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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

初めは小さな窓から

2008-03-21 23:15:21 | Weblog
 朝は少し寒かったものの、日中は気温も上がって少し暖かくなりました。東京の桜開花予想日はもう来週に迫りました。

 さて、明日から一泊二日で掛川へ行ってきます。明日の土曜日は、NPOスローライフ掛川の活動だったライフスタイルカレッジの卒業式。一年間の成果を分かち合いながら、たくましくなった受講者の皆さんの顔を見てこようと思います。

 お茶を学ぶのに、器を焼き物で作るところまで行ってしまう講義とは、いったいどのようなものでしょうか。小さいと思った窓を開けてみると、大会が広がっていた、なんてことが多いのです。

 そして明後日は、市内で造り酒屋をやっている知人のお宅でお酒の蔵開きがある、というので覗いてこようと思っています。やはり蕎麦打ちをしている知人の団体が応援に回ると言うことで、掛川の蕎麦研もお手伝いとしてかけつけます。

 お互いに団体同士が切磋琢磨して腕比べをするというのは刺激的です。微妙に蕎麦の打ち方も違ったりして、流派の違いが分かることもあります。

 酒、蕎麦、器…と、いろいろな要素が揃ってきたような気がします。あとは書、友、家…と世界が広がりそうな予感。

 どんなに小さくても、初めは小さい窓を開けるところから始まるのです。

 
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「公務員クビ!論」を読む

2008-03-20 23:46:07 | Weblog
 朝から関東地方は冷たい雨。外に出る気もせず、家計簿をつけたり名刺の整理をしてあとは読書三昧。まあこんな日があっても良いのでは。

 中野雅至著「公務員クビ!論(朝日新書)」を読みました。ショッキングなタイトルで、首が気になる公務員が手にしそうな本で、思わず私も買いました。

  

 著者の中野さんは、現職は兵庫県立大学の助教授なのですが、社会人人生の中で全ての種類の公務員を経験しているのだとか。
すなわち、就職は奈良県の市役所だったのですがその後国家公務員Ⅰ種試験に合格して当時の労働省へ入省、出向で新潟県庁で働き、ハローワークと労働基準監督署も経験した後、本省の課長補佐の時に退職をしたのだそう。

 そうした経歴を買われて、官房長官主催の「官民人材交流センターの制度設計に関する懇談会」の委員としてもご活躍なのです。

 ちょっとショッキングなタイトルに比べると内容は至って真面目で、公務員の受難の時代を哀れみつつ、国民に理解を求めることが多いようにも読めます。

 本省での超過勤務の厳しい実態と、高い要求レベルから結構やらなくてもよい仕事も多かったりというその内容まで、良く描いてくださっています。

 しかしその一方で、不真面目な公務員が存在するというあたりにも厳しい指摘はしています。やはり公務員が志を持って働かないというのではどうしようもないわけ。
 結局のところ、公務員論というよりはそこここでの組織活性化論なのかもしれません。

    ※    ※    ※    ※

 その上で、まず公務員制度改革はなぜ難しいのか、という点に触れています。
 そのはじめは、①公務員制度を抜本的に改革したときの効果の不確定さ、を挙げます。なんだかんだ言っても、日本の公務員は基本的には真面目で優秀なのです。国際比較をしたって決して引けを取りません。それなのに中途半端な改革をして「角を矯めて牛を殺す」ということになってはよろしくない、というのが一点目。
 
 次が②現在の公務員制度はそれなりに機能している、と言うこと。不祥事があれば目立つものの、全体として「機能不全」とまで落ちているわけでもあります舞う。

 そして③は改革のモデルがない、ということ。諸外国では国柄に沿った様々な改革が行われていますが、それだって必ずしも成功というわけでもありません。どうしたらよいか分からないのに、政治家もなかなか踏み込もうとはしません。まして、様々な服務規程の廃止と労働権の付与まで踏み込むには、その影響がどれくらいかはっきり言って分からないのです。

    ※    ※    ※    ※

 しかしながら著者は、そうした改革が難しいとしてもやはり向かう先は「官民統一」を行った上で「官民流動化」へと進めるべきだ、と主張します。

 官民統一とは、公務員と民間企業で働く人との労働条件を限りなく近づけると言うこと。それはやはり競争原理を導入して活力を取り戻すということが大事だからと考えているからに他なりません。

