ジョージア(グルジア)旅行から早5年半。最終日のレポートをまとめていなかったことが、ずっと引っかかっていたのですが、gooブログのサービス終了前に重い腰を上げて、いざチャレンジ! 記憶もおぼろげなので、今回は旅日記から抜粋・補足して掲載いたします。
2019年11月8日

朝7時、夜明けとともに散策開始。見慣れたこの風景も今日が見納め。午後7時にはホテルを発たなければならないので、残り12時間を旧市街でゆっくり過ごすことに。

KMMホテル側から橋を渡って旧市街の中心、ゴルガサリ広場へ。

温泉街を通りすぎる頃、ようやくあたりが明るくなってくる。

温泉の先にある最後の食事どころ候補「マスピンゼロ」(写真)と「ブレッドハウス」を下見。隣接する同系列のジョージア料理専門店で、マスピンゼロのほうが庶民的とのこと。
ここから再び対岸に戻り、ヨーロッパ広場を抜け、ロープウェイの運行時間を調べに行こうとすると…。やや、いつのまにか茶色い犬がついてくる。「野良犬が多いので触らないように」とガイドさんから聞いていたので無視を決めこむが、家人が構うせいか、途中で黒い長毛犬も加わって、2匹でタッタとあとをついてくる。
と、突然、茶色の子が、走ってきた車スレスレまで飛び出して、猛然と吠え始める。車が通るたびに、それを繰り返すこと3度。ちょっと怖くなってまこうとするが、道を渡っても、2匹そろってついてくる。

リケ公園にあるロープウェイ乗り場に到着。10時~23時まで運行していることを確認す。その間に犬たちは一度いなくなったかに見えたのだが、またまた現れてついてくる。平和橋を渡れば、さすがについてこないだろうと思いきや…。

階段を上ろうとすると、茶色の子が先回りして上り始め、途中で立ち止まって振り向く。これを何度か繰り返されて、ようやく気づく。この子は我々がちゃんとあとをついてきているか確認して、ガードしようとしているのだ。対向車にしきりに吠えていたのも、車から守ろうとしてくれていたのかも。
橋を渡りきると、犬たちは歩道から少し離れた草地のほうへ…。かと思えば、また戻ってくる。見回りしつつ、我々を誘導しているかのよう。

そして着いたところは、シオニ大聖堂。ジョージア正教会のかつての総本山である。ちょうどミサ中だったので、残念ながら信者以外は中に入れず。聖堂内は壮麗なフレスコ画やイコンに彩られているそう。
聖堂のまわりを見て回っているうちに、茶色い犬はいなくなり、黒い子はしばらくついてきていたが、それもいつのまにか姿を消す。聖堂まで案内してくれた不思議な守護犬たち。この旅一番の忘れがたい思い出に。

一度ホテルに戻って8時半頃、最後の朝食ビュッフェ、一番乗り!

朝食は控えめに。なにせジョージア最後のランチのために、胃袋を空けておかねばならぬ。
ホテルのチェックアウトは12時、迎えの車が来るのは19時。それまで身の置き場がないので、フロントに相談したところ、半日分100ラリ(約4000円)で延長してもらえることに。そうと決まったら、部屋に荷物を残したまま安心して街歩き続行。再度対岸に渡り、温泉とは反対側のエリアへ。

10時、トビリシ歴史博物館が開いたので、のぞいてみる。トビリシの歴史資料や民具などを展示し、地階にはお土産屋さんも。

かつてのキャラバンサライを改築・移転した建物だそう。なんとなく、モスクワのアルバート通りにあったグルジアカフェ(と勝手に呼んでいた建物)と雰囲気が似ている気が。地階に降りようとすると、ちょうど黒マントをまとったおばさまがいらして、さながら館の女主人のようだったので、思わずシャッターを切る。

早朝、犬たちと渡った平和橋を望みながら、温泉側に戻り、ロープウェイ乗り場を目指す。

ロープウェイは片道2.5ラリ。メトロカードが使えます。

景色を眺めながらムタツミンダ山の山頂へ。

ロープウェイを降りるなり、楽団のお出迎え。眼下にはトビリシ市街。

乗ってきたロープウェイは、こんな可愛らしいゴンドラ型。右下には平和橋。

山頂のナリカラ要塞は4世紀の建造。あまり時間がなかったので要塞には入らず、花輪売りのおばさんやお土産屋さんを横目で見ながら、ジョージアの母像を目指す。

トビリシ市街を見守るようにして立つジョージアの母像。右手には敵を迎え討つ剣、左手には味方をもてなすワイン杯。高さは20m。真下まで来ると後ろ姿しか見えないが、その巨大さに圧倒される。

ギター弾きのおじさんが連れていたハチ割れ君。人馴れしていて、気持ちよさそうに日向ぼっこ。
このあと露店でジョージア製の時計を買ったところ、25ラリのところを20にまけてくれたうえ、子供用アクセサリーセット5ラリもおまけにつけてくれた。
そしてロープウェイで再び旧市街へ。ガイドのニノさんに教えてもらったパン屋さんを探し回るうちに、おしゃれな裏通りに迷いこむ。

カフェやレストランが連なる裏通り。まだ時間が早く、お客さんはまばら。あと1日あれば、ここでゆっくり食事をしてみたかった!

