隠された知恵

 「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。 
 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。」(1コリント2:6-10)

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 「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります」。
 今まで、神はこの世の知恵を愚かにした(1:20)とか言っておきながら、成人の間では知恵を語るのだとパウロは言う。
 しかしここでパウロが言う知恵とはこの世の知恵とは異なるもので、「隠された奥義としての神の知恵」を指す。

 それは、目が見たことのないものである。
 また、耳が聞いたことのないものであり、そして、人の心に思い浮かんだものですらないものである。
 しかし、その隠された知恵は御霊によって啓示される。
 「啓示」なのだから、人間が調べたり考えたり教えられたり行動を起こしたりして、それを得ることなどできない。
 すなわち、ただ神の恩寵によるのである。
 この隠された知恵は、隠されたそれが明らかにされた人同士の間でしか語られることがない。
 そういう人を指して、ここでは「成人」と言っているようだ。

 「この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」とあるが、隠された知恵とは、キリストの十字架と復活のことであるから、確かにもしも悟っていたならば自分がキリストを十字架につけることなどできやしないだろう。

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