 そしてそのうえで、官民の人事交流を進めるべきだ、というのですが、アメリカのように政権が交代するたびに数千人単位で変わる、というのではなく、人材交流を進めて、官が民の現実を知り、民が官の現実を知るというお互いの相互理解を進めることにメリットを感じているのです。

 防衛や警察などは例外としつつも、案外面白い提案かも知れませんね。公務員だって一度は民間人になってみたいと思う人は多いはずですから。民間の方もどうぞ公務員になってみてくれると良いのではないでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 最後に著者は、公務員の世界は無駄が発生せざるを得ない!と言い切ります。その理由を、「役所と言うところは民間企業に比べて考慮すべき価値基準があまりにも多いから」という理由を挙げます。

 確かに各種の法令や次から次へと出てくる各種の基準に基づいて、説明責任を果たしつつ、記録を残しつつ、間違いがないという前提で物事をただしく進めるというのは容易ではありません。

 守る方は敵(住民)がどこから攻めてくるのか分からず、全方位的に専守防衛に努めているのですが、やはりどこかに手や気遣いの回りきっていないところが生じるものです。

 まして、そうしたことが過去に遡って指摘されたりすると、いかにも多年にわたって業務を不真面目に行ってきたという印象が植え付けられます。そしてそれに対して耐えながら改善を進めなくてはならないのが現代の公務員の姿です。
 まさに公務員冬の時代と言えそうです。

 官も民もお互いを批判しながら、ある種の憧れを互いにもっているもの。それは単に「隣の芝生は青く見える」だけなのだと思うのですが。

 それでも親が子供になって欲しい職業の第一位は公務員。

 さてさて、公務員になったほうが良いのか悪いのか…。

 世の中には、楽してお金がもらえる仕事なんて無いのですがね。
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市場原理主義とグローバル経済と

2008-03-19 23:41:17 | Weblog
 久しぶりに本屋さんへ行きました。知的うっ憤がたまっていたのか、思いの外本を買い込んでしまいました。

 今の興味は「市場原理主義とは何か」ということと、「グローバル経済とは何か」ということで、これらに関する書物を買い込みました。なかでも東大経済学部教授の神内直彦さんは今の政府の市場原理主義経済に行き過ぎたところがあるというスタンスで、「経済学は国民を幸せにしなくてはならない」という論調を貫いています。

 経済学とは少し違うけれど、神内先生の財政学の本を読んで、やはり市場原理主義をあらゆる領域で推し進めることには間違いがあると思い始めています。

 たとえたくさんの敗者を生み出したとしても、一部の勝者がいれば、その数少ない勝者に社会をリードしてもらうというのは聞こえが良いのですが、結局そこで得た富を再配分する機能が弱まってしまったのでは、単に勝ち組を潤すだけに終わってしまっているだけです。

 市場原理を推し進めたのはレーガン時代のアメリカと、サッチャー時代のイギリスであり、それらがいっときでも経済的に成功をしたかのように見えたことで日本も遅れてその方向に舵を切りました。

 しかし例によって単に熱くなってヒステリックに市場原理主義を推し進めすぎて、その弊害が出始めていると言うことに対して冷静な議論が必要なところまで来ているのではないでしょうか。

 一部の金持ちの陰に累々たる貧困という経済格差を放置していては社会の安定を欠くことになります。その貧困という結果を個人の努力と才能のせいにして、自己責任という単語を都合よく使いすぎているのではないでしょうか。

 経済格差に学力格差など世の中は格差ブームですが、格差を語る人たちは勝者の側に立っている人たちが多くて、「ブーム」などと、あたかもいっときの現象であるかのように語りすぎています。
 
 ブームが去った後には取り返しのつかない社会が広がることになるのではないか、という不安と懸念が日々増しています。

 そしてそうしたことに正しい理解を持とうと思ったら、まずはその現象について勉強をしてみなくてはなりません。そんな書物を買い込んだので、これらを読み込んでこれからの処方箋を識者たちがどのように描いているのかを学んでみようと思います。

 本を買いすぎて私の財布も少し貧困に陥っていますが…。

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後輩、アフリカへ赴任する

2008-03-18 23:30:01 | Weblog
 一週間前からは飛んでいる花粉の量がさらに増えているようです。予防のための薬を飲み、目薬を差していてもなお症状が出てきます。
 もう少しだけ耐えなくては。


