『神に不正があるのですか』

 「このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:10-16)

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 「神に不正があるのですか」、理不尽な目に遭うとき、また、復讐したくてたまらないようなときなど、私たちはしばしば神の不正を疑う。あるいは神が裏切ったとすら感じる。
 しかし、それはそうではない。
 なぜなら、神は常に正しいからである。より正確に言うなら、正しさの基準は神なのである。
 復讐などしたくなる卑小な自分は正しさの基準など持ち合わせていないし、もし、それでも自分が正しいとするのなら、それはむしろ不信仰なのだろう。
 理不尽な出来事をお許しになった神が、どんな場合でも常に正しい。

 その、正しさの基準であるところの神は、「自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」。
 長子であるエサウではなく、ヤコブ、あの卑劣なヤコブが愛されるのである。
 人間の頭で考えると、なぜそうなるのか理解がいかない。長子に相続の権利があるのは当然のことではないか。
 しかし人間がどう頭をこねくり回そうと、これこそ神の正しさ、また、あわれみなのである。
 そうであるから、私たちはこの神にこうべを下げて祈りを捧げる。

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[一版]2017年12月30日
[四版]2024年 4月21日

 イエス様の平安がありますように!

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