今朝、朝刊を開いてみたら
本の広告があり、
昨日、55歳になったばかりなので
なんだか「新たな人生が始まる」
というフレーズに目を奪われた。
若い頃から
若造に見られたなくないと思い、
歳を多くサバ読むクセがあったのだが、
55にもなればもう十分かもしれない。
50代に入ったときは
さすがに、ちょっと
心に来るものがあったが、
同僚で同い年の先生から
こういうプレートを頂いて
いくらか慰められた。
50代は「老年の青年期」という言葉を
最近どこかで見た。
幼年期・学童期・思春期・
青年期・中年期・・・と歩んできた。
そして、いよいよ老年期である。
時折、それぞれのライフ・ステージを
自分は演じてきたような気がする時がある。
どうせなら、最後まで
すべての時期を楽しんでやろう、
と思っている。
その意味では55歳を
「新たな人生」の節目にしたい。
幸い、まだギターも弾けるし
(しかも若い時よりも円熟した)、
テニスもできるし、本も書ける。
でも、肉体の衰えは確実で
腎機能が半分で
腎性貧血と糖尿病の
一歩手前の数値である。
腹囲はまだまだメタボ脱出しておらず、
抗コレステロール剤もやめられない。
この冬休みは、あと3キロの
減量を成し遂げたいとは思っている。
☆(^(エ)^) (●^ε^●) (^=ω=^)☆
『魂理学雑談』
深い意識レベル
奈保子 先生が講義で取り上げられた、吉本ばななの『アムリタ』を読んでみました。
佐々木 で、どうでした?
奈保子 はい。あの夕焼けの描写は見事でしたね。
佐々木 でしょ。
「透明で、赤く柔らかで、巨大なエネルギーが、町や空気の目に見えない壁を通りぬけて押してくるような迫力だった。
息苦しいほどの、生々しさだった。
一日は一日を終えるとき、何か大きくて懐かしいほど美しいことをいちいち見せてから舞台を去っていくのだと思った。
・・・・・・
じょじょにその夕焼けが去っていくとき、何ともわかれがたい気持ちとすがすがしい感謝の気持ちが混じって、切なくなった」
奈保子 同じ景色を見ても、その人がどういう意識水準で受けとめたかで、まったく異なるんですね。
佐々木 そう。それがよう分からへん人にとっては、夕焼けは一生、単なる夕焼けであって、何の感動も起こらへんと思うんです。
奈保子 もっとも、毎日、こんなレベルで夕焼けを見れる人は「人生の達人」か、もう死期の近い人か、意識の過覚醒状態で精神病理的に危険な人やろうと思いますが・・・。
佐々木 なるほど。そうかもしれないね。私の尊敬する社会学の山崎達彦先生が、若いときに、五日間だけ世界の隅々が見えた体験がある、っていう話をしてくれはったことがあるんですね。
それで、そのとき
「先生。五日で済んでよかったですよ。もし、それ以上続いていたら、命が危なかったかもしれませんから・・・」
って申しあげましたら、先生はなんだか深くうなずいて納得して下さったんです。
奈保子 よく精神病の人が
「椅子そのものが見える」
とか
「世界のリアリティが実感できる」
と言うのを聞きますね。
佐々木 そういう変性意識のときは通常の自我にとっては、そうとうにヤバイときやと思いますね。
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