パンで満ち足りていても満たされないとしたら

 「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。
 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネ6:35-37)

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 マタイ伝の中で試練にあったイエスは、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)と言った。
 少し前に私はこの言葉を思いだした。そして、この物質主義の世はパンで満ちあふれているばかりかこのことが素晴らしいことと思われていて、人々は「いのちのパン」のことなど思いもしなくなっているように思えてきた。今は、加えて情報もあふれかえっている。
 だが、パンという物質や情報で人の魂が満ち足りるものではない。
 その証拠に、通勤電車では客同士が喧嘩しているのに出くわし、しかもどんどんひどくなってきている。些細なことでも怒鳴り合っている。

 つまり、パンに満ち足りるほど人は渇く。
 渇くことへの自覚がない人は、うっぷんが外に向かってたとえば他人に喧嘩をふっかける。
 しかし、パンがあふれる中で自分の飢え乾きに気付いたなら、私たちはイエスのもとに行く狭き道へと吸い寄せられたのだ。
 イエスは私たちに会ってくれる。そして、このイエスは私たちを決して捨てず共にいてくださる。
 人が本来求めている満足感は、このイエスと共にある満足感であり、パンの満足ではない。

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 健やかな一日をお祈りします!

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