 この4月からアフリカの国へ外交官として勤務する後輩の壮行会…という名目で一杯飲みました。

 赴任地は一部で内戦も起きている国なのですが、本人は「危険な場所はある程度分かっていて、そこへ行かなければよいそうですよ」と務めて平静を装っています。

 それでも「予防注射はしたのかい?」という問いに、「ええ、家族も含めて十数種類の注射を打ちました。ポリオなどは昔打った予防注射の効果が消えているときもあるそうで、全部チェックして足りないものを打ちました」とのこと。

 外国は、日本と違うという意味では大変かも知れませんが、逆に日本を飛び出してみることで視野が格段に広がることでしょう。頑張って現地の発展と日本の地位向上に貢献してきてください。

 …というわけで今日も飲み過ぎました。う゛~う~
 
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便利な書見台

2008-03-17 23:04:28 | Weblog
 本を読むのに、手を離して読める道具が書見台です。

  

 英語ではブックスタンドと言いますが、良いのを探していて見つけたのがこれ。株式会社エジソンの折りたたみ式携帯用書見台で、その名も『ほんたった』という見たまんまの商品です。

 素材はポリカーボネート製で、ページを抑えるところは透明なので読みやすく、たためば細くなって付属のソフトケースに入るので持ち運ぶのにも便利に出来ています。

  

 本全体を抑える太くて強いバインダーと、読む分のページを押さえる弱いバインダーを組み合わせているところが工夫しているところ。
押さえが強すぎると読んだページを入れるのに苦労しますからね。

 小さな文庫本からA4サイズの大きさまで、厚さは約4センチまで対応できます。本を見ながらキーボードを打ち込むのにも取っても便利です。

 気になるお値段は、東急ハンズで1,800円+消費税分で1,890円なり。高いと思うか安いと思うかは、あなた次第です。

  
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「鬼」がつく神社

2008-03-16 23:18:59 | 東京ウォーク
 昨日に続いて暖かい一日となりました。

 こんな日は自転車を持ちだして東京ツーリングです。今日は新宿区内をぐるりと巡りました。新宿区にも変わった神社が結構あるのです。

 まずは新宿歌舞伎町の北のはずれにある稲荷鬼王(いなりきおう)神社へお参り。ここは読んで字のごとく、神社の中になんと「鬼」という言葉が使われていて珍しいのです。

  

 その由緒は江戸時代初期に稲荷神社が建てられ、約百年後の江戸時代中期にある百姓が紀州熊野で病気になったときに平癒した感謝から鬼王権現を勧請し、さらに百年後にこの二柱を合祀して稲荷鬼王神社が誕生した、ということなのだそう。

 しかし現在紀州熊野にも鬼王権現という神社はないため、鬼の名が付く神社は全国でもここだけとか。ここでの「鬼」は神や力のパワー象徴であり、悪いという性格を帯びた意味は含まれていないのです。

 ですからこちらでは節分の豆まきの時にも「福は内、鬼は内」と唱えるのだそうですよ。これまた珍しいですね。


 こちらの稲荷鬼王神社には境内に水琴窟(すいきんくつ)が二つも設置してあります。水琴窟とは、地中に大きな瓶を逆さまに据えて、そこに上から水のしたたりが落ちるようにしかけてあるもので、水滴がおちる「ぽちゃん」という音が瓶の中で反響して透明感のある音が楽しめるという仕掛けです。

  

 ひしゃくで水を水の落ち口に注ぐと音が聞こえるのですが、張り紙には「一度にたくさんの水をかけては無粋です」とありました。やんわりと注意を促すのに「無粋です」と言う当たりが粋じゃありませんか。
 竹筒から聞こえる音はとっても粋でした。

  

    ※    ※    ※    ※

 さてお次は皆中稲荷(かいちゅういなり)神社です。

 こちらは、天文二(1533)年九月に武蔵の国躑躅ヶ丘(つつじがおか=今の新宿区百人町)に稲荷の大神が出現し、九月二十七日に稲荷の大神を神社に奉斎という口碑伝承による社伝が残っているのだとか。このとき以来、この稲荷神社は新宿の枢要な神社としての地位を与えられ地域を見守ってきました。

  

