく、
カミさんと予約してある
ホールケーキを
三日がかりで
喰わなきゃである。
毎日のように
散歩&古書店ブラウジングしているが、
ツタヤの新刊コーナーで
待望の『王様の仕立て屋』の
新シーズン第一巻目が並んでいて
嬉々として買って帰った。
今、新刊が待ち遠しいのは
これと『響』の二冊のみである。
永らく買い続けていた
『クッキング・パパ』と
『鬼平犯課帳』と『剣客商売』は
もうキリがないので
新刊購読をやめにした。
狐狸庵センセイが
言われていたように、
歳とっていい具合に
物忘れするようになったので、
これまで買い集めたものを
読み返すことにした。
それだけでも、
生きてる間に
全部再読できるか・・・
である。
『王様の仕立て屋』は
第4シーズンで、
52巻目になるロングランである。
唯一の紳士服飾マンガという
稀有なジャンルで、
薀蓄とギャグと
ハートウォーミング・ドラマが
ほどよくミクスチュアされていて
秀逸である。
自分にとっては
オシャレの教科書にもなっている。
茶室に
お客様を招くたびごとに
お香を炊いているので、
「沈香(じんこう)」がなくなってしまった。
京都では
新京極の鳩居堂まで
バスで買いに行ったが、
今は清明町の「ワタナベ商店」が
唯一の茶道具店なので
そこで求めている。
白檀(びゃくだん)は
沈香より安価なものの、
“お焼香”に用いられるものなので
どうしても抹香臭が
葬儀を連想させてしまう。
もっと安価な
ラベンダーや何やらの
変わり線香もあるが、
それだと
トイレの消臭剤を思わせて
やはり感心しない。
「沈香」とは
樹脂の成分で
水に沈むところから
その名の由来がある。
熾した炭の上にのせると
ジュクジュクと
その脂が溶け出して
得もいえぬ芳香を発する。
ガランとした
間の抜けた空間でも、
高貴な香りが漂うと
数寄の間に変貌する。
棚倉路で
細雪を纏った枯れ木が
紺碧の空を背景に
餅花が咲いたようだった。
昨日から今朝にかけて、
ニュースでは
「ゴーン再逮捕」
と
「羽生前竜王
27年ぶりの無冠に」
の話題一色である。
ゴーン、ゴーン、
と連呼されると、
どーしても…
♪鐘がゴ~ンとなーりゃよ、
あげ潮ぉ、南ぃさぁ~♪
…という
落語『野晒し』の一節が
思い浮かんでしまう。
検察も罪状を小出しにして
長期拘留を図ろうという
姑息な手段が見え見えだが、
なにせ、これまで
数々の証拠書き換えや
冤罪事件を起こしてるので、
その正義感も怪しいもんである。
羽生ちゃんの
タイトル100期の偉業は
潰えたが、
彼の事だから
引退までには実現するだろう。
八大タイトルのほとんどが
二十代、三十代棋士で占められ、
巷間「世代交代」と囁かれているが、
やはりAI前・後に
棋界も変遷したかのようである。
次の分水嶺は
「ソータ以前・以後」に
分かれるような気がする。
天才・羽生の後継者は
間違いなくソータなので、
シェルドレイクの
「形態形成理論」に拠れば、
次世代にはソータを負かす
「ソータ二世」が登場するだろう。
きのうは、
福高の先輩で
40年ほど前に
コンサートでジョイントさせて頂いた
S先生がご来宅されて、
楽しくお食事、お茶、音楽談義、
そして、リコーダーとのデュオを
させて頂いた。
趣味のフレンチで
ゲストをおもてなしするのは、
在京中来25年ぶりだったので、
心地よい緊張感と張りきり感を
味わえた。
毎週末、自分のためだけに
“おうちフレンチ”を創っているので、
手順は自分飯と一緒だが、
カミさん以外にお出しするとなると
そこに「気合い」も入るものである。
メインの
『ラグー・ダニョー(仔羊の煮込み)』は
前々日から低温で8時間あまり
オーヴンで火入れして寝かせたもので、
狙い通りの味とテクスチュア(食感)に
仕上げることができた。
最近の課題であった
アシメ(不均衡)のドレッセ(盛り込み)を
意識するあまり、プレートに余白を
取り過ぎて、上ずって
バランスが今ひとつであった。
書の落款のように、
余白にアクセントカラー(差し色)を
入れた方がよかったかもしれない。
フレンチに
英国風アフタヌーン・ティーの
スタンドを導入するのは、
反側技の「スティル・ブリゼ(崩し型)」
かもしれないが、
お茶室も手前も
裏千家の型から自由の
「無手勝流」になりつつあるので、
バカボン・パパに倣って
「これでいいのだ!」(笑)。
S先生にも
ご満足いただけたようで、
まずは安心した。
庭の大伐採から
家中の大片付けが始まり、
苔庭と茶室を創出し、
裏庭を耕してきたが、
居間の物置になっていた
違い棚を整理して掘り出した
ダイソー製ワインラックを
空のまんまに虚しく飾っていた。
そしたら、
S先生から
ポイヤックの
『ランシュ・バージュ』の
2009ヴィンテージを頂戴して、
第一号として堂々とラックに
収まってくれた。
英国圏では
「ランチ・バッグ」と称されて
愛飲されている
高価な有名ワインである。
セブンイレブンの
300円のチリワインでも並べて
慰みにしようかと思っていたので、
上段のクッキング・プーさんや
サファリ動物たちと共々、
「ビックラこいたーッ!!」
と魂消ている。
まさに
「準備ができると物事が成就する」
という
シンクロニシティック
(共時的)だなぁ・・・と、
感じている。
***
今朝方、
皮膚科で1時間も待って
アテローマの
処置をしてきた。
ドクターが
「袋の一部が破れて出てきましたね」
と見せてくれたので、
やれ嬉しやと
神様にお礼申し上げた。
袋さえ除去できたら
手術しなくて済むからである。
同じ部位での
再発はもうないようにと
お願い申し上げた。