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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

リアル下町ロケット~水素社会に向けた技術革新

2016-02-09 23:46:05 | Weblog

 宗谷総合振興局で、今年度二回目の「水素関連ビジネスの展開・促進にかかる勉強会」が開かれました。

 前半は道庁さんからの報告で、「水素関連ビジネス展開促進可能性調査」の結果について。これはどちらかというと、製造業関係者に対して、まだこのような分野で製造業として参入できそうな可能性がありますよ、という情報提供でした。

 後半は、大阪府茨木市に本社と工場がある高石工業株式会社の代表取締役の高石秀之さんが、自社での水素関連パーツづくりの苦労話を紹介してくださいました。

 高石工業さんは、そもそもゴムパッキン関係の製品を作っている、社員八十人ほどの製造業の会社。ゴムによる製品で、既存三分野とされる「水」「ガス」「空気」関連の産業に関わっていますが、夢としては「医療」「燃料電池」そして下町ロケットのように「宇宙」といった分野にも関わりたいとおっしゃいます。

 高石工業さんと水素ビジネスの出会いは全くの偶然で、九州大学のある先生から、「水素を活かす技術の基礎研究を手伝ってくれませんか」という一本の電話から始まりました。

 そもそも高石工業への電話も、その前にいくつもの会社に断られたうえで回ってきた電話だということが後で分かったそうですが、その電話に「やってみよう」と思ったのがつきあいの始まりでした。

 ガスでも水でも、管路の中のものを外に漏れないようにするには継ぎ手の部分に「O(オー)リング」というパッキンをいれて、これが管路内部の圧力を受けても外に漏らさない働きをします。

 ところがゴム材料というのは、水素を扱う上で70paという極めて高い圧力をかけると内部に気泡ができて亀裂ができることがあるという性質があります。

 そしてもう一つ、ゴム材料は高圧の水素にさらされると体積が膨張して破壊されるということもあるのだそうで、これらの弱点を克服しなくてはいけません。

 そのための試験片作りのために、考えられる限りの材料や薬品を混ぜ合わせた組み合わせを作って実験を繰り返しました。

 そうした実験の結果、シリカ(ケイ素)やカーボンを混ぜることで耐久性が増すことがだんだん分かってきて、ある段階から自社による様々な配合レシピを作ってみて実用として使える製品作りに繋げてゆき、水素が漏れない満足の行く製品ができあがったのだそうです。


           ◆ 


 水素自動車関連で言うと、水素は作った気体を「圧縮」して「貯蔵」し、それを車に「注入」するという行程でタンクの水素を車に送り込みます。

 既に実際に作られている水素ステーションでは、ガソリンスタンドのホースにあたるところに『緊急離脱カップリング』という装置が備えられていて、ガス充填中に車が発進してホースが外れたときの事故・災害防止の役割を果たします。

 この部分に、高石工業のOリングを用いて漏れのないことが認められ、ステーションの安全性の向上に大きな貢献をしています。

 高石社長さんはアメリカでの水素ステーションも見学に行ったそうですが、そこでは水素充填中にシューシューと音がして、どう見ても漏れているのですが、アメリカ人は「水素は軽いから大丈夫よ(笑)」と楽観的だった、と笑います。まあ日本の法律では認められないでしょうが。

 
 そうやってできた製品はその性能が認められて、中小企業総合展でベストプラクティス賞を受賞し、ご褒美にドイツのハノーバーでのメッセにも出品、またロサンゼルスのジェトロでも商談会を行えるほどになりました。

 
 この間の挑戦となかなかゴールにたどり着けないもどかしさ、そして最後に求める品質の製品ができた下りは、まさに「リアル下町ロケット」のようで、とても楽しくお話が聞けました。


           ◆ 

 
 講演後の質問で、「水素ステーションの実用性」と「できた製品の特許、そしてレシピの公開」について聞いてみました。

 すると、水素ステーションについては、「もう実際に配備されているだけの性能はあるものの、まだ普及段階であるために、パーツの値段や耐久性などは採算を度外視しているところがあります。だからより良い製品を作ってコストを社会が求める水準に落とすためにはまだまだやるべきことがたくさんある」というお答え。

 また独自技術の特許については、「ゴム製品は、薬品などを混ぜても、熱して整形するためにできた製品をいくら調べても作り方にたどり着けないという性質があります。なので下手に特許を取って作り方を公開するよりも、我々だけが持つ独自技術にして、私たちだけが作れるという製品で世の中に供給するという戦略が良いと思っている」とのことでした。