ニノさんに教わったパン屋さんの入口発見。


豆入り、ジャガイモ入り、チーズ入り、キノコ入りなど、素朴なおかずパンを数種購入。本当は奥の窯で焼いている横長のパン、ショティがほしかったのだが、日本まで持ち帰るには大きすぎるので断念。

ゴルガサリ広場の地下にあるメイダン・バザール入口。こちらもガイドのニノさんに教えてもらったおすすめのお土産スポット。

メイダンはゴルガサリの旧名。4~5世紀の昔からシルクロードの要衝だったトビリシの商業的中心地だったそう。看板には、馬車が行き交い、賑わいを見せていた頃の写真が。

バザール内は、地下の横断通路のような造りで、伝統工芸品、素焼きの食器、フェルト製品、ワイン、蜂蜜、菓子などが並ぶ。




クルミのジャム(写真)とデーツを購入。デーツといえば意外だったのが、店員さんがdatesという英語名を知らなかったこと。袋にはジョージア語しか書かれていなかったので、念のため「これはデーツ?」と若い女性スタッフに尋ねると、なぜか賞味期限を調べ始める。あ、そのdateじゃなくって……。別の男性スタッフに「これは何?」と聞くと「финики(フィニキ)」とロシア語のお答え。つまりそれは「英語でデーツ?」と聞き返すと「??」と固まってしまわれた。よくよく袋を見たら、英語で小さくdatesと書かれていたので「あ、やっぱりデーツ、ほらここ」と指さすと、「デーツ!これ英語でデーツって言うんだって!」とほかの店員たちに言い回ってたのが微笑ましい限り。

そしてジョージア最後の食事は、朝下見したブレッドハウス。


店頭で焼いている焼きたてのショティと共に、最後の食事を堪能。(食事については、別記事「ジョージアで食べる」をご覧ください。)
席についた時から、窓の向こうに見える、野良とおぼしき犬や猫たちに釘づけ。ガラス越しなので、ほとんどピンボケになってしまったのが悔やまれる。

本当に、ジョージアは犬猫の天国。当たり前のようにそこにいて、地域の人達にごはんをもらって、のびのびと暮らしてる。それはとりもなおさず、ジョージアの人々の寛容さ、優しさの表れでだろう。



だんだん日が暮れてきた。そろそろトビリシの街ともお別れ。

ホテル客室の冷蔵庫を最後にチェック。缶入りのボルジョミ、持って帰りたかった!
チェックアウトして18時50分頃、ホテル出発。この旅でずっとお世話になったドライバーさんと一路空港へ。トビリシのレストランより、カへティのパンのほうがおいしかった、と伝えると「そうそう!一番おいしいんだよ」と嬉しそう。実はドライバーさん、カへティでショティを大量買いして、ひとついらないかと声をかけてくれたのだが、荷物が多くなるのでお断りしてしまった経緯が。いま思えば、譲っていただけばよかった!

トビリシ国際空港到着。5日前に着いた時には気づかなかった立派な免税店に、吸い寄せられるようにして入ってしまう我々であった。


免税店で正真正銘、最後の買物。チャチャとクルミ入りの蜂蜜を購入。
そしてカタール航空21時25分発の便で、一路ドーハへ。

23時30分ドーハのハマド空港到着。ここで成田行きに乗り換えたところ、機体トラブルのため、一度乗りこんだ飛行機から降ろされる。

お詫びの品?各自おやつセットを手渡され、深夜の空港でひたすら待つ。

定刻より2時間遅れて、午前4時頃ドーハ発。

約10時間で成田到着。東京はすでに夜。4泊7日の旅、ここにて完結。

大量のお土産に囲まれて、旅の余韻に酔いしれる幸せ。コロナ禍が始まったのは、この4カ月後のことでした。そのうち保護猫を里子に迎えたので、もう気ままな旅はできない身。あの時ジョージアに行っておいて本当によかった!
思えばグルジア(当時)の魅力を知ったのは、ソ連時代の1990年。モスクワのカフェで初めてハチャプリを食べ、アラグヴィレストランで初めてグルジアワインを飲んだ、あの感動が忘れられず、帰国後は「白樺」でグルジアワインを箱買いし、その後もモスクワに行くたびにグルジア料理三昧。いつか必ず行きたいと思いながらも、なかなか機会に恵まれず、実に30年近く経ってようやく実現した特別な旅でした。すべてのめぐり合わせに感謝!