自分の選択によって信仰するということはない

 「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
 肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:5-8)

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 私たちは一体、肉に従うか御霊に従うかを、自ら選択したのであろうか。
 そうではない。私たちには、肉に従う以外、できないのである。
 神の律法に服従できない肉。神の怒りを買う肉。
 ところが、キリスト・イエスは、私たちのこの肉への従属から解放してくださるのである。
 肉は極刑で処罰され、そののちイエス同様復活して義と認められる。
 これもまた、自分で選択して行う類のものではない。

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