 
 偶然に声がかかったことからできあがった高性能な水素関連製品の話ですが、まだまだ水素社会を現実的なものにするためには多くの英知と挑戦が必要だということが理解できました。

 高石社長は、この一連のプロジェクトの結果、若手の成功体験や得られた結果を製品に反映させたりすることができただけでなく、「どうせできない」という考え方を「どうやったらできるか」に意識改革ができた、とも言っていました。

 やっぱりリアル下町ロケットなのです。モノづくりマインドっていいですね。

 北海道も水素社会に乗り出しましょう。

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稚内と全国をFDAが結ぶ

2016-02-08 22:24:23 | Weblog

 先月末に開催し、飛行機が到着せずに講師が来られなかった地域作りセミナーですが、お願いしていたFDA(フジ・ドリーム・エアライン)の青山部長さんがお詫び方々ご挨拶に来てくれました。

「先日は本当に失礼しました。稚内空港の上空で40分くらい旋回していたんですが、とうとうダメでした。講演会もご迷惑をおかけしました」
「いえ、お疲れ様でした。事前には見通せない天気模様でしたしね。講演会の感想では、やはり『青山部長のお話を聞きたかった』という声が多かったので、次回はぜひよろしくお願いします」

「はい、今度は前日から前乗りします」


 青山部長は今日の便で羽田から稚内入りしたそうですが、今日の飛行機もほぼ満席だったとか。

 私が「先日私が羽田から帰ってきたときも、ツアー客で満席でした。こんな季節に稚内観光なんて、と思ったらそれは流氷観光~層雲峡~札幌雪祭りという周遊ツアーで、実は人気商品らしいのです」というと、青山部長と一緒に来られたご担当の方が、「実は今回稚内へ来るに当たって、ネットを見ていたところ、私と同じような感想を持った方がブログを書かれていたのにヒットしたのですが、これは小松部長さんのブログでした」と教えてくれました。

 なんでも地域情報を書き留めておくと、誰かが読んでくださるものですね。


           ◆  


 今年度は全国22の地方空港から稚内へのチャーター観光商品を作り、お客様を運んでくれたFDAさんですが、新年度はさらに空港の数を広げるそうで、佐賀空港からも稚内への旅を作られるそうですよ。

「佐賀空港からですか。確かに佐賀から稚内へ来ようと思うと、福岡空港から羽田や千歳でさらに乗り換えですから、それが直接来られるとなると、相当楽になりますね」
「はい、特に年配の方は旅行商品の価格よりも、どれだけ楽に来られるか、ということを重視されますから、全国各地から直接稚内へ行けるという旅には需要があると思います」

「稚内市さんもかなり協力的と伺いました」
「ええ、機内では宗谷産の牛乳のアイスクリームや、勇知芋をつかったポテマルコというお菓子を提供しています」

 さらに青山部長さんは「先日の講演会でもお話ししたかったのですが、我々はANAさんやJALさんのような大手キャリアさんと競合する路線には進出を致しません。そうではなくて、地方同士を結ぶようなニッチなところに挑戦していきたいと思っています」とのこと。

