川口マーン惠美さんの『ヨーロッパから民主主義が消える』を読みました。
川口さんはドイツのシュトゥットガルト在住の日本人。ヨーロッパの中から今の地域の現状を憂うレポートです。
そもそもEUのような国を超えた共同体は、第二次大戦後の西ヨーロッパの人たちの「二度と戦争は起こしたくない」という共通の思いからスタートしました。
戦争の火種は常にエネルギーの確保問題で、当時のヨーロッパのそれは石炭と鉄鉱石。ならば、戦争を起こさないで済むようにこの火種を共同で管理しようという発想が生まれました。
それが1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立。加盟国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)の六か国。
そしてこれが後に欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)と統合されて、1967年にEC(欧州諸共同体:European Communities)となる。
この当時のECであれば、目的は明瞭で通貨統合もなく、経済格差もどうにか対応できる範囲であり、確実にこれらの国々に富と平和をもたらすことに成功しました。
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しかしこれが、デンマーク、アイルランド、イギリス(1973年)、ギリシャ(81年)、スペインとポルトガル(86年)が加わり12カ国体制へと拡大し、その後ベルリンの壁崩壊で90年に東ドイツが西ドイツと統合されて自動的に編入し、当方への拡大が始まります。
91年にソビエト崩壊により東欧の国々が次々に自由主義経済に移行する中で、「ヨーロッパは一つ」という目的を掲げ、それらの受け入れ態勢を整えるように1993年にEUが誕生。
かつてソビエトと共にあった東欧諸国が加わり、今日のEUは加盟国28カ国、総人口五億人を抱える大所帯となっています。そして今日、大いなる理想と現実とのギャップに苦しむ姿が次第に明瞭になっています。
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「EUとはなにか」を一言で説明するのはとても難しいのですが、この組織の運営面から説明すると、EUはなんと七つの組織から成り立っているという複雑なもの。
①欧州議会、②欧州理事会、③理事会、④欧州委員会、⑤欧州中央銀行、⑥欧州司法裁判所、⑦欧州会計監査院の七つですが、選挙も経ないような人たちがこれらの組織を司って、加盟国の国民にとっては帰属意識もないようなEU。
裕福な国と貧乏な国との間の拠出金と補助金の不公平感や、誰が決めたか分からないけれどいろいろな事情がある国々を覆う様々な規制が、次第に統合していることへの満足感よりも不平不満を増殖しつつあります。
その最たる問題が、今日のイスラム世界からのテロと難民問題。
EUの市民ならば加盟国間同士はパスポートもなしに自由に行き来ができる自由な区域、それがEUという域外の人たちから見ると実に閉鎖的な利益集団というわけです。
そして乱れに乱れた祖国を泣く泣く離れ、「EUに行きたい、EUにたどり着けないならば死んだ方がマシだ」という決死の覚悟で、絶望に追い立てられるようにして冷たい海を渡っている人たちがこの瞬間にも大勢いるのです。
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著者は、ドイツのある新聞が書いた論評に共感しています。それは「今日の難民問題の源はグローバリズムにあり、それを止めさせたければ西側の国々が中東やアフリカで儲けていることから手を引くべきだ」というもの。
難民たちの姿からは「『私たちのおかげであなたたちは儲け、良い暮らしをしているのでしょう?』と問いかけているように思えてならない」と著者は感じています。
ヨーロッパの搾取の歴史は長く、それがキリスト教の布教から今日は民主主義の布教に変っただけで、彼らが一方的に中東やアフリカの秩序を一歩的に破壊していることに変りはないのだ、と。
著者の川口さんにもこれからどうあるべきか、の絵姿は明確に描かれていません。しかし、イスラムが西側諸国の秩序をふりかざす姿に"待った"をかけている今日、欧米はヨーロッパの近・現代史の総括をしないままでは先に進めないようだ、と感じています。
そして、わが日本の役割と立ち位置については、「日本はたまたまアフリカにもアラブにも植民地を持たなかった。しかもキリスト教ともイスラム教とも確執がない。だから私たちは十八世紀から行われ続けてきた彼の地での搾取を正当化する必要のない、"世界で唯一の先進国の住人"なのである。つまり、今アラブやアフリカで起こっていることを公正に判断しうるのは日本人以外にない」と記しています。
さて、経済的には世界有数の国でいながら存在感があるとはいえない日本。この独自の立場と視点を示し、世界の平和に貢献できる存在になれるかどうかは、これからの振る舞いにかかっています。
今のヨーロッパの問題を解きほぐす基礎的知識と現場からのレポートとして一読の価値あるこの一冊。
難民問題は決して対岸の火事ではないという恐怖を感じます。