八つ裂き

 「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:30)

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 「切って、捨て」ざるを得なくなる。
 私が聖書を手に取ったのは1999年だが、2007年の今、この身は八つ裂きと言っていいかもしれない。
 「ある瞬間」から、そうなった。望んでそうなったわけではない。
(「ある瞬間」そのものは、当然望んでいた。)

 よくしたもので、イエスは八つ裂きの体なりの生き方、「からだの一部を失っ」た身としての生き方を、手取り足取り教えてくれているかのようだ。
 それは自分の生来のそれとは異なるので、痛みのあることも少なからずある。 それでも、五体満足の行く末よりもずっと希望があるとのことだ。
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コメント
 
 
 
八つ裂き (ABE)
2007-05-19 08:07:39
聖書のこの箇所を、このように書いた方に初めて出会い、とても新鮮で、思わず「アーメン」しました。
本当に、私たちは八つ裂きにされた存在で、痛みを感じながら「主よ、主よ」と叫びながら、その方の尊さを味わっている者たちです。
 
 
 
どうもありがとうございます (Levi)
2007-05-19 13:31:00
 ABEさん、コメントをありがとうございます。
 聖書のどこに書かれていたか忘れましたが、主の剣はほんとうに鋭いですね。
 ですが、その「鋭いメス」による「外科手術」によってしか、私たちは「助からなかった」…、そのようにも思います。
 
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