 時代は下って徳川時代の寛永年間(1624~1643)に、鉄炮組百人隊をこの地に駐屯させ、土地の名前も百人町と名付けられるようになりました。

 そんな当時、鉄炮組与力が射撃の研究に精魂を傾けていましたがなかなか鉄炮の弾が当たらず苦心していたのですが、ある夜夢枕に稲荷之大神が現れて霊府を示されました。

 翌朝不可解なままお参りを済ませてから射撃を試みたところ、これが百発百中、見事な進境に驚いたとのこと。これを目の当たりに見た旗本の士たちも競って霊府を受け射撃を試みたところ、これがまたことごとく的中したと伝えられています。

 この話が近在に伝わり、世人はこの神社を「皆中(みなあた)る」の稲荷と称するようになり、以後「皆中稲荷神社」と呼ばれるようになったとのことです。

    ※    ※    ※    ※

 今でも警察官や自衛隊など射撃を生業とする方の参拝は後を絶たず、中にはお参りをして射撃の大会で優勝をしたと報告に来る関係者もいたとか。

 また「あたる」ということから、宝くじや賭け事などに願い事をする参詣者も多く訪れるとのことです。

  

 境内の中には新宿区の保存樹木が多いうえに、躑躅などの鉢花も沢山置かれていて、大都会のちょっとした緑のオアシスになっています。都会の緑の拠点としては目立たないけれど神社は結構大きな貢献をしているはず。大切にしたいですね。

 お守りは的に当たる矢を象ったもので、ありがたく買い求めました。宝くじと一緒にしまっておくことにします。

  
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鬼太郎、目玉を抜く

2008-03-15 23:27:52 | Weblog
 二週連続して週末が使えなかったので、今日は一日家の片づけと掃除に費やしました。ちょっと手入れを怠ると随分汚れているものです。

 ネットでニュースを見ていたら見出しに「CO2をG2Oで」と書かれていました。CO2は二酸化炭素の削減問題だろうと予想はつきましたが、G2Oとはなんだろう?

 単純な打ち込みミスかと思ってよく考えてみたら、千葉で開かれている、20カ国の財務大臣・中央銀行総裁会議の略称の「G20(ジー・トゥエンティ)」のことでした。

 洞爺湖サミットに先駆けて、環境問題もこのテーブルで話題にしておこうというお話なのですが、CO2(シー・オー・ツー)の後にG2Oと書かれると「ジー・ツーオー」かと【読みまつがい】をしてしまいました。

 G20のGとはグループの頭文字のGなのですが、英文のホームページには"G-20"と"-(ハイフン)"が入れられていますから、外国人も間違えやすい文字の並びだということなのでしょうね。

 日本語もハイフンを入れれば分かりやすいのしょうけれどね。

    ※    ※    ※    ※

 【読みまつがい】をもう一つ。

 同じくネットのニュースを斜め読みしていたら「鬼太郎が目玉を抜く」とありました。

  

 最近深夜アニメで原作に近い、おどろおどろしい「墓場の鬼太郎」のアニメを放映していると聞いていたところです。水木しげる原作のマンガの「墓場の鬼太郎」では、鬼太郎の左目から目玉おやじが飛び出してきて驚いたものです。

 そんなシーンがアニメでも登場したのかなあ、と思いながら(そんなことがニュースの見出しになるのか?)と思い直して記事を読んでみました。

 すると「鬼太郎めだまを抜く」は【読みまつがい】で、正しくは「鬼太郎のだめを抜く」でした。

 "のだめ"とは、音楽マンガで人気となった『のだめカンタービレ』の略称で、これまた深夜アニメで人気となったのでした。そして今回はこの鬼太郎のアニメが、同じく深夜アニメで人気だった『のだめカンタービレ』の視聴率を『抜いた』ということだったのです。

 「のだめ」のことはドラマで見て知っていたのですが、「鬼太郎」と「のだめ」は結びつくイメージを持っていなかったので、結びつく「めだま」だと思ってしまったわけです。

 とんだ勘違いで、自分でも笑ってしまいました。

 「鬼太郎、目玉を抜く」ってシュールで結構良いと思うんだけどなあ。
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NPOとスローライフ

