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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

今日の欧州の惨状を理解するためのこの一冊

2016-03-21 22:55:25 | Weblog

 川口マーン惠美さんの『ヨーロッパから民主主義が消える』を読みました。

 川口さんはドイツのシュトゥットガルト在住の日本人。ヨーロッパの中から今の地域の現状を憂うレポートです。

 そもそもEUのような国を超えた共同体は、第二次大戦後の西ヨーロッパの人たちの「二度と戦争は起こしたくない」という共通の思いからスタートしました。

 戦争の火種は常にエネルギーの確保問題で、当時のヨーロッパのそれは石炭と鉄鉱石。ならば、戦争を起こさないで済むようにこの火種を共同で管理しようという発想が生まれました。

 それが1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立。加盟国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)の六か国。

 そしてこれが後に欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)と統合されて、1967年にEC(欧州諸共同体:European Communities)となる。

 この当時のECであれば、目的は明瞭で通貨統合もなく、経済格差もどうにか対応できる範囲であり、確実にこれらの国々に富と平和をもたらすことに成功しました。

      ◆ 

 しかしこれが、デンマーク、アイルランド、イギリス(1973年)、ギリシャ(81年)、スペインとポルトガル(86年)が加わり12カ国体制へと拡大し、その後ベルリンの壁崩壊で90年に東ドイツが西ドイツと統合されて自動的に編入し、当方への拡大が始まります。

 91年にソビエト崩壊により東欧の国々が次々に自由主義経済に移行する中で、「ヨーロッパは一つ」という目的を掲げ、それらの受け入れ態勢を整えるように1993年にEUが誕生。

 かつてソビエトと共にあった東欧諸国が加わり、今日のEUは加盟国28カ国、総人口五億人を抱える大所帯となっています。そして今日、大いなる理想と現実とのギャップに苦しむ姿が次第に明瞭になっています。


       ◆   ◆ 


「EUとはなにか」を一言で説明するのはとても難しいのですが、この組織の運営面から説明すると、EUはなんと七つの組織から成り立っているという複雑なもの。

 ①欧州議会、②欧州理事会、③理事会、④欧州委員会、⑤欧州中央銀行、⑥欧州司法裁判所、⑦欧州会計監査院の七つですが、選挙も経ないような人たちがこれらの組織を司って、加盟国の国民にとっては帰属意識もないようなEU。

 裕福な国と貧乏な国との間の拠出金と補助金の不公平感や、誰が決めたか分からないけれどいろいろな事情がある国々を覆う様々な規制が、次第に統合していることへの満足感よりも不平不満を増殖しつつあります。

 その最たる問題が、今日のイスラム世界からのテロと難民問題。

 EUの市民ならば加盟国間同士はパスポートもなしに自由に行き来ができる自由な区域、それがEUという域外の人たちから見ると実に閉鎖的な利益集団というわけです。

 そして乱れに乱れた祖国を泣く泣く離れ、「EUに行きたい、EUにたどり着けないならば死んだ方がマシだ」という決死の覚悟で、絶望に追い立てられるようにして冷たい海を渡っている人たちがこの瞬間にも大勢いるのです。


       ◆  


 著者は、ドイツのある新聞が書いた論評に共感しています。それは「今日の難民問題の源はグローバリズムにあり、それを止めさせたければ西側の国々が中東やアフリカで儲けていることから手を引くべきだ」というもの。

 難民たちの姿からは「『私たちのおかげであなたたちは儲け、良い暮らしをしているのでしょう?』と問いかけているように思えてならない」と著者は感じています。


 ヨーロッパの搾取の歴史は長く、それがキリスト教の布教から今日は民主主義の布教に変っただけで、彼らが一方的に中東やアフリカの秩序を一歩的に破壊していることに変りはないのだ、と。

 
 著者の川口さんにもこれからどうあるべきか、の絵姿は明確に描かれていません。しかし、イスラムが西側諸国の秩序をふりかざす姿に"待った"をかけている今日、欧米はヨーロッパの近・現代史の総括をしないままでは先に進めないようだ、と感じています。

 そして、わが日本の役割と立ち位置については、「日本はたまたまアフリカにもアラブにも植民地を持たなかった。しかもキリスト教ともイスラム教とも確執がない。だから私たちは十八世紀から行われ続けてきた彼の地での搾取を正当化する必要のない、"世界で唯一の先進国の住人"なのである。つまり、今アラブやアフリカで起こっていることを公正に判断しうるのは日本人以外にない」と記しています。

