毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
きのうは
まるで厄晴れのような
軽快な体調で喜んだが、
今朝はまた
体痛と腹部膨満感で
目が覚めた。
もう、体調変化の
ジェットコースターに
振り回されっぱなしである。
でも、コロナや
持病の重症化でないだけ
有り難いと思うことにしている。
秋晴れの
爽やかな日だったので、
久しぶりに散歩にでかけ、
近所のコスモスや
ムラサキシキブの可憐な色に
目を楽しまされた。
午後からは
半日、夕餉の支度をしていた。
サラダをゼリー仕立てにしようと
テリーヌ型に入れて
氷水で冷やし固めた。
スライスした時の
断面の模様を楽しみにしていたが、
ドレッセする時に、
軽く湯煎して取り出すつもりが
熱が入り過ぎて
ゼラチンがゆるんで
ドロドロのオバケみたいに
なっちまった(笑)。
しかたく
溶けたナマコでも切るような気分で
切り分けたが、
見るも無残で、
さすがのカミさんも
これには一切手を出さず
「オナカいっぱいだから、いい…」
と見捨てられてしまった(笑)。
安価だった塩サバを
軽くレンチンしたあと、
リンゴ酢と黒酢に付けて、
そのあと炙ってから
プチバケットで
"サバサンド"にした。
これは、
なかなか美味しかった。
トルコのボスポラス海峡沿いの
船屋台での名物だそうな。
おでんの具材であまった
イワシのツミレに
ハンペン、卵、生クリーム、
ホワイトソース、鶏肝、豚挽肉を
フードプロセッサーで合わせ、
濾してからパイ生地で焼いた。
ツミレの魚臭さと
鶏肝の匂いを消すのに
コニャックとシェリー酒を
多めに入れてみた。
さすがに
フォアグラのような
香り豊かなものにはならなかったが、
市販のレバーペーストよりは
いくらかフレンチ風には仕上がった。
ゆんべの
9時のニュースで
「さいとう・たかを」氏が
亡くなったことを知った。
84歳だから、
もう十分なご老体である。
それでも、
未だに、『ゴルゴ13』や
『鬼平』の主人公の顔だけは
手掛けていたというから
大したものである。
その『ゴルゴ』も
先日、単行本で201巻に達し
ギネス記録となったばかりである。
氏の遺言で、
自分なきあとも
スタッフたちで『ゴルゴ』は
続けていってもらいたい・・・
とのことだった。
そんなんで、
追悼版がでるやもしれない。
***
新総裁に岸田氏が当選したらしいが、
どうも「総理」と呼ぶには、
なんだか輪郭が明瞭でないお方である。
アンリ事件の
1億あまりの選挙資金については
何一つ説明せず、
地元の県連の合意を
踏みにじったというので
前途多難なものである。
個人的には
おっかさん的な
野田セーコちゃんを期待していたが、
なんでも、週刊誌によれば、
ダンナが元暴力団というから、
ホントかウソか知らないが、
それでは、どうやっても
総理にはなれないだろう。
更生して社会復帰した人を
差別してはならないのは道理だが、
「世間」というのは
いまだにその出自に拘るものである。
これは、一種の
"日本教"といってもいい。
マコ様のフィアンセの
おっかさんが不正受給疑惑がある
と週刊誌で騒がれているが、
皇室に犯罪者の親戚ができることを
やはり「日本教徒」は
嫌がるのである。
きょうは
ナッちゃんの誕生日である。
25歳になっても
まだ子ども時代の呼び名で
親も兄たちも呼んでいる。
大阪に転勤になったお兄ちゃんが
東京に建てた家に
今はアキと二人で同居しているので、
親としては何かと安心だが、
失業中のアキがなかなか
再就活してる様子がないので
心配している。
私的10連休が明けて
今日から学校勤務だが、
まだ、体調は十分とはいえず、
今朝は背中の痛みがある。
むかし
マッサージの先生から、
胃腸炎になると
その反射として
背中が凝るというのを
聞いたことがあるが、
そのせいかもしれない。
きのうは
ツタヤにコミックを借りに
散歩がてら出かけてきた。
いつもの原っぱには
またアスパラが
あちこちに芽吹いていて、
3本ほど収穫してきた。
帰宅後、
さっそくフライパンで
乾煎りして火を通し、
ゲランドの『フルール・ド・セル』
(塩の花)で味わった。
野性味のある香りが強く、
味も濃かった。
長らく行方不明だった
『墨縁』の書が
古い箪笥の引き戸で
きのう見つけたので、
久しぶりに玄関室礼に飾ってみた。
もう、
30年も前に
中国への修学旅行の
交流会で知り合った
高校の生物教師の
単先生によるもので、
その書道家としての
能筆ぶりには感心させられた。
30年の経年劣化で