2008-03-14 23:03:54 | Weblog
 ちょっとした昼食会にお誘いを受けて昼に出かけてきました。

 昼食会では、ある自民党の国会議員のA先生からNPOの誕生から今後についてのお話が聞けるというので楽しみにしていたのです。

 NPO法人は平成10年3月にできた特定非営利活動支援法(通称NPO法)によって法人格が与えられるようになりました。それ以前は、何人かが集まって会を作り公共的活動をしようと思っても、会の名前では電話一本引くことができなかったのです。

 この法律によって、法人の立場で契約をしたり電話を引いたりといった法人活動が行えるようになったのです。

 こうしたことに熱心だったのは、今は野党系の女性議員だったとのことで、最初は市民活動支援法を作ろう、と言っていたのだそう。

 それに超党派で支援をしようということで、A先生も加わって勉強を重ねていたのだそうですが、そんなある日、ある大物の先輩代議士が「・・・A君は、市民活動支援法を応援しているようだが、『市民』とは野党が使う単語であって、自民党は『国家国民』を大事にする党である。A君には国家感が足りない・・・」などと言っているのを聞いて、「そうなのかなあ」と思ったということをエピソードとして披露されました。

 いわゆる「市民」という立場で規制の秩序に一石を投じている方もいるようですが、そこから議論と一定の秩序に導かなくてはならないのが現代民主主義でもあります。

 「市民」と「国民」とが対峙するような関係に捕らえられているというのは興味深いですね。

   *    *    *    *    *

 A先生は東北の片田舎出身で、ふるさとの地域にはまだまだ地域コミュニティが残っていると感じています。しかしそれも次第に崩れ始めていることを感じているとも。

 田舎で絆が強いと感じるのは、まず神社の氏子をはじめとした宗教団体、次が消防団、PTA・・・などがあるといいます。

「地区では学校の学区対抗マラソン大会などが熱心で、そういうところは地域コミュニティがよく運営されているんです。だから、教育バウチャーなどと言って、『誰でも好きな学区に行ってよいですよ』などということが行われると、これは地方の秩序の破壊に繋がるので、地域では反対が多かったのです。自民党もこれを進めようとしたけれど、地域にとっては大変なことになるところでした」というお話もされました。

 教育バウチャーが、地域の秩序を破壊するという側面があるというのは意外でした。

 それでいて私自身は、地方の都市にずっと住む人達の中には、町内会などの地域秩序にがんじがらめになって、一生続く先輩後輩の関係の中で才能を埋めさせてしまっていることもあると感じています。

 地域の人達にとっては、土地に根ざした地域秩序と、土地を越えてある目的意識で自分のやりたいことの同志を募り、広い範囲で活動をするNPO活動というこのバランスが大切なのです。

   *    *    *    *    *

 一方で日本社会は、市場化を進めてさまざまなサービスや商品が市場で調達できる社会を目指してきました。塾という教育サービスも、それまでは家族が支えてきた介護も介護サービスとして市場が供給してくれるようになったのです。

 それはそれですばらしいことなのですが、日本の片隅には市場だけでは距離的に、あるいは費用的に市場化が行き渡らない場所が残ってしまいます。

 いわゆる過疎といわれるところがそうです。市場化に頼り任せてしまうことで、一人一人が家族の中で無償で提供していたサービス能力が失われています。実際にはどこでも市場によるサービスを調達できるとは限らないのです。

 そういうところにあって、市場と家族の無償労働の間に位置できるのがNPOなのかもしれない、と思うのです。

 一人一人がやはり自分ができる能力を失わず、それを家庭内にとどめずに地域に貢献するのです。ここでのポイントは、自分自身がたとえ安くても売れるサービスを提供できる能力を保持しておくべきだということです。

 それが市場化に対抗する唯一の手段であり、それを皆で集まって行うのがNPO活動というわけです。

 「スローライフ」の本当の意味はじつはここにあります。効率化で早く安く提供される市場サービスが届かない地域で、人々が自分も能力を提供して力をあわせて生きてゆくことへの覚悟こそ実は「スローライフ」なのだと思うのです。

   *    *    *    *    *

 何でも効率化してビジネス化にする「市場化社会」は実にダイナミックで躍動的です。才能のある人は自分の才能と労働を広い市場で売ることでお金持ちになることができます。

 そんな市場化が機能するのが、人がたくさん集まっている都市であり都会です。市場化社会では、多くのチャンスを求めて人はどんどん都市に集まります。過疎の本質とはまさに「市場化社会」というコインの裏側です。