 
 さて、経済的には世界有数の国でいながら存在感があるとはいえない日本。この独自の立場と視点を示し、世界の平和に貢献できる存在になれるかどうかは、これからの振る舞いにかかっています。

 今のヨーロッパの問題を解きほぐす基礎的知識と現場からのレポートとして一読の価値あるこの一冊。

 難民問題は決して対岸の火事ではないという恐怖を感じます。
  

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ついハマってしまうこと

2016-03-20 23:56:17 | Weblog

 

 急に思い立って、ガスレンジ周りの徹底掃除をしました。

 長らく手入れをしていなかったので、五徳には焦げがこびりついているし、油汚れもギトギトに。

 「落ちない汚れを落とす方法」とか、ネット上には様々な動画がありますが、ガッツリついた五徳の焦げ付きはやっぱりコツコツとそぎ落とすしかありません。

 そんなときに役立つのはやっぱり道具です。私は先端にねじり釘のついた金属ワイヤーブラシを使っていますが、ブラシでゴシゴシやっても焦げ付きは簡単に落ちません。

 釘の先で焦げ付きにカリカリと傷をつけて削り落とし、その後でワイヤーブラシでこすり落とすという地道な作業を延々と続けます。

 こういう作業って、そのことだけに真剣に取り組むと時間が過ぎるのを忘れて無我の境地に至るというか、ひたすら没頭してしまいます。

 時間を忘れて作業をしていて、ふと気が付くと大相撲の放送時間になっていましたが、タブレットを持って来て手近なところで相撲放送を眺めながら作業をさらに続行。

 自分が納得するレベルまできれいに仕上げるともう外は完全に真っ暗。いやあ、久しぶりに忘我の境地に至りました。

 たまの掃除ですが、我を忘れる時間は案外ストレス解消になりますし、部屋もきれいになる一石二鳥。

 始めるとハマってしまう私でした。

 
 

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私はこれで悩まされていた下痢が直りました

2016-03-19 23:45:31 | Weblog

 尾籠な話で恐縮です。

 歯磨きは朝と夜にすると良い、とは聞いていましたが、ちょっと前まで朝の歯磨きを私は朝食の後にしていました。
 食事の後の歯垢管理が大切だと思っていたのです。

 ところがネットで、「朝は起き抜けにすぐ歯磨きをすべき」という記事がありました。

 もちろん当然そうしている方も多いのでしょうが、その理由は、寝ている間に口腔内の細菌が増殖しているため、朝一番に歯を磨いて口の中を清潔にしなければ細菌を飲みこんでいるのと同じことになるということ。

 最近歯周病は、心筋梗塞や脳梗塞、糖尿病などの全身疾患の原因になっているということが分かってきて、虫歯の治療だけではなく歯周病の治療、普段からの口腔内の清潔の管理の不全が、全身の病気の源ということも分かってきました。


【全身の健康に歯科ができること(日本臨床歯周病学会HPより)】
 http://www.jacp.net/perio/effect/


 しかしながらこのことは未だに結構おろそかにされていると言っても良いでしょう。

 実は私は長期にわたって下痢に悩まされていたのですが、医者に行っても「ストレスの多い職場だとそういう方は多いですよ」と言われて、下痢の治療薬をもらったりしていました。

 ところがこの朝一番歯磨きが大事だ、ということを知ってから朝一番の歯磨きをかなり入念に行うようになり、下痢をする頻度が大幅に減りました。

 直接的な因果関係はわかりませんが、歯磨きの改善と期を同じくして体調が良くなってきたことからすると、個人的にはこのことが効いているような気がしてなりません。

 これまでも歯間ブラシにデンタルフロス、電動歯ブラシに先細歯ブラシと、時間をかけて来たつもりだったのですが、歯磨きをいつやるかがこれほど大切だとはつい最近まで知りませんでしたし、歯科医でも教えられた記憶がありません。