 函館と稚内を結ぶ空路も検討されているそうで、そうなると逆に稚内の人たちもその飛行機を利用して函館へ行くことが可能です。

 新幹線効果が、函館から稚内へという方向のみならず、稚内から函館へという形でも表れるよう、FDAさんに期待したいですね。 

 稚内空港も就航率向上に努力しなくてはなりませぬ。

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チカ釣ってさばく、天ぷらは最高ね

2016-02-07 21:56:17 | Weblog

 職場の仲間と早朝から声問川へチカ釣りに行ってきました。

 今日のポイントは声問川の下流で海に近いので海魚のチカが入ってきます。

 川魚のワカサギを釣ろうと思えばもっと上流へいかなくてはなりませんが、今朝の稚内は結構な雪が降っていたので道路から近い下流ポイントにしたというわけ。

 現地到着は6時半くらいでしたが、もうテントが二十張りくらい陣取っています。

「みんな早いなー」
「あはは、みんなずっと前から張りっぱなしでいるんですよ」

 なるほどねえ。地元の人は設営と撤収を毎回繰り返したりしないんですね。


 我々も三張りのテントを用意して、雪かきで氷を出すとテントを張ります。中でドリルで穴を開けるといよいよ釣り開始。

 まだ私が仕掛けを用意している間に隣のテントからは「うわ、もう釣れた!」「餌もつけてないのに!」などと幸先の良い声が聞こえます。

 私の入ったテントは全部で三つの穴を開けて、三人で釣りを始めましたが、私以外の二人にはポンポンと形の良いチカがかかります。

 二人が5匹釣る間に私は1匹程度で、終始調子は上がりませんでした。


       ◆ 


 結果的に、参加した六人全員を合わせてなんとか100匹というところでしょうか。持ち帰りたい人といらないという人がいて、私は20匹ほどもらって帰ってきました。

 ワカサギならそのままから揚げにできますが、チカは大きいものだと20センチくらいになりますし背骨も固くなるので、食べるのには骨を取る方が良いでしょう。

 小型の魚は背中から開く「背開き」が良いというので、ネットで調べて見よう見まねで開いてみました。最初はどうにも要領を得なかったのですが、試行錯誤を繰り返して十匹くらいやってみるとなんとか形になってきました。

 右は最初の数匹で、慣れてくると左のように少し格好がついてきました。

 
 今日は天丼にしました。チカは天ぷらにしても柔らかくて美味しかったですよ。

 釣りは趣味と実益を兼ねますねえ。

 

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節分でも豆を食べちゃダメ?

2016-02-06 22:30:52 | Weblog

 先日札幌の自宅の妻から、孫が児童館で節分を楽しんだという連絡がありました。

 娘と孫はときどき、我が家の近くにある児童館へ遊びに来ているのです。

 節分のイベントは鬼のお面を作ることだったのだそうで、「あれ?豆まきはしなかったの?」と訊くと、「なかった」とのこと。

 そのわけはなんと、「最近は落花生アレルギーのある子供がいるので、落花生の豆まきはしないんだって」というものだそう。

「じゃあ大豆でもいいんじゃないの」
「三歳以下の子供には豆とかナッツは食べさせない方がいいって報道があって、それで子供には豆を食べさせないんだって」

「へー、じゃあ豆まきはしないんだ」
「まくのは新聞紙をちぎって丸めたものだって。それを豆の代わりにまいて鬼退治をするの」


 子供に豆を食べさせない方が良いというのは、子どもの場合砕けた豆の破片が肺に入って障害を起こすことがあるからなのだそう。

 ちょっと不思議な時代の様にも思えます。



  【三歳までは子供に豆を食べさせないで なぜ】
  http://huff.to/1Pr6izS

 

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なに?利尻も宗谷も「北見」だったって?

2016-02-05 23:21:42 | Weblog

 以前ある人から、「昔"天北線"という国鉄時代の汽車の路線があったんですが、知っていますか?」と訊かれました。

 そこで「私が小学校三年生まで稚内に住んでいた時にはその路線はまだありましたし、三歳の時には南稚内駅の次の駅がウェンナイというところで、そのすぐ近くのアパートに一家で住んでいましたからよく知っています」と答えたところ、今度は「ではどうして天北線という名前が付いたかご存知ですか」と訊かれ、今度はぐっと詰まりました。

 すると相手は、「あれは天塩国と北見国の頭文字を取って天北線と言ったんですよ」と教えてくれました。

「ああ、なるほど!」とその時は納得したものの、(そういえばなぜ"北見"というのだろう?)ということがちょっと引っかかっていました。

 考えてみると、オホーツク海の枝幸町も通称「北見枝幸」と呼ばれ、かつてこの町には興浜北線の北見枝幸駅がありました。

 ここでも北見が出てきますが、網走市の近くにある北見市とはずいぶん離れています。

 
 そんな疑問はちょっと忘れかけていたのですが、今回利尻島へ渡るのに、利尻富士町史を引っ張り出してきて読んでいたところ、ちょうど明治維新後に国郡の設置があったという箇所に出会いました。

 これによると、明治元年に新政府ができて、最後の反乱である箱館戦争が明治二年五月に榎本軍の降伏で終わると、七月に明治政府は開拓使を設置。ついで八月には松浦武四郎の進言に基づいて蝦夷地を北海道と改称して、十一国八六郡を設定しました。

