自然でいられる

 「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(ヨハネ16:12-15)

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 真理の御霊、内住の聖霊について。
 
 「その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」とは、一言で言うと、そのとき、私たちは瞬時にして変えられるということである。
 では、どのように変えられるのだろうか。コミュ力が上がったり鉄の心臓になったりするのだろうか。
 たいへん残念なことにそうではない(これらは世で必要なものだ)。
 私たちは、自分自身に自然になるのである。

 教会に行って間もなかった頃、職場からの帰りの車中、席に座る自分の前におばあさんが立った。心底疲れ切っていたのだが、教会に行く者たれと全身全霊で席を譲ったことがある。本当は譲りたくなどなかったのだから、あれは偽善だった。
 しかし今は、この人に座ってもらおうと思ってごく自然に譲っている。座ってくれる人、断る人、さまざまだ。
 席を譲るなど些細なことが何なのだと言われそうだが、ここで席を譲っているのは私ではなく内住の聖霊なのである。
 私はひどい人間であっても、内住の聖霊がこの私を例えばこのように支えてくれるのである。

 そうなると、私たちはもはや一人ではない。
 そしてこの御霊は、私を御父にとって好ましい方向、すなわち私自身にとって自然で気持ちのよい方向へと導いてくれる。
 これが救いの果実として瞬時に与えられるものであり、イエスが上の聖書箇所で約束するものである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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