サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

アレウト号慰霊碑を訪ねつつ道南へ

2015-09-05 | 『勝手に帯広通信』
北海道南西、日本海に面した瀬棚(せたな)に
アレウト号慰霊碑を訪ねる。

1877年(明治10年)11月19日、ロシア軍艦アレウト号は、ニコライエフスクからウラジオストクに向かう途中、暴風雪に流されて瀬棚沖に座礁。約60名の乗組員は、地元住民たちに全員救助されて、からくも無事だったのだが…。


その後、艦内に残された物資の陸揚げのため、士官2名、水兵13名が瀬棚に残り、翌1878年4月29日、迎えにきた軍艦エルマック号にて帰国の途につくはずだった。ところが、軍艦に乗り移るために移動中、短艇が転覆。12名が犠牲となったのだ。彼らの冥福を祈るとともに、国際親善と海難事故防止の願いをこめて、1972年に建てられたのが、この慰霊碑なのだそう。


遭難者名簿には、氏名不明の3名を除く9名の名前が記されている。これを見ると、アレウト号乗組員だけでなく、迎えにいったエルマック号の船員3名も犠牲となったことがわかる。最初の座礁事故では全員が助かったのに、迎えのボートで事故にあうとは、さぞかし無念だったろう。

幕末、戸田村(現・沼津市)沖でディアナ号が遭難した折に、
地元の漁民たちがロシア船員たちを救助した話は
比較的よく知られており、碑を訪ねたこともあるが、
アレウト号については今回初めて知った。
道内にはほかにも日露交流の痕跡がいろいろありそうだ。


慰霊碑の近くには、三本杉海水浴場が。
夏季の日本海は意外にもとても穏やか。

この海を見下ろす展望台からの光景がこちら。

ちょっとわかりづらいですが、風力発電の風車が並び、
奥尻島に向かうフェリーの船着き場が見えます。

展望台にはナホトカの方角を示すプレートが。
 なぜ??

アレウト号慰霊碑訪問は、8月29~30日に催された
日本ユーラシア協会帯広支部の道南旅行の一環。
「道南」といっても、全国的にはあまりピンとこないのですが、
エンゼルフィッシュ型の北海道の「しっぽ」のあたり。
帯広からは、高速道路を経て、太平洋沿いをひたすら西へ。

途中、有珠山サービスエリアでお昼休憩。


遠方に見えるのが有珠山と昭和新山(右)。

昭和新山は第二次世界大戦中の昭和18~19年、
有珠山の大噴火によってできた山。
話には聞いていましたが、ちゃんとした山ではないか!
国の特別天然記念物にして、個人の私有地だそう。

お昼のかき揚げそば。
 干しエビがいっぱい!

このあと瀬棚を経て宿泊先の熊石ひらたない荘へ。

旅館の裏手、せせらぎのはるか向こうに
うっすらと日本海も見えました。

熊石のある「二海郡八雲町」は、その名のとおり
日本で唯一、太平洋と日本海の2つの海に面した町。
北海道のしっぽのつけ根、くびれたあたりにあります。
名物はアワビなどの海産物。

温泉につかったあとはアワビ料理を満喫!

アワビの踊り焼き、刺身、鍋、釜めしなどなど。

八雲町に転勤された帯広支部会員のSさんとも合流し、
グルジアワインやウォッカで大いに盛り上がった一夜でした。

熊石のおみやげいろいろ。

熊石海洋深層水を使った粗塩と「塩もっち」。
右は「熊石羊羹」。


包み紙がなかなか渋い。

八雲といえば、木彫りの熊の発祥地。
熊つながりで…。

こちらは帰りの清水サービスエリアにて。

これはかわいい、子熊のともちゃん!

42万円。「私は高いわよ」と書いてある(笑)。

清水SAから見下ろす十勝平野。

パッチワークの広大な畑が連なる光景を見ると
あー、十勝に帰ってきたなー、という気分に。
往復の走行距離800km以上。
ドライバーの皆さん、お疲れさまでした!
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