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サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

プロコフィエフのダーチャ

2005-05-01 | プロコ日記裏話
予定を繰り上げて、プロコフィエフの日本滞在日記を公開してみた。
ありがたいことに、その日のうちに10数人の方がご来訪~。
おまけに共同訳者のS先生が、モスクワに電話して
新たな情報を仕入れてきてくれた。
それがまた、プロコ亡命の核心に触れる内容なので
急遽翻訳して、これもアップしなければ……。

余談ながらプロコもダーチャをもっていたもよう。
日記のなかにも、夏のダーチャの思い出、すなわち
祖国ロシアへの郷愁を語るくだりが出てきます。
遠く離れた祖国を思うとき、真っ先に思い浮かぶのは
やっぱりダーチャなんですね。
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プロコフィエフ日記5/2公開

2005-04-27 | プロコ日記裏話
プロコフィエフの日記、5月分まで仕込み完了。
いいかげん配信開始日を決めねばなりませぬ。

そこで……2005年5月2日公開決定!
ということにしておこう。締切りがないと動かないから。

なぜこの日かというと、87年前のその日、
プロコはシベリア横断のため、ぺテルブルクからモスクワへと
移動を開始したからである。
日記の翻訳は5月15日からスタートしますが、
そのちょっと前から始めておこうと思うしだい。

昨日、大家N先生からダーチャ本が届いた旨のメールあり。
プロコ本の件で、近々初顔合わせ実現か?
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プロコとシモツキの猫

2005-04-15 | プロコ日記裏話
夕方、共同訳者Sさんとプロコ日記の打ち合わせを兼ねて会う。
監修のN先生と私とのメールのやりとりをお見せしたところ、
「プロコ? シュト(何)??」と怪訝な顔。

ああ、そうでした。日本ではプロコフィエフのことを
「プロコ」って略すんですよ。
……と説明しながらおかしくなる。
ストラヴィンスキーやラフマニノフは略さないのに
チャイコとかプロコとか「コ」で止めたくなるのは
日本語の語感としておさまりがいいからなんだろうけど、
チャイ子? プロ子?……よくよく考えるとヘンだ。

引き続き問題なのは、小冊子作成のためのスポンサー探し。
その説得材料として、まずはブログをスタートさせる
ということで落ち着く。日本日記は5月15日スタート。
まだまだ先だと思っていたら、もうすぐだ!

Sさんとは連休明けに、下田の郷土博物館で開催されている
日露修好条約150周年記念展を見に行くことを約束。
下田散策の地図がわりに、以前「猫倶楽部」に掲載した
下田「猫マップ」のコピーをお渡しすると

「オオ!シモツキー・コーシュキ!シンパチーツヌイ!
(まあ、下田の猫ちゃん、可愛い~)」と大絶賛。

そういえば下田条約のこともシモツキー何とかっていったっけ。
シモダが形容詞になるとシモツキ……霜月?

おさまりのいい語感を求めるのは、万国共通ということですね。
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プロコフィエフと格闘す

2005-04-13 | プロコ日記裏話
プロコ日記はこれまで「異郷」という研究誌に掲載されていたのだが、
援助金の削減により、どうやらもう発行されないらしい。
それを知ったのは、ネット配信を思い立ったあとのことで、
同人誌発行者の偉い先生からも「ぜひネットで」と後押しされる。

とりあえず掲載済みの翻訳原稿はテキストデータになってるし、
先生のチェックも済んでいる。
ぺたぺた貼り付けていけば楽勝だっ!
と思っていたのだが……。

うーむ、読み返すと、まだアラがある。
新たな疑問点も生じてくる。
裏をとらねばならないことも少なからずある。

そもそも翻訳した日記のコピーは、いきなりシベリア鉄道の途上、
イルクーツクから始まっている。
「異郷」は来日ロシア人を対象とした研究誌である性格上、
あくまでもメインは日本滞在の項であったからだ。