ずいぶんとシミが生じてきたので、
いちど、ネットで
シミ抜き法を検索して
修復したいと思っている。
吹き寄せ籠には
栗と楓を飾った。
二階の窓から
手を伸ばして手折った
柘榴の実を
炭籠に活けてみた。
ツタヤで借りてきた
「山本あり」という作家の
フルカラーの3冊の『パンの本』が
どれも面白く、
味わい深く眺められた。
手元にも置いときたいので
アマゾンで中古本を
3冊注文した。
かつて全集を持っていたが
ヤフオクで処分してしまった
『ナッちゃん』を
また読みたくなって、
チョボチョボとヤフオクや
アマゾンで廉価本を買っている。
主人公は
コテコテの大阪弁だが、
町工場の鉄工所が舞台で
その蘊蓄も面白い。
久しぶりに
Y中に出勤したら、
朝方の地震のせいで、
キャスター付きキャビネットが
壁から離れていて、
飾りのスタンド類も倒れていた。
県内独自の
『緊急宣言』のお達しにより、
狭いカウンセリング室から
隣の広い視聴覚ルームに
場所替えを管理職から
命じられた。
カウンセリング室は
エアコンがないので、
真夏日になると冷房が効く
この部屋を
臨時の避暑地としていた。
校舎は新しくなったが、
古くからある伝統校なので、
昭和24年の着物姿の
PTA会長遺影から
現在までずらりと
厳めしい顔で見降ろされて
居心地はあまりよくない(笑)。
それでも、
視聴覚機器は
最新のものなので、
カウンセリング室に
常備してるCD類を
天上スピーカーで鳴らせて
空き時間には
快適感もないではない。
きのうは
図書館から借りてきた
哲学の平易な本を
流し読みして
新しい概念なぞを
いくつか勉強した。
最近、
古代インド哲学や
中世イスラム神秘主義を
勉強して、
大分と「存在と意識」の関係について
自分なりに腑に落ちるような
解釈が得られた。
哲学書のなかは、
それこそ哲人たちの
さまざまな思考実験の
オンパレードであった。
古代、中世の哲学や仏教学が
最新の量子力学の知見と
シンクロしているのは
まことに不思議で面白い。
談志家元が
かつて
【学問なんて貧乏人の暇つぶし】
という
色紙を書いてくだすった。
ほんに、その通りで、
アタマん中で
あれこれ考え、
100円のノートに
ごちゃごちゃ書き散らしてる分には
まったく金がかからず、
尚且つ、エキサイティングな
宇宙や現象界の理解ができる。
それは、
根本問題でもある
自らと神も含めた
万物の「存在の意味」を
知る事であり、
自らを根源からアイデンティファイし
セルフ・オリエンテッド
(自己定位)して
安心立命を得ることにもなる。
また、
時折、カウンセリング室で
お目にかかる
「哲学病」の子どもたちとの
対論や心理教育にも
役立つのである。
「自分とは何か?」
「生きる意味とは何か?」
「在るとは、どういうことか?」
なぞという
根源的な疑問に捕らわれたら、
学校なんぞ行ってる場合じゃないし、
無意味に思える
五教科なんぞやれるわけもない(笑)。
世の大多数の
マジョリティは
形而上的な問題を忌避して
形而下的な現実問題に固執して
「苦労」し「悩み」し「病んで」、
そして、はしゃいで、浪費し、
酔ったような状態で
生涯を終えていく。
なので、
「悟り」とは
「目覚め」「覚醒」と
同義なのである。
やっと
体育館内が
適温になり、
ピアノの練習が捗った。
半時ほどの
集中練習で、
汗ばむほどだった。
当たり前だが、
真冬の7℃くらいだった館内では
回らなかった指も
解き放たれたように
よく動いてくれた。
笑い話で、
楽器を全く弾けない人から
「指の動きがすごいですね」
と、ギターでも
ピアノでも言われるが、
指が動かなきゃ
楽器弾けないじゃん…て、
当たり前のことを
どーして訊くんかしらん…
と可笑しくなる事がある(笑)。
庭の袋掛けしたサクランボが
いっせいに色づいたので、
いっせいに収穫した。
今回は、
はじめて袋を
ステプラーでとめてみたが、
これが案外楽だった。
ただ、今度は
袋から取り出すのが大変そうで、
おけつん処を
ハサミでチョキチョキやるのが
いちばん手っ取り早そうだ。
年ごとに
少しずつ実が肥大してきて、
裏庭のユスラウメよりも
ようやくひと回り大きくなったが、
まだまだ市販の大きさには
及ばない。
でも、
我が庭から
真っ赤なチェリーが
もいでとれるのは
夢があって
なんかいい・・・(笑)。
仕事から帰宅したら、
郵便受けに
2冊小包みが入っており、
なんと、同じ巻を
勘違いして注文してしまい、
愕然とした。
_| ̄|○ ガックシ・・・
(▼ε▼メ)…凹ンダァー!
本屋や古書店でも、
たまーに、
同じのを買うのをやらかすが、
ネットでポチッて
やらかしたのは
初めてである。
これも
「中高年あるある」
だったら
いいのだが…(笑)。
以前には、
ヨークの衣料品コーナーで
同んなじ柄の
クレリック・シャツを
二度買いしてしまい、
サービスカウンターにいた
中学の同級生・片平さんに、
別物と交換してもらった(笑)。
そん時は
「わたしもよくやるから、
気にしないほうがいいよ」
と笑って慰められた(笑)。
「ほんでも、
自分の趣味は
一貫してて、安心したよ」
と照れ隠しに
アタマをかいた。
(^▽^)>テヘヘ…♪
ブログにしても、
同じ事をなんべんも書いてるが、
最近では
「落語家だって、
歌手だって、同じネタや
持ち歌をなんべんも
やってんじゃん」
と居直っている(笑)。
***
ホラー漫画家・
伊藤 潤二の代表作
『うずまき』を読了して、
衝撃を受けた。
そのシュールなタッチと
グロテスクな表現は
キモチワルイ限界の
ギリギリのエンタメである。
『憂国のラスプーチン』の
原作者・佐藤 優は
『あとがき』で、
この傑作をもって
伊藤は天才である、
と大絶賛しており、
作品に秘められた象徴性を
「資本主義」に置き換えて
さすがの解釈を示していた。
『人間失格』も
面白く読了したので、
今、アマゾンに
『地獄星レミナ』という
一巻物を注文した。
2か月ちかく、
20回ほど鍼治療に通い、
同時に、散歩やら尻筋運動を
継続してきたので、
近頃、徐々にその効果が
顕われてきたような気がする。
一年でいちばん
寒い時季にあって、
オシリ鈍痛が以前よりも
軽くなってきた自覚がある。
毎年の「長風邪」の原因が、
睡眠時の口呼吸にあると
判明したのも、
精神的にホッとして
ストレス因がひとつ軽くなったのも
良かったのかもしれない。
その対策に、
寝る前の口テープをして
四日ほど経つが、
以前のような倦怠感が
なくなって喜んでいる。
口周りの違和感も
徐々に慣れてきた。
当たり前だが、
人間、寝ている最中に
口を塞がれても
ちゃーんと覚醒時と同じく
鼻でスースー息してんだなぁ…と、
なんだか、不思議に感心した(笑)。
なので、
花粉症のシーズンになり
鼻詰まり症状が出たら、
その時は「ウェット・マスク」を
しようと思っている。
アマゾンとヤフオクで、
コミックやらCDを
いくつか注文したり
落札したりしてるので、
連日、何かしら届く。
きのうは
愛読している作家・
きくち正太の
『はなれのおねえさん』という
グルメ漫画が届いて、
"ぼっちランチ"後に
ベッド・カウチで横んなって
楽しく読んだ。
漫画・まんが・マンガ・コミック…は
幼い頃、長期入院中の病床の友であり、
気慰みの最たるものであったので、
今もって、生涯の娯楽の一つである。
誰も居なくなった子ども部屋と
居間の一角には
コミックが一千冊くらい
ぞろりと揃えてあり、
手持ち無沙汰な折や
シエスタの前奏曲として
そこからセレクトする。
秋田出身の作家・
きくち正太の作品だけでも
50冊以上揃えている。
きのうのお昼は、
前日に焼いた「牛のパイ包み」の
半分をさらに四半分にして
二皿にドレッセして
ソースだけ変えてみた。
パイの表面をカリリと
再生するのに
二度火入れをしたので、
中の牛は超ウェルダンに
締まってしまったが、
ま、それはそれで…
噛み応えとして楽しんだ。
ガルニ(添え合わせ)は、
カミさんの作った煮物の
残りもんを
「ポトフ・ア・ラ・ジャポネ」
に見立ててみたが、
如何せん醤油色である(笑)。
「コンチャ・イ・トロ」の
甘口ヴィーノ・ブランコの
「モスカート」種が
けっこうよく合ってくれた。
単純な「八方盛り」には
何処か稚気を感じないでもない。
ま、ドレッセ自体が
お遊びなんだから、
ま、いっか…である。
今朝の朝刊に、
トヨピーの竜王就任式の
記事が載っていた。
ついこないだの朝日杯戦で、
これまで6連敗していた
ソーちゃんが、やっと
一矢報いた「宿敵」でもあるが、
彼もまだ26歳の青年なのである。
羽生ちゃんが
急病で入院した第四戦では、
セッティング済みだった
福島の会場のファンを
ガッカリさせまいと、
わざわざ来福して
和服姿で代替イベントに登場し
ファン・サービスをするという
粋な事をやってくれたので、
好感度がアップした。
そう。
彼もまた、
将棋を誰よりも愛する
好青年なのである。
竜王戦は、
例年、第四戦目が
飯坂温泉の「吉川屋」と
決まっており、
ソーちゃんが
順調に勝ち進んでくれば、
来年の一組のトップになれば
トヨピーとのタイトル戦となる。
そしたら、
前夜祭のパーティーが催されるので、
なんとか先着100名の切符をゲットし、
「生ソーちゃん」に会いに行きたい。
できれば、
ツーショット撮りたい!!(笑)
そーだ。
それを、近未来の夢と
生き甲斐としよう。
それまで、
コロナ禍が収束してくれることを
願いたい。
リアル孫の
「リク坊」ちゃんと
名誉孫の
「ソーちゃん」に会えたら、
もう、自分の人生は
ミッション・コンプリートでもいい(笑)。
もう、何の悔いもない…(笑)。
あ、そだ…。
ソーちゃんの
「八冠制覇」も
目撃するんだったぁ…(笑)。
コロナ禍の影響で、
去年の1月から11月までに
小中高生が440名も自殺し、
過去最高となった。
まさに、痛ましい数字である。
自分も仕事柄、
そのゲートキーパーの一人で、
文科省から「自殺防止」の徹底を
文書で受けている。
幸い、
一年間、取り組んできた
希死念慮をもつJCが二人
改善してきたので、
峠を越えたと、ひと安心しているが、
油断は禁物なので、
経過観察とフェローアップを
怠らないようにしている。
災害援助などでは
支援する側も
バーナウト・シンドローム
(燃え尽き症候群)
に陥りやすいので
注意せねばならない、
という問題が
心理師の国試にも出た。
そうなのである。
コロナ禍にあっては、
ゲートキーパーや
サポーターも、セラピストも、
同じく、コロナ禍の傘下にあるのである。
それでも、
デルフォイの神託にある
【病んだ者が また癒す】
というのは、
サイコセラピストの
座右の銘でもある。
「懸命」という字義のように、
まさに
「命を懸けて」こそ
「命を削って」こそ
"人助け"というのは
出来るものなのかもしれない。
極寒のポトマック河に
墜落した飛行機事故では、
ヘリから吊り降ろされた
救助浮き輪を
自分よりも先に老婦人に譲り、
その何分か後に再度、
救命具が下ろされた時には、
かの男性は力尽きて
川底に沈んでいた。
これこそが、
我が身を犠牲にしての
「命懸け」の姿の
最たるものを目に見せられた。
これを
「勇者」とも
「英雄」ともいい、
「聖人」ともいう。
きのうは
今学期最後のY中を
病休した。
楽しみにしていた
クリコンに出られず、
返す返す残念であった。
でも、一日、
寝養生していたので、
今朝はだいぶ調子がいい。
でも、
おとついのように
良くなったと思って出勤したら
翌日わるくなったので、
油断は禁物である。
何せ、寒気と
期末疲れが病因なので、
十分な休息と栄養と
保温、補液が
必要と思われる。
ツタヤから
8冊まとめ借りしてきた
『チェーザレ』をずっと
読みながら寝ていた。
最新刊の12巻だけが
揃ってなかったので、
11巻まで読了後に、
アマゾンに注文した。
ルネッサンス期の物語なので、
リュートも登場するが、
その演奏スタイルが
右小指を表面板に付けて
フィゲタ奏法という
親指を人差し指の内側に入れる
「サム・インサイド」の形に
正確に描写されていて感心した。
きっと、
実際の演奏者を観察して
模写したのだろう。
それに比して、
『マロニエ国の七人の棋士』
の方は、まるで
ギターを弾くような
im(人差し指/中指)での
「サム・アウトサイド」奏法で
正しい描写にはなっていない。
『チェーザレ』では、
ガンバ奏者の弓の持ち方も
正確なペンシル持ちになっていて
感心した。
物語全体が
徹底した時代考証がなされており、
不定期連載ということもあって、
4年ぶりに新刊が出る、
といった塩梅の遅筆のようである。
それでも、
近年、稀に見る
名作漫画である。
Mセンセんとこの
パイナップルが
二度目の結実をして、
雪景色をバックに
面白い絵になっていた。
株分けして頂いた
我が家のものは
葉っぱは元気よく
伸びに伸びてるが、
中心部に花らしきは
観察できない。
来季は
結実してくれることを
期待しているが、
それにしても、
家でパイナップルが栽培できるとは
なんだか不思議な気分である。
全く実の付かない
庭木のレモンや
ブルーベリーも
サンルームで鉢植えにしたら
ひょっとして結実するかもである。