 このときに利尻島は北見国利尻郡となりました。

 郡名をつけるに際しても、松浦武四郎の案に負うところが大きく、松浦武四郎は「蝦夷地道名国名郡名之儀申上候書付」を七月に提出しています。

 これによると北見の国は、「西天塩の境をエキコマナイより奥で、ネムロ境のシレトコまで海岸百二三十里併せてリイシリ、レフンシリ二島一局にしたいと思います。この辺りは、ソウヤ、モンヘツ、シャリ等いかにも国号にするには不都合なところなのですが、常々このあたりのことは"北海岸"と唱えてきたことがあるのでこの文字を使いたいと思います。
 カラフト島快晴の日には、見えるものですから、"北見"では如何なものかと存ずる次第です」とあります。


    【「利尻富士町史」より】

 つまり、彼は「北海岸と言われていて晴れれば樺太が見えるので『北見』では如何でしょうか、という提案をしたのでした。アイヌ語っぽくないわけですね。

 こんな経緯があったのでこの当たりの現代の稚内からオホーツク海川沿いの知床半島の突端までの斜里町の範囲が北見の国とされました。

 そういう目で改めてこの地域を見てみると、枝幸町手前のカムイ岬は、北見神威岬と言いますし、利尻島の利尻町沓形にあるのは北見富士神社となっています。

 ちなみに網走管内にある合併前の初代北見市が誕生したのは昭和17(1942)年のことなんだそうで、ずっと新しいのです。北見の元祖はカラフトの見える宗谷にあり、です(笑)

 知ってしまうと「なあんだ」ということなのですが、ちょっと面白かったので備忘録的に書き留めておきたいと思います。

 地名の歴史も面白いですね。


   【Wikipedia『北見国』より】
 

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利尻島のウニのお話

2016-02-04 23:35:54 | Weblog

 今日は昼から利尻島へ渡りました。今週はちょっと出かける用事が多いのです。

 今日のフェリーは、この季節には珍しいベタなぎでほとんど揺れずに到着しました。

 利尻島では利尻富士町と利尻町を訪ねて、補正予算の説明をしたり地域の情報を収集してきましたが、夜は利尻富士町の町長以下職員の皆さんと意見交換をしてきました。

 ふるさと納税の話になって、「利尻島のウニなんて絶品で有名なんですから、これを返礼品にしてもっとふるさと納税を全国からかき集めたらよいのじゃないですか?」と訊いてみました。

 すると町長は、「いやあ、それもやりたいんだけど最近は獲れなくなってきていて、お返ししすぎると島内での消費に回らなくなるという、全体のバランスが難しいんです」と教えてくれました。

 またさらに、ウニは獲れる日と獲れない日の差によって、値段が結構上下に振れるのだそう。昨日は安くても今日は高いなんてことがあるのだそうですよ。

「…なのでなかなか難しいところがあるんです」


 ふーむ、難しいものですねえ。
 
      ◆ 

「ところで最近は若い人たちにウニ漁師になってもらおうと思って、募集やら勧誘をしているんです」

「へえ、ウニ漁師というと足で櫓をこいでウニを取るんですか?あれは相当難しいでしょう?」

「ははは、足でやるのはさすがに修業を重ねたベテランでないと無理ですね。でも最近はスラスターという小さな船外機を操ってウニ漁をするんです。これなら割と簡単に操作ができるんですよ」


 これも一つの技術革新でしょうか。漁を安全で効率的なものにしなくては、地域でも支えられない時代です。

 頑張って利尻のウニを守ってくださいね。

 

 今日は昼から利尻島へ渡りました。今週はちょっと出かける用事が多いのです。

 今日のフェリーは、この季節には珍しいベタなぎでほとんど揺れずに到着しました。

 利尻島では利尻富士町と利尻町を訪ねて、補正予算の説明をしたり地域の情報を収集してきましたが、夜は利尻富士町の町長以下職員の皆さんと意見交換をしてきました。

 ふるさと納税の話になって、「利尻島のウニなんて絶品で有名なんですから、これを返礼品にしてもっとふるさと納税を全国からかき集めたらよいのじゃないですか?」と訊いてみました。

 すると町長は、「いやあ、それもやりたいんだけど最近は獲れなくなってきていて、お返ししすぎると島内での消費に回らなくなるという、全体のバランスが難しいんです」と教えてくれました。

 またさらに、ウニは獲れる日と獲れない日の差によって、値段が結構上下に振れるのだそう。昨日は安くても今日は高いなんてことがあるのだそうですよ。

「…なのでなかなか難しいところがあるんです」


 ふーむ、難しいものですねえ。
 
      ◆ 

「ところで最近は若い人たちにウニ漁師になってもらおうと思って、募集やら勧誘をしているんです」

「へえ、ウニ漁師というと足で櫓をこいでウニを取るんですか?あれは相当難しいでしょう?」

「ははは、足でやるのはさすがに修業を重ねたベテランでないと無理ですね。でも最近はスラスターという小さな船外機を操ってウニ漁をするんです。これなら割と簡単に操作ができるんですよ」