しかし一般的な感覚としては、家を出るところから欲しい!
だってそうでしょうが。なぜ作曲家がロシアを捨てる決意をしたのか、
それが自らの言葉で書いてあるなら、読みたいと思うのが、
たとえプロコ・ファンでなくとも自然な感情ってものだ。

……と書いていたらOさんから電話が。
ダーチャ本の動きは上々。なぜか男が買っている、とのこと。
アマゾンの表紙写真はさしかえてもらえるそう。よかった。
明日はロシア旅行社に挨拶詣で。
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プロコ日記の行方

2005-04-11 | プロコ日記裏話
共同訳者のSさんのOKもらい、プロコフィエフの日記配信決定す。
が……。ロシア女性Sさんは、超アナログ派。

「それはいいアイデアだわ!素晴らしいわ、任せたわね!
それはそれとして……。小冊子にまとめて発行するのはどうかしら」

はっ……?

「印刷代はいくらかかるかしら。スポンサー見つけないとねぇ」

あ、あのぉ、ですからネットならタダなんです!

「でも私、インターネットはわからないからっ!
で、全部で何ページになるの?いくらになるの?」

は、はぁ……。日記だけなら20ページくらい??

「そうだわ!インタビュー記事も一緒に載せましょう。
もう原稿はあるんだし。5ページくらいかしら。
ってことは全部で25ページね」

なら24ページですね。

「25ページよ。あ、解説も入るから30ページにしましょ」

いや、印刷物は少なくとも4の倍数でないと……。
28ページか32ページですね。
で、何部刷るんですか?

「500くらいかしら」

ご、ごひゃく?(それみんな手で配るんかい)

「どのみち翻訳料はタダなんだから(←全員ボランティア)
印刷代しかかからないでしょ」

いや、でもデザインとかどーするんですか?

「それはあなたがお得意じゃないの!」

げげっ!いつからそんなことに!

っつーか、印刷物はお金かかるからネット案をご提示したのに
なんでこーゆーことになるの!?
ま、紙媒体をつくることはやぶさかではない。
が、そうなったら本文棒打ちの素人芸はお見せできない。
読みやすいレイアウトにしたいし、写真も入れたいし~。

……いかん。いか~ん!

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プロコフィエフの日記

2005-04-10 | プロコ日記裏話
うっかり忘れるところだった! そもそもブログを始めてみたのは
ここ1年ほど訳し続けていた「プロコフィエフの日記」の一部を
ネットで公開できないかと思い立ったためであった。

プロコは革命直後の1918年、渡米の途中で来日。
訳したのはこの日本滞在約2ヵ月分だけですが、
いや~、面白いんだか面白くないんだか。

なにせ日記を出版したご遺族が
「わかりにくい文章でしょう。訳すの大変でしょう~」
というほどロシア語がヘン。共同訳者のロシア女性も
「あーー!こんなロシア語はありませーん!」
と手を焼くほどのしろものなのだ。

しかし彼が日本で何をし、何を考え、感じたか……。
それを伝える唯一の資料であるこの日記を
読んでみたいプロコ・ファンがきっといるはず!

というわけで、日記ならブログが最適!と試したところ
gooのカレンダーは、20世紀対応であることが判明!
(ちなみにエキサイトは21世紀表示のみ。
ほかのブログはどうなんでしょう?)
つまり1918年のカレンダーと連動させた「過去日記」を
プロコが書いたかのごとく作成できるってことよ~!

ところが……すっかり舞い上がって準備万端整えたのに
版権元の遺族と直接交渉できる共同訳者は、
ロシアに帰ったまま戻ってこない。
で、練習がてら別のブログ(つまりコレ)で遊んでるうちに、
こっちがメインになってしまったというわけですばい。

そこに朗報!ついに昨日、共同訳者帰国(じゃなくて再来日)!
いよいよ明日お会いして話をつめる予定である。
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