 歯医者さんでは当たり前だと思っているのかもしれませんが、案外そういうところが抜け落ちたりしているものです。

 高齢化社会の到来ですが、歯を磨くタイミングで健康長寿に大きく影響するのですから侮れません。

 ちなみに、「朝一番の歯磨きでは、舌も表面をこそげ落とすようにきれいにしてください」ということも大事なんだそう。

 ちょっとしたことですが、健康のためにご留意を。

 


【風邪やインフルエンザの予防には朝一番の歯磨きを】
 http://singlelife50.com/hamigaki/
 

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利尻島の漁業

2016-03-18 23:46:46 | Weblog

 昨日の礼文島に続いて今日は利尻島を訪問。

 昨日と違って今日の利尻富士は山頂付近が雲に覆われていて、ちょっとご機嫌斜めの様子でした。

 利尻町、利尻富士町の両町を訪ねて主に港関連の事業について意見交換を行いました。

 利尻富士町では、港湾の防波堤を利用した稚ナマコの養殖を提案し採用されたとのこと。

「ナマコの養殖とはどうやって行われるのですか?」
「砂地だと育たないので、砂利をまいてナマコが張り付いていられる環境を作ります。そこへナマコを撒いて育ったところでもう少し沖へ移そうというのです」

「沖へ移すというのは、どうやって?」
「ダイバーが潜ってナマコを集めて沖へ運ぶんです。ナマコもすぐには大きくなって売れるようにはならないので、その間のダイバーに対する支払いでも漁業者の育成にはなるんです。そのために港湾の防波堤にもご協力をお願いしたいというわけで」
「できるだけのご協力はしようと思っています。いろいろな調整をよろしくお願いします」


       ◆ 

 利尻町での意見交換では漁業者の減少が話題になりました。

「漁業者が減少して、すそ野が小さくなると漁業組あの規模も縮小しなくてはなりません。なので漁業者の数を減らさないような政策が重要です」
「異業種から漁師になろうという人がそれなりにいると伺いましたが」

「数はぎりぎりなんですが、経験が浅いと稼げないんです。うちの島の漁は、何人もが船に乗るようなものではなくて、一人ひとりがウニや昆布を取って稼ぐという形が主流です。経験がないとウニや昆布の獲れる量も限られて思うようには稼げないんです」

「やはり漁というのは簡単な技術ではない、と」
「コンブは二年生で二年目が収穫の時期です。しかし眼力がないと、そのコンブが一年目なのか二年目なのかの区別もつきません。さんざん収穫をして浜へもってきても、コンブ干しのおばちゃんの方がダメなコンブを分かっていて指摘したりしますよ」

「一年目と二年目ではそんなに違うんですか」
「見た目では本当に区別しにくいんですが、干してみたら一年目だったら薄くなってしまって厚みが充実していないんです。そういう眼力も含めたスキルアップ期間の収入補助をして新米の漁業者を支える政策を取っています。それでも残れる人と残れない人が出てくるのは残念です」

 
 島の経済を支える漁業と物流・人流を支える港湾施設ですが、さらに頑張って充実を図りたいと思います。

  

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海の上の富士山~利尻富士が綺麗でした

2016-03-17 23:40:58 | Weblog

 仕事の関係で礼文町へ行ってきました。

 この時期には珍しく穏やかな海で、さほど揺れることもなくフェリーは香深港に到着。

 役場で小野町長さんともお話ができました。

「礼文町での花というとやはりレブンアツモリソウで、これは昨年ようやく見ることができたのですが、そのほかにも自慢できるような花は何がありますか?」
「そういうことなら、エゾカンゾウが綺麗ですよ。レブンアツモリソウの咲くに三週間くらい後が花の時期ですが」

「エゾカンゾウと言うと、サロベツ湿原に大面積で咲く風景が頭に浮かびますが、ここにもあるんですね」
「ええ、サロベツ湿原だと平らなところに広大に咲いていますが、礼文島のエゾカンゾウは湿原の風景とは違って斜面に咲くんです。また違った風情が楽しめますよ」

 これは今年の初夏が楽しみです。


       ◆ 


 稚内で、スイスのツェルマットへ視察に行った人たちは、アルプスの山奥でお世辞にも交通が便利とは言えないところでも世界中から人が訪れ、七割がリピーターになるツェルマットと、宗谷地域や利尻礼文が似ていると感じていました。