 これも一つの技術革新でしょうか。漁を安全で効率的なものにしなくては、地域でも支えられない時代です。

 頑張って利尻のウニを守ってくださいね。

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僕が「稚内空港に着いた!奇跡だ!」と叫びたくなった理由

2016-02-03 23:05:50 | Weblog

 東京から稚内へ帰る朝、羽田空港に来てみると、またまた『稚内空港は天候調査中』という表記。やれやれ、またかよ。

 心配させながらもなんとかとりあえず定刻通りに飛び立ったものの、やはり『稚内空港へ降りられない場合は新千歳空港かまたは羽田空港に戻る』という条件付きフライトとなりました。まったく冬は安心できない旅ですねえ。

 この時期の平日の稚内行きの飛行機ということで、(きっと機内は空いているだろうな)と思ったのですが、なんとほぼ満員ではありませんか。

 乗ってくる乗客をよく見ていると、ツアーのワッペンをつけた方が多く、どうやら団体ツアーが搭乗しているようです。

 私の隣には初老のご夫婦が座っていて、荷物の中からツアーの行程表を取り出す姿が見えたので、声をかけてみました。

「今日は稚内方面へのツアーなんですか?」

 すると奥様の方が「ええ、流氷を見に行くんです。流氷はもう四回目なんですけどね。フフフ」

「あ、流氷ですか!なるほど」 そうです、この季節の道北と言えばやはり流氷観光が人気なのでした。紋別でガリンコ号に乗るんだそうです。

「紋別では沖合に流氷が来たという報道がありましたから、きっと見られますよ」
「そうですか、なら嬉しいわ」


「ところで紋別で流氷を見た後はどのような行程なんですか?」

 すると今度はご主人が、「紋別の後は層雲峡で泊まって、最後は札幌で雪まつりを見て帰ります」

 流氷&雪まつり、なるほどものすごく距離を走る旅ですが、冬になれば北海道には行ってみたい強力なコンテンツがありました。

「でも札幌の人って、案外雪まつりに行かないものなんですよ。『あんなに混んでいるところにわざわざ行かなくてもいいよね』って感じで」
「そうですか、私は職場が京都なんですが、私も京都の祇園祭って一回も行ったことがありませんね(笑)。そうか、今度は行ってみようかなあ」


       ◆ 


 飛行機は無事に稚内空港に着陸しました。

 もしも新千歳や羽田空港に降り立つことになったらこのツアーはどうなっていたのかと心配になりました。

「着いてよかったですね。旅のご無事と素敵な思い出になるようお祈りします」
「ありがとうございます。これから先が楽しみです」


       ◆ 

   
 観光資源って、ただ見るか見ないかじゃないんです。

 『旅をする楽しみ』があって、そしてその先に見てみたいものがあるということが嬉しい。だから身近な観光資源は、見慣れているということもありますが、旅にならないので楽しみが膨らまないのです。

 そして実は来難いところほど、「はるばるここまで来た!」という喜びは大きいものがあります。

 そういうバイアス(考え方の偏り)があるという前提で身近なものを見て歩きましょう。

 北海道のそれも地の果て宗谷地域。簡単には来られないところというのも旅の楽しみを増幅させる要素があるかもしれません。

「着きましたよ!いや、奇跡だー!」くらいのことを言って煽っておけばよかったかな(笑)

 この土地の他には絶対にない楽しみ要素に自信を持ちましょう。

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ジュースビジネスは地方を救えるか~ベジピア

2016-02-02 23:12:44 | Weblog

 今日の東京は快晴。

 日本海側ではこの季節は大体曇りがちで雪が降る日が続きますが、脊梁山脈で雪を降らせた後の太平洋側は快晴になるのが太平洋側の気候です。

 こういうところに住んでいると、冬は晴れが続く過ごしやすい季節に思えるのかもしれませんが、その分の雪を日本海側に降らせているから晴れているのだ、という、『他者のお陰』についてどれだけ想像力が働くでしょうか。