 それが憧れの「市場化社会」で、日本はそれから逃れるべきでもありません。しかし、それがどこまでも行過ぎて社会の格差はひずみが大きくなりすぎると社会が不安定になります。

 社会から信頼や忠誠の心が失われます。その危険性のバランスを見抜く眼力が政治家にも求められているといえるでしょう。

 「市場化」は有用な価値観ではあるけれど、世の中の何もかもを
市場に任せて市場化が絶対的な価値観を持つことは誤りだと思います。

 行政には、市場化による効率化だけではなく、安定した社会を目指すための活動が必要です。NPO活動もそんなことの一つであることは間違いありません。

 自分の能力がどんな役に立つのかを考えてみてはいかがでしょうか。

 今日はNPOと地域社会について考える良い機会となりました。
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SNSの可能性

2008-03-13 23:54:13 | Weblog
 地域SNS研究会の報告会があったのだそうで、研究会参加者が夜に集まるとのこと。

 SNSとは、「ソーシャル・ネットワーク・システム」の頭文字をとったもので、地域の中で住民同士が連絡を取ったり情報を交換したるするための専用のサイトを使おう、という動きのこと。

 市民全員がこれに入ってくれれば、回覧板を回したり市民広報なども配布しなくってもよくなる、なんて夢もあるのですが、なかなかそこまでは行きません。まずは使える人達だけでも結び合ってみて、そこから何が生まれるのかな、という段階です。

 こうした動きを総務省が応援していて、地域SNS研究会が立ち上げられたのですが、いち早く掛川もこの研究会に参加して補助金をもらいながらモデル的な事業を行ってきたのです。

 今日はこれまでの調査の報告会で、私も以前に一度懇親会に参加したことから今回もまた参加させてもらったのです。会場はいつもの神田の「亀吉」という飲み屋さんです。

   *    *    *    *    *

 以前にもお会いした方たちもいて、皆さんそれぞれの地域でSNSを立ち上げて運営をしている名の通った方ばかり。実はすごい人達の集まりだったりするのです。

 話題はいろいろなところに及びましたが、私自身わからないことは、双方向の発信が誰でもできる社会が「Web(ウェブ)2.0」などと言われていますが、これで世の中がどう変わるのだろうか、ということ。そこで総務省の方に伺ってみました。

「実際、Web2.0で、世の中はどう変わるとお思いですか?」するとその方からは
「そうですねえ、どう変わるかという予測は難しいですね。それよりは、実際そういう能力を社会が身に着けつつある、ということのシンボリックな言い方が『Web2.0』ということだと思います。だから何かが変わっているんだ、と思うだけで良いのではないでしょうか」

「なるほど、そうしてだんだんにパソコンや携帯で通信をすることが当たり前の人達が増えてゆくなかから新しい秩序やビジネスが生まれてくるのかもしれませんね」
「そうですね、それを予測なんかするよりも、実際に使ってみて便利な社会につなげる工夫をするほうが良いと思います」

   *    *    *    *    *

 日本という国はどうも悲観主義に傾きがちで、「○○が危ない」「○○に備えよ」といった論調に目が行きがちです。ある程度の楽観的な見方をして、新しい技術で少しでも便利な社会を創造するほうが良いかもしれませんね。

 さて、SNSを上手に活用して幸せなまちを作れるのは誰でしょう?

 それはきっとあなたであり、私なのです。
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震災の記憶

2008-03-12 23:59:44 | Weblog
 わが機構の職員向けセミナーに参加しました。本日のタイトルは「震災復興事業に学ぶ」

 平成7年1月17日早朝に発生した都市直下型地震である阪神淡路大震災は、死者6,434名、家屋の被害は前回約10万5千棟、半壊約14万4千棟、一部損壊39万棟という未曾有の被害をもたらしました。

 災害発生のパニック時から、被災者の救出、被害状況の把握へと段階が進むと復旧、復興に向けた活動が始まります。

 災害からの復興は、特に建物被害が大きい地区にあっては、単純に元のままの建物を建てるのではなく、従前権利者の財産価値を守りながら、新たに街路や公園などの都市施設を充実させ全体としてのまちの価値を高めるようなプログラムが求められます。