 交通が不便でも、圧倒的な来訪の魅力があればどうやっても来るのだと。

 利尻礼文の観光素材をさらに磨いて発信してゆけば、いつか道は開けるように思います。

 小野町長さんは奇麗な山野草の写真をフェイスブックなどでアップされる地道な活動を続けられているので、こうしたこともきっと効いてくると思います。
 

 行き帰りの"海に浮かぶ富士山"こと、利尻富士が綺麗でした。

 
 

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今、ここを生きる ~ 与えられた時間は有限なのだ

2016-03-16 23:45:53 | Weblog

 今年度も残り二週間ほどになって、いろいろな会合は送別会の趣きを呈します。

「いよいよ稚内を離れることになりました」という知人や友人の姿を見て、一抹の寂しさを覚えるのは私だけはありますまい。

「えー、こんな分野で活躍していたんですか?」
「なに、こんな才能があったの?」とこの期に及んでようやく知った、いろいろな人たち。

 もっと早く会っていれば、もっと充実した魂の触れ合いができたかもしれないのに、そういう運命にはなりませんでした。

「でも、最後にこうやって会えただけでも良かったじゃないですか」
「そりゃそうだけどね」

 任期が決まった友人たちは、会える残り時間がどんどん少なくなるもの。一日を焦りながらもっと早く知っていれば、ということも多いのです。

 我々の様な転勤族はその一日という時間資源が有限な事を知っています。

 だからそれでできることを最大限に追い求めることが習い性。

 今日という日を逃せば、もう二度とその風景や出会いは望めないのかもしれないという切迫感に押されるようにして、地域を巡ります。

 地元にずっと暮らしている人たちとはしばしばそのペースが合いません。明日が多分当たり前に訪れるであろう人たちと、来年の明日はもうないかもしれない人たちとはその一日の輝き方が違います。

 今の出会いの仲間との出会いは偶然の産物で、二度とない組み合わせなのでしょう。

 別れの春が近づいてきました。

 私たちは、「今ここ」を生きるしかありません。過去の出来事を悔やみ、未来の可能性に夢を抱いても、「今のここ」を生きるしかないし、その一瞬の積み重ねこそが現世を生きるということです。

 今という一瞬を大事にしましょう。ここという場所を大事に考えましょう。

 人生は積み重ねだという真実を噛みしめましょう。

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サイクルツーリズムで地域は振興できるのか

2016-03-15 23:44:09 | Weblog

 宗谷シーニックバイウェイが主催する道北版スイスモビリティ勉強会。

 「クワイエット&スロー 地域観光に新たな可能性を求めて」というタイトルで、わが心の故郷掛川の佐藤雄一君が講師として来てくれました。

 自転車を使ったサイクルツーリズムでの地域振興のあり方を、掛川のこれまでの活動に学ぼうというのです。

 掛川市ではちょうど私がいた2002年にスローライフシティ宣言をして、スローを生活の中に置くというまちづくりを始めました。

 その中でやったことは、
①自転車を楽しむ町としてホスピタリティを磨き、ツーリズム志向に対応したレンタサイクルとガイドシステムの試行。

②サイクリストによる地域観光資源の開発として、無名の風景、空間、みちなどの資源と価値を掘り起こす「風景コミッション」。

③シンボリックな活動として、かつて塩を海から内陸部へと運んだ「塩の道」を、三泊四日のサイクリングで巡る「ロード・オブ・ザ・ソルト」を実験。

④ローカル鉄道の天竜浜名湖鉄道の車両に自転車をそのまま載せる「サイクル&トレイン」やリゾートミーティング等。

 当時の掛川は今日のサイクルツーリズムとトップランナーとして実にいろいろな実験をしたものだと思います。

 そうしたことの成果として、掛川には地元を中心にサイクリングをする「ロコ(=local)サイクリスト」が誕生。一か月に一度土曜日に集まって市内をサイクリングする活動を50人くらいの規模で実施する仲間ができあがっています。

 そしてそうしたロコサイクリストが、外からのサイクリストをガイドするというガイド&ライドシステムが自然と出来上がりました。

 佐藤さんは、「サイクルツーリズムは日本中で隆盛で、どんどんもてはやされています。しまなみ海道がサイクルツーリズムのメッカとしてもてはやされていますが、自転車のある生活、ライフスタイル、暮らしということがまだ練られていないと思う。サイクルツーリズムが上手くいくということは、地元にサイクリングを楽しんで、ここを案内したいと思う人たちのいる暮らしがあるということなんです」と言います。

