北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

経済を取り巻く錯覚

2008-03-06 23:14:42 | Weblog
 久しぶりに目からウロコの落ちる思いがしました。今日はちょっと長いです。

 堂免信義(どうめんしんぎ)さんの「『民』富論~誰もが豊かになれる経済学」(朝日新書)を読んでの感想です。

  

 著者の堂免さん大手電機メーカーのソフト部門で情報処理の専門家だったのですが退職後に独学で経済学を勉強したという変わり種。そしてそのうえで「なぜ現代日本では景気拡大と不況が同時進行するのか?いくら頑張って貯蓄しても、どうして日本の消費者は『よい暮らし』ができないのか?」と疑問を投げかけます。

 そのうえで「この本の目的は二つ」と言います。それは
①経済学の根本部分に錯覚があって、それが経済活動の事実認識を誤らせていることを示すこと、そして
②みんなで豊かに暮らすことは可能であり、その方法があることを示すこと、の二つです。

 ①から行きましょう。今の世の中に流布している常識の中で一番重症の錯覚が「貯蓄について」です。経済学では『一人一人が貯蓄をすることで経済成長を加速する』と教えますが、これは事実ではありません。

 貨幣経済には、誰かにとっては可能でも社会全体では不可能なことがあり、その逆に個別には不可能でも社会全体では可能なこともあるのです。

 このことを単純に言うと、みんなが所得の10%を貯蓄に回して消費をしなくなれば、今度はみんなの総収入が10%減るのです。このことを日本経済という大きなスケールで考えると、さすがに一糸乱れぬ統率は取れませんし、一人一人の能力や運も違うので、自ずからばらつきが出ます。だから、儲かってたくさん貯蓄が出来る人もいれば、貯蓄など全く出来ない人も出てきます。

 しかし現代社会は、「みんなが貯蓄できるような」豊かな社会を築こうとしています。このことは不可能なのだということを誰も教えてくれません。そして貯蓄の多くできるような豊かさを目指して頑張ることを教えます。

 世の中は一部のお金持ちと一部の貧困層とその中間によって構成されるのですが、現代社会はその貧困層が急激に、そして社会の安定を保つ上で危険な水準に達しようとしていると著者は警告しています。

 そして現代日本の不況と貧困層拡大の原因を「グローバル経済の拡大」と「自由競争が正義だとする経済思想」だと断じています。
今の日本の行く末に黒雲が立ちこめています。

    ※    ※    ※    ※

 グローバル経済の浸透は、安い産物を国外から輸入することを促進しています。しかしその結果、国内の同種産業に携わる人たちから仕事と収入を奪います。まさに個別の人にとっては安い品が手にはいるのは良いことですが、社会全体としてみればそれは逆に社会全体の豊かさを奪う方向に作用するのです。

 かつて日本はこの安い品物をアメリカをはじめとする世界に供給することで急激な経済発展を遂げましたが、いまやその世界の向上である立場を経済新興国が担うようになり、果実をいただいてきた立場から果実を与える側に回ってしまったのです。こうした社会全体の収入の減少を招くのがグローバル経済の問題です。

    ※    ※    ※    ※

 そしてもう一つはその少なくなりつつある社会の収入の分配性の低さをもたらす自由競争という名の価格競争です。

 過度の自由競争信仰は価格競争をもたらし、同じ仕事をするのに年々収入が減っています。そして定収入にあえぐ貧しい層をますます拡大させています。

 一人一人にとって安いものを求める短絡的な考えは長期的には社会全体の疲弊を招いています。今の経済は結果的に貧困に陥った層の人たちを「努力が足りなかった」と言いますが、構造的な問題としてそういう層を拡大していることには目をつぶっていると言えるでしょう。

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 そんな社会分析を行った上で著者はこれらの悪循環から脱却する方策として、「地産地消率の拡大」と「協力する社会的気質の再構築」を掲げます。

 地産地消とは農産物だけのことではなく、できるだけ域内経済から出さずに回すような方策を取るべきだという主張です。安いからと言って、国外から介護サービスや看護師を迎えるのは愚の骨頂です。多少費用が高くなっても、今国内にいる日本人を使うことを優先する事が大事だと考えるのです。

 また、自由競争にあってもみんながたたき合って価格を下げ続ける悪循環ではなく、良い意味で折り合いをつけるようなことを認めるべきだと言います。著者は「良い意味の談合」と言いますが、ワークシェアリングと言えば皆で分け合うという良いイメージになり、まさに同じ事です。

 皆が正しく地域のためにお金を使うようになれば、地域にお金が回り、地域での収入が増えます。最終的にそれが域外から移入する産物に転化するとしても、地域で回ることが豊かさをもたらします。

 このことに気付いたうえで、社会的な仕組みが整えられなければ、今までのような自由競争絶対主義の信仰の先にはