サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

タマーラさんのケーキ

2006-02-13 | ウラジオストク2005
こちらタマーラさんご自慢のケーキ。
見た目こってりしてそうだが、
甘さひかえめ、とってもおいしい!

全28種、レシピはみんな自分で工夫した。
ロシアには伝統的な焼き菓子はあるけれど、
この手のケーキはソ連時代にはなかった。
だから大当たりしたのもうなづける。

貧しかったころ憧れた、おいしいもの、きれいなもの、
見ているだけで心が豊かになるもの。
そんな、自分がほしかったものをカタチにしたら、
人々にも受け入れられた。

だからいつも「美しいもの」にかかわっていきたい
とタマーラさん。今は新規事業として、
ロシアの手づくりの民族衣装を手がけてる。
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タマーラさんの庭

2006-02-13 | ウラジオストク2005
季節労働ひと段落~。で、またまた閑話休題。
ウラジオストクでは高級ダーチャも訪ねたのだが、
リッチなロシア話は巷ではウケないので発表の機会なく、
この際だからご紹介しておこう。

海を見下ろす高台に広がる庭園、この立地だけでもゴージャスだが、
右手に見える建物、これ、家ではなくてバーニャ(サウナ)小屋!
当然、母屋はもっとゴージャス。お伽の国の黄色いお城ふうなのだ。

このダーチャの主タマーラさんは、市内きっての人気レストラン
「ノスタルジア」の女性オーナーである。
彼女はウラジオストク初のビジネスウーマン。
その成功ぶりだけを見るとニューリッチ(新興成金)そのものだけど、
ここにいたるまでは、苦労の連続だったという。

1934年、極東開拓のために国が募った移民として、
タマーラさんの祖父母はウラジオストクにやってきた。
移民には無償で土地が提供されたけれど、
子ども5人を抱えての生活は決して楽なものではなかった。
その子どもたちのひとりがタマーラさんのお母さんだ。

ソ連崩壊後、社会主義の平等原則が崩れ、経済は混乱。
タマーラさんは妹2人と娘ともに小さなギャラリーを開き、
アメリカの料理本を手本に、ケーキづくりも始めた。
そしてケーキ工場、レストランとしだいに事業を拡張し、
女4人で働き続け、ようやく成功を手にしたのである。

「神様にお祈りしたおかげよ」
裕福になった今、4人は恵まれない人たちに
寄付を続けているのだとか。

女4人が祖父の土地にダーチャを建て始めたのは4年前。
そして今なお…建て続けているんだな、これが。
これぞダーチャとコテージ(高級別荘)の違いのひとつ。
ダーチャとは建てながら住むものなんである。

つづく。
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