 それに、みな「東京から客を呼べ」といいますが、ローカルの都市とローカル都市を結ぶような交流のほうが良いと思う。繰り返し訪れてくれる人はどこにいるかというと、都会の名前のない客よりも顔が見えて友達になれるローカル都市の人たちの方が良いのだ、と。

 顔の見える人たちとの付き合いこそが、リピーターに繋がるこれからの交流のように、私も思います。


       ◆ 


  
 そしてサイクリングはやはり欧米のスポーツだということ。

 アジア人はサイクリングを予定していても、天気が雨だと中止にしようと言い出します。しかし欧米の人たちはサイクリングをするなら雨が降っても絶対に実行する。サイクリングに対する考え方が、欧米とアジアでは違うのだと。

 まだまだアジア人にはサイクリングの哲学やマインドが育ちきっていないのかもしれません。


       ◆  


 そしてサトー君はこう付け加えました。

「それにしても、旭川で集合して稚内までの三泊四日300kmの自転車旅なんてのを作ると、あっという間に人数が集まると思いますよ。オプションで利尻や礼文へ渡ってもいいですよね。大変な旅ほど人気が出ます。最北の土地なんて絶対行ってみたいものですからね」

 日本中を、北海道をサイクリングの天国にしたいものです。 

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ちゃんとビジネスになる観光を~in中頓別

2016-03-14 23:48:28 | Weblog

 中頓別町で夜に観光振興のワークショップがあるというので、参加させてもらいました。

 中頓別町では来年度に観光振興計画をつくることにしていますが、そのための予備活動として、地域の魅力と観光のポテンシャルを考えるワークショップです。

 講師は、(株)北海道宝島旅行者の鈴木宏一郎さんとまちづくり観光デザインセンターのかとうけいこさんで、どちらも旧知の友人ということもあり、中頓別での活動を見学したかったものです。

 鈴木さんはまず、「"稼ぐ"観光地域づくりによる中頓別の活性化」という演題で自治体が観光振興に努力する意味を語ります。

「観光はあくまでも私たちが幸せになる手段。幸せにならないなら意味がない。来年観光振興計画を作るのでみんなで語りあって良いものにしましょう」

 鈴木さんは、インバウンドという海外から来る観光客を専門にする旅行会社を立ち上げて活動しています。最初はなかなかビジネスにならなかったけれど、ようやくそれが理解されて、用意した旅のメニューを買ってもらえるようになってきた、と言います。

「だから、地域でお金を使ってもらう、何かを買ってもらうということが本当に大事。ビジネスになって旅のメニューを買ってもらうことが大事なんです」と強調します。

 リピーターを増やしましょう。何度も来る人を増やしましょう。冬の雪原を見ていて飽きないという濃い体験を伝えたい。

 最初はソフトクリーム一個でもいいんです。でもそこで語り掛けないとだめ。「美味しいですか?これをつくっているところがあるんですよ。風景もいいんですけど」

「異・日常をおすそ分けすることで稼ぎましょう」

 鈴木さんは観光のプログラムを100個くらい作り、売れたのもあるけれど、50個はまったく売れなかったと言います。
 
 観光体験をどう演出するとミシュランの最低二つ☆がつくでしょうか。

 コンテンツは作るのが半分。そこから先は、ではそれは誰にいくらで売りますか、というマーケティングの世界。

 形にして値付けをします。それはその世界になれたプロの世界かもしれません。でもそうやってちゃんとお金を稼ぐ仕事としての観光をしっかり考える。

 とても大事なことだと思います。
 

       ◆   ◆   ◆


 次はかとうけいこさんのお話。

 彼女は「留学生の声からわかった中頓別の観光の可能性」というタイトルで、北大の留学生七人を中頓別へ連れてきて経験したことを教えてもらって分析してくれました。

 留学生は中国、台湾、フィンランドの子たちで、中には寒いところから二人、あとは都会から。

 彼らの心に残った中頓別の姿は、我々の想像を超えたところに面白さや魅力を感じていました。

「札幌で見る雪と違う。一メートルも積もった上の雪が楽しい」

「スキーウェアを貸してくれたのも嬉しかった」心のふれあいですね。

「小さな田舎町体験は初めてだったけれど、しばれまつりの花火がすごかった。都会の花火は遠くから見るだけだけど、ここの花火は真っ暗な中で上から花火が降ってきた」

「スキー場のゲレンデでのそり遊びが楽しかったのは、中頓別の若者たちが一緒になって本気で遊んだ姿が彼らに届いたと感じた」


      ◆   ◆  


 二人の講師の話を聞いた後は、中頓別の人たちによる観光コンテンツ探しの妄想大会。批判はなしで思いついたことをどんどん言い合って、新しい種を探すワークショップです。

 温泉、道の駅、ピンネシリ(山)、はちみつ、牛乳から作るソフトクリーム、ヨーグルト、鍾乳洞、砂金堀、まちなかの元気、民泊で宿泊…。

 中頓別はちょっと他にはないコンテンツに満ちた町です。いろいろなコンテンツをどう磨き上げて組み合わせて、地元の雇用と経済に結び付けるか。面白そうな展開にちょっとワクワクしました。

 よそ者の視点を持つプロのアドバイスを活かして、質の高い観光計画ができることを期待したいと思います。 

 

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旅先の恩を忘れず支えるために

2016-03-13 20:56:49 | Weblog

 ネットで、最北端の鉄道旅を書き記した記事がありました。

 鉄道のないところをバスや徒歩でショートカットする「ショートカット鉄道旅」で旧天北線の旅をしたレポートが面白おかしく書かれていました。

 


【目指すは最北端、極寒のショートカット鉄旅 ~廃線をたどるバスが、吹雪の中を疾走!】
   http://bit.ly/1TXxZan

 書かれた方は、最北の旅をするのに音威子府から旧天北線を辿って、中頓別~浜頓別を経由して鬼志別経由で乗り換え、宗谷岬を経由して稚内までバスでの旅をしたのでした。

 275号線から238号線をバスで移動する旅は吹雪模様だったようですが、運転手さんは「いつものこと」と平気で運転する様子に、著者は恐れ入ったのでした。

 音威子府から中頓別~浜頓別~猿払経由のバスの旅なんて、稚内に住む私もしたことはありません。

 なによりもこの路線は天北線が廃止になった際の代替運行の定期路線バス。この路線沿いに住んでいて通勤や通学、通院などの用事のための交通手段です。


 このバスを利用して無事に著者の方は望みの旅ができました。しかしこの路線、実際には乗客が少なくて今年の10月に、音威子府~中頓別の間が廃止され、予約制の乗り合いタクシーに変ることになっています。

 この記事を読んで私はコメントとして「こういう旅に価値を感じる人はきっと増えてくる。ただし経営を安定させるほどにはならない。物珍しさを味わう旅というのは、地域の人たちの日常のおすそ分けなんです」と書きました。

 ある友人がそれを読んで、「地域の暮らしのお裾分け、このフレーズはいいね。自分の言葉だというのが分かります」とコメントしてくれました。

 まさに、余所者にとっての"もの珍しい旅"は、地域の人たちの日常の暮らしを一時的に分けてもらっているものにほかなりません。

 地域の人たちも、おすそ分けしてあげるのは良いけれど次第におすそ分けしてあげられるだけの暮らしを維持できなくなりつつあるのが過疎地の暮らしの現実なのです。


 先月美瑛町で、写真の題材として人気があった"哲学の木"が所有者によって伐採されたという記事がありました。

 哲学の木の周辺の農地に対する観光客のマナーが悪くて農作業に悪影響を及ぼしていた、ということも書かれていました。

 


【日経新聞:「哲学の木」悩んだ末に伐採 北海道・美瑛の観光名所 】
 http://s.nikkei.com/1UpM92k


 これなども、地域の暮らしをおすそ分けしてもらっているという感謝の気持ちとか地元の暮らしへの敬意がやや足りないことのあらわれではないかと思います。

 地元の人たちが暮らしを守ってこその、地域性や観光素材ですが、地域の暮らしや景観が、それを維持するためのお金を生み出すような上手なシステムは確立していません。

【そこで提案~ふるさと納税で感謝を表そう】
「役場がちゃんと面倒を見るべきでしょう」と不平と不満をいう皆さんへ。地元の人たちよりも高い料金を払うということはないにせよ、もし訪ねた地域に共感や感謝の気持ちがあったなら、せめて【ふるさと納税】でその気持ちを表してはいかがでしょうか。

