イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
自分の内の光
「その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。
弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」
イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」
しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:7-10)
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イエスは「夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです」という。
つまり、私たちは自分の内に光を宿していない。「もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:23)とイエスも言っている。
神が受肉したイエスが世にいた昼には、自分の外に光があった。このイエスが光であり、病のいやしなどの奇跡を通して人々は神を見た。
では、イエスが昇天された今はどうであろう。
自分の外に今は光がない。だが、この光が自分の内に光を灯してくださるのである。
光が内に灯る人は、この真夜中でもつまづかない。
行き先を照らすサーチライトとは違って、光そのものが私たちを導いている。
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健やかな一日をお祈りします!
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弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」
イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」
しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:7-10)
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イエスは「夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです」という。
つまり、私たちは自分の内に光を宿していない。「もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:23)とイエスも言っている。
神が受肉したイエスが世にいた昼には、自分の外に光があった。このイエスが光であり、病のいやしなどの奇跡を通して人々は神を見た。
では、イエスが昇天された今はどうであろう。
自分の外に今は光がない。だが、この光が自分の内に光を灯してくださるのである。
光が内に灯る人は、この真夜中でもつまづかない。
行き先を照らすサーチライトとは違って、光そのものが私たちを導いている。
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