 
 会議を終えた後に、東京の友人と情報交換をしましたが、彼は地方発のビジネス作りに邁進しているのだそう。

 地方発のビジネススキームとは、地方で獲れた野菜を多数ミックスして、コールドプレスという低速回転式のジューサーで作ったジュースを売るというもの。

 ジュースはミックスする野菜や果物の種類によって色や味わいが変わりますが、水や砂糖などの混ぜ物は一切なく、食物繊維や各種のビタミンなどの栄養素、それにある種の酵素を壊さない形で体に取り入れられるので、健康志向の方向けの一品です。

 ジュースは都内のショップでスタンド売りをするものと、パック詰めにして宅配で自宅へ配送するという二つの入手方法があり、お値段はちょっとお高めですが、地方発の産物を味わえます。


 このビジネススキームが特徴的なことは、作るのは一カ所の効率的な工場ではなく、地方の母さんたちが集まって家内制手工業で手作りの形で作るものだということ。

 効率的ではないのでどうしても高くなりますが、地域で採れる産物をジュースにするということではその程度の作業量で十分。また地域の人たちが集まって顔を見合わせながら作るコミュニティの産物であるともいえます。

 そして、こうした工場を全国で百カ所作れば全国で百カ所の地域のコミュニティを応援することができるというわけです。


       ◆  


 売るのは東京を中心とした、お金はあるけれど健康への感性が豊かで、地域との関わりを価値あるものと考える人たちをターゲットにするもので、安いから売れるというようなビジネスとは一線を画したい、と友人は言います。


「損をしない程度で、それを買うことが幸せな人たちに訴求して、結局地域のおばちゃんコミュニティを助けられるようなビジネスになるといいと思って挑戦してみます」


 とにかく多様な人がたくさんいる都会だからこそ売れるようなビジネスモデルなのかもしれませんが、都会ならではの可能性を追い求めて、都会と地方を結び付け、結果として地域が救えるのなら面白い。売って儲けるだけのビジネスではない、地域との連携を追い求めるビジネスです。

 ジュースの名前は「ベジピア」。この挑戦を見守りたいと思います。

 


       【ベジピア】http://vegepeer.com/

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稚内空港の弱さ ~ 東京出張へ行けるのか

2016-02-01 22:26:45 | Weblog

 明日の午後に東京で開催される会議に出席するために飛行機で上京。

 …と思ったのですが、先週のセミナーの時と同じように朝から雲行きと風の具合が怪しくなってきました。

 東京からの飛行機の到着時刻は12時25分ですが、その前に到着するはずの札幌からの便がなんと引き返したという連絡が入りました。
 
 東京からの便もまたまた千歳へ向かうのでしょうか?

 
 とりあえず空港へと行ってみると、「滑走路の除雪を13時まで行い、その後着陸するかどうかを決めます」とのこと。うーむ、気を持たせます。

 前回のセミナーは、もしも飛行機が到着しなかったらどうするか、というシミュレーションを行っていなかったので焦る結末を迎えましたので、今日は「もし飛行機が飛ばなかったらどうするか」を事前に検討していました。

 飛行機が到着せず、稚内から乗れないとなった時のプランBは『旭川まで車で走り、旭川空港発19時過ぎの羽田行きに乗る』というもので、プランCは『さらに旭川もダメそうだったら新千歳までJRで向かって21時の最終の羽田行きに乗る』というもの。

 稚内が駄目でも判断が早ければ、陸路を移動してなんとかする、というのが万が一の時のオプションというわけです。

(そんなことにならなければいいがなあ)と思いながら空港でじっと待ち続けていると、13時少し前に、「除雪が終了次第着陸いたします」というありがたいアナウンスがありました。

「助かったー」これで旭川まで車で行く事はありません。

 この時点で、本来13時15分発の飛行機の出発予定は14時10分に変更されていました。

 しかしいざ飛行機に乗って待っていると今度は、機内放送で機長から「え~、ただいま連絡がありまして、再び滑走路の除雪をするので14時40分頃まで出発を待つようにということです。ご迷惑をおかけいたします」という話が。

 結局稚内空港を飛び立ったのは14時45分で羽田到着が当初予定から一時間半遅れの16時50分でした。

 東京で午後開催の会議ということなら、札幌からなら当日の午前中の便に乗れば大概間に合うような感覚ですが、特にこの時期の稚内からだと、前日から東京入りしようというのにこれだけのドタバタを乗り超えていかなくてはなりません。

 地方ならではのハンデと言ってしまえばそれまでですが、改めて地方空港の苦労を思い知りました。

 

  【上空は晴れているんですがねえ】
 

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