 ふるさと納税と言うと、お米や肉などの産物を返礼品として求めることが流行っていますが、返礼品をもらってもいいから、過去一年に恩に来た場所へのこちらからのお礼ということもあるのではないでしょうか。

 観光地の楽しみを先にいただいて、こちらが『後から返礼する』という意味でのふるさと納税。心ある旅人の良識になってくれると、これからの地域が守ることに役に立つに違いありません。


 「旅先の恩を忘れずふるさと納税」(字余り) 
 

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道東道の阿寒インター開通おめでとう~道東への注目度倍増

2016-03-12 23:45:45 | Weblog

 今日3月12日に、これまで白糠インターまでが開通していた道東自動車道において、白糠インター以東の庶路インターと阿寒インターまで約14kmが開通しました。

 そして同時に釧路市内をバイパスする釧路外環状道路が釧路西インターから釧路東インターまでの約10kmが開通。道東方面の高速交通がまた一段と便利になりました。

 釧路にいる知人からはフェイスブックなどで数多くの喜びの記事がアップされていましたが、快晴の下での開通だったようで喜びもひとしおのことと思います。

 ニュースとしては私的にはあまり大きく取り上げられていない印象です。やはり今月の北海道の最大の話題としては26日の北海道新幹線の新函館北斗駅までの開通ということで、こちらの方がより大きく取り上げられている気がします。

 確かに本州と北海道を高速で結ぶ新幹線が伸びたことで、まず函館が注目を浴びるでしょうし、一定のブームを呼び起こすことでしょう。

 しかし私はこの道東道の阿寒インターまでの開通は道内旅行者の移動量に与える効果はかなり大きなものだと思います。

 白糠インターから一般道へ降りて帯広からの国道392号線に降りて国道38号線経由で釧路へ向かうよりも、今日開通した高速道路を使うことで釧路までの時間短縮効果は16分とされています。

 印象としては「たった16分くらいで」と思うかもしれませんが、実際に走ってみた印象としては、現道のくねくね道を走ることと高速道路を走るのでは後者の方が格段に便利になる印象です。

 まして阿寒町や阿寒湖方面へ行くならば格段に便利になります。

 
 もともと札幌から阿寒湖温泉地区へ行くならば、帯広から池田~白糠方面ではなく、道東道が南北に分岐する本別ジャンクションでは北側の足寄方面へ向かった方が今でも早く到着することができました。

 阿寒湖温泉は今でも道東有数の観光拠点ですが、それでもそこだけを目的地にする旅よりも、阿寒町での道の駅やタンチョウヅル関連施設などを見て回る余裕が生まれますし、釧路市との連携もずっと便利になることでしょう。

 今年の道内旅行では道東への注目度がアップすることは間違いありません。

 できればこの道東への流れを、弟子屈町・摩周湖・屈斜路湖方面や厚岸・根室方面まで導いて人と経済の流動性を高めたいものです。

 末端に位置するところは、大きな発生源からの流入が増えないことには経済が膨らんできません。人間で言うと血流が滞る冷え症みたいなものですから、経済という血流をまわすことです。そしてそのためには太い血管である高速道路を整備するべきなのです。

 
       ◆ 


 よく高速道路を作ると、端っこへ流れてくる経済よりも端っこから吸い上げてしまうストロー効果が起きて地方は却って疲弊するという声を聞きますが、それにしても使う側にすれば選択肢が増えるわけですから、選択肢がないよりは新たな需要を生む効果が期待できます。

 問題はその選択肢の中で、自分たちを選んでもらうような工夫と努力をすべきだということ。釧路市や釧路湿原、阿寒湖にマリモなどはいわゆる「エッジの効いた」ポテンシャルを有しているのですから、工夫のし甲斐もあると言えるでしょう。

 さあ道東が注目される時代の幕開けです。


       ◆  


 このブログを書くにあたって地図サイトを見てみたところ、グーグルマップでは既に道東道の阿寒インター開通が反映されていたのに対して、yahoo地図はまだ反映されていません。

 こういうところに信頼性や誠実さの違いが浮き上がりますね。


   【googlemapではもう反映されていました】
 
 

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