イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
カレンダー
2024年6月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | ||||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | ||
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | ||
30 | ||||||||
|
goo ブログ
過去の記事
カテゴリ
最新の投稿
イエス同様「彼」は世界から捨てられる一方で「彼」は神に受け入れられる |
響き渡り続けている声 |
観念ではない信仰 |
信仰は聞くことから始まる |
十字架と復活を信じる |
義は目的なのか手段に過ぎないのか |
『神に不正があるのですか』 |
キリストに愛されているという実感 |
神が義と認めてくださるということ |
『益』とはなにか |
最新のコメント
サトシ/キリストの道筋 |
サトシ/罪深い肉と同じような形 |
サトシ/ひとりの人の不従順、ひとりの人の従順 |
Levi/神との平和 |
ネコ/神との平和 |
Levi/新しい約束 |
み/新しい約束 |
Levi/隠された宝 |
ABE/隠された宝 |
Levi/小さき門 |
最新のトラックバック
ブックマーク
プロフィール
goo ID | |
levi9183 | |
性別 | |
都道府県 | |
自己紹介 | |
連絡先:crlh[]goo.jp
返信は気長にお待ち下さい。 |
検索
gooおすすめリンク
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
八つ裂き
「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:30)
---
「切って、捨て」ざるを得なくなる。
私が聖書を手に取ったのは1999年だが、2007年の今、この身は八つ裂きと言っていいかもしれない。
「ある瞬間」から、そうなった。望んでそうなったわけではない。
(「ある瞬間」そのものは、当然望んでいた。)
よくしたもので、イエスは八つ裂きの体なりの生き方、「からだの一部を失っ」た身としての生き方を、手取り足取り教えてくれているかのようだ。
それは自分の生来のそれとは異なるので、痛みのあることも少なからずある。 それでも、五体満足の行く末よりもずっと希望があるとのことだ。
---
「切って、捨て」ざるを得なくなる。
私が聖書を手に取ったのは1999年だが、2007年の今、この身は八つ裂きと言っていいかもしれない。
「ある瞬間」から、そうなった。望んでそうなったわけではない。
(「ある瞬間」そのものは、当然望んでいた。)
よくしたもので、イエスは八つ裂きの体なりの生き方、「からだの一部を失っ」た身としての生き方を、手取り足取り教えてくれているかのようだ。
それは自分の生来のそれとは異なるので、痛みのあることも少なからずある。 それでも、五体満足の行く末よりもずっと希望があるとのことだ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 何を求めるのか | 除幕式 » |
本当に、私たちは八つ裂きにされた存在で、痛みを感じながら「主よ、主よ」と叫びながら、その方の尊さを味わっている者たちです。
聖書のどこに書かれていたか忘れましたが、主の剣はほんとうに鋭いですね。
ですが、その「鋭いメス」による「外科手術」によってしか、私たちは「助からなかった」…、そのようにも思います。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。