 当時この災害復興のために「震災復興事業本部」が立ち上げられましたが、機構はそうしたまちの復興活動に人材を投入し、あらゆる事業手法を駆使して、経験やノウハウを総動員してこの復興に取り組みました。

 今回のセミナーは、そんな中から三名の先輩をお招きして、当時の混乱期の状況や復興に向けた取り組みの具体的な事例と苦労談を聞かせていただこうというものでした。

   *   *   *   *   *

 実際現地に住まわれていて、被災者でもあった講師の感想は、「平常時から行政、公団(当時)、コンサルタントなどのまちづくり関係者の結びつきがあったところでは復興時にそれが機能した」というものでした。

 また、「迅速な進捗のためにはトップ同士の交渉とトップ判断が重要」というもので、平時の意思決定手続きと有事の際の意思決定手続きの違いのあるべき姿を強調されました。

   *   *   *   *   *

 その一方で、迅速な復興事業着手、事業完了が求められる反面で、時間をかけなければできないということも多く、その間での苦労も多かったとのこと。

 たとえば、復興計画を立てる上で大事なことは、まず被災地に勝手に建物を建てさせないこと。被災者にとって戻るところを作らせないということは矛盾しているように感じるかもしれませんが、建物を建てられてしまえば大胆な町の改善が図られなくなるため、建物を建てないよう建築基準法に基づいた建築制限という行政措置が取られました。

 しかしこの措置は最大で2ヶ月までしか効力を発揮できないために、この2ヶ月間のうちにもっと長期に効力を及ぼす手続きが必要です。そのためこの2ヶ月の期限ぎりぎりに都市計画決定を行って、以後は都市計画法に基づいた建築制限を行うこととしたのでした。

 こうした手続きを早くしなければならない中で、被災状況の把握を行い、それをもとにした新しいまちづくりプランを立てなくてはなりませんが、それまでの間で住民には説明をしている余裕がほとんどありません。
 その結果、プランが提示された段階で寝耳に水の住民からは「住民無視の行政の横暴」という批判が寄せられた地区もありましたし、マスコミの報道もそうした批判の声を助長しました。

 復興事業の手法として区画整理や再開発事業などが計画されましたが、「そもそもどうしてそのような事業手法なのか」というそもそも論での合意形成段階でボタンのかけ違いが発生すると、まずその問題解決にエネルギーが割かれますが、その一方で復興関連特別措置法の年限内に事業完了をしようとすると、事業を進める上で個別の地権者との課題を一つ一つ解決してゆかなくてはならず、両面作戦を余儀なくされることになります。

 こうした苦労を一つ一つ重ねながら、地権者の合意を取り付けつつ民主的に事業を進めなくてはなりません。

   *   *   *   *   *

 ひとたび有事が発生すると、それまで隠れていてなんとなく目をつぶっていたことが全て表面化してくることになり、地区で上手く折り合いをつけていたことにも正面から取り組まなくてはならなくなります。それもまた一苦労です。

 焼け野原になってしまったところで従前の土地所有者の財産を確定させようと思うと、登記してあった面積と実際が合わない事例だとか、相続手続きがされていなかったとか、中の悪かった大家さんと借家人との関係が見えてきたりだとか、実に多くの問題があったといいます。

 別な講師の一人は「こういうまちづくりプランの提示も、行政に対する良い意味のお上意識が薄れてくると、不平や批判は出されるものの誰も決断ができないという不毛な状態になる可能性があります。これからのまちづくりをリードする力が誰に備わっているのか不安でもありますし、我々の力が試されるところでもあるでしょう」と感慨深く語っていたことが印象的でした。

 まちづくりのための知恵や住宅だけであれば民間事業者から市場で調達することが可能かもしれません。少なくても民間に力がついてそれは可能になりました。

 しかし、まちづくりを行ううえで欠かせない要素である地域との連携や信頼などは市場では調達できません。これは売っているものを買うというわけには行かず、自分たちが身近なところで育てておかないといけないからです。

 わが機構のこれからの役割は、単純なハードの供給ではなくこうしたまちづくりの能力と信頼を保持した組織であるわけですが、このことの大切さを感じ、有事のために備えておいたほうが良いと感じる人がそれほど多くはなく、無駄だと思われてしまうことが問題です。

 災害時のような有事の際にこそ、社会の底力が問われるのです。

 今日は興味深く有用なセミナーでした。
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