『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ルーター・チェンジ

2021-06-15 15:56:00 | パソコン
きのう
ブログを書いてる最中に、
いきなり「ネット回線」が切れた。

と、同時に、
室内Wi-Fiも切れて
スマホも影響を受けた。

ルーターを見たら、
オレンジランプがつき
「セキュリティ」システムが
作動してるというのだが、
これが、どうやっても解除できず、
もしかしたらWin10が
また余計なことしてくれての
ダウンかもと勘繰られた。

・・・というのも、
頼みもしないのに、
勝手に古いブラウザから
「エッジ」に自動的に切り替わったり、
頼みもしないのに、
タスクバーに
「ニュース・アイコン」を
埋め込んだりして、
大めーわくしている。

使ってたルーターが
2013年製で
Win7までしか
対応してなかったから、
なんだか、余計な
ファイアウォールを仕掛けて
機能ダウンしたのかもしれない。

現に、
ルーター側からは
「ファイアウォールを無効にせよ」
という設定変更指示がでた。

ウィルス防止の為、
そーもいかないから、
この指示通りにするわけにも
いかないし・・・で、
結局、Win10対応の
最新ルーターに交換せざるを得なかった。







長らく、
『バッファロー』一筋できたので、
今回で三代目である。

今週の土曜に
最新型が発売されるとあったが、
それまで待てないので、
2020年製の中堅タイプで
よしとした。

市内の家電店と
PCショップを回る覚悟でいたが、
一軒目の『ヤマダ電機』で
ネットで下調べしてた機器が
それより安価だったので、
即決した。

8.300円で
「Wi-Fi6」という
最新型らしく
従来の1.4倍の速さだという。

付け替えてみたら、
気のせいか、
ちっと速くなったかなぁ・・・
という程度の体感速度であった。

そんでも、
同時に、カミさんのPCと
寝室のネットテレビと
スマホを使っても、
それぞれに無線供給されるらしく、
旧機よりサクサク見られそうではある。

二階に親機があるので、
階下では、カミさんも
ナッちゃんも、
つながりがわるい・・・
とこぼしていたが、
今度は「最強」と表示されるほど
電波が強いので
エニー・フェア・OK
である。








野田にあった
『十割そば会』が
近所にオープンしたので
さっそく行ってきた。

ここは
「大盛り無料」なので、
550円の「せいろ」を
一枚手繰(たぐ)ってきた。

落語界では、
蕎麦は「たぐる」という。

元来、
"鮨っ喰い"
ではあるが、
あまり
"蕎麦っ喰い"
ではない。

でも、
梅雨入り前の
夏日に、
シコシコ、ツルリ
っていうのも、
江戸っ子を真似るようで
八つぁん気分を
満喫できた。




春休み中の仕事として
漱石の『夢十夜』の
深層分析を一か月かけてやり、
先日、やっとそれを上梓した。

そして、今度は、
夏休みにかけての仕事として、
養老先生の著作集から
自分用の『箴言録』を
作ろうと思っている。

それは、
おとつい『運のつき』を再読して
思いついたばかりである(笑)。

それで、昨日は、
『バカの壁』を再読して、
朱線を引いた箇所を
全頁、抜粋して
書籍用に段組みを始めた。

いちどは感心した内容ながら、
何が書かれていたか
さっぱり思い出せなかったが、
こうやって『箴言録』に
抜粋してみると、
なかなか含蓄に富んだフレーズが
多くあり、再勉強になった。


***


『バカの壁』より(・・・一部)


 問題には様々な解答があり得るのです。
 そうした複数の解を認める社会が、私が考える住みよい社会です。
 でも多くの人は、反対に考えているようですね。
 ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。



 人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。
 とりあえずの答えがあるだけです。
 私はそう思っています。
 でも今の学校で学ぶと、ひとつの問題に正解が一つというのは当然になってしまいます。
 本当にそうか、よく考えてもらいたい。


 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教は、現実というものは極めてあやふやである、という前提の下で成立したものだと私は思っています。
 つまり、本来、人間には分からない現実のディテールを完全に把握している存在が、世界中で一人だけいる。
それが「神」である。
 この前提があるからこそ、正しい答えも存在しているという前提ができる。
 それゆえに、彼らは科学にしても他の何の分野にしても、正しい答えというもの徹底的に追及できるのです。
 唯一絶対的な存在があってこそ「正解」は存在する、という事なのです。


 常識、コモンセンスとはどういうことでしょうか。
 十六世紀のフランスの思想家モンテーニュが語っていた常識とは、簡単に言えば「誰が考えてもそうでしょ」ということです。
 それが絶対的な真実かどうかはともかくとして、「人間なら普通こうでしょ」ということは言えるはずだ、と。


「科学的事実」と「科学的推論」は別物です。
 温暖化で言えば、気温が上がっている、というところまでが科学的事実。
 その原因が炭酸ガスだ、というのは科学的推論。
 複雑系の考え方でいけば、そもそもこんな単純な推論が可能なのかという事にも疑問がある。
 しかし、この事実と推論とを混同している人が多い。
 厳密に言えば、「事実」ですら一つの解釈であることがあるのですが。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« またまた日にち越え・・・ | トップ | コクピット改造 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

パソコン」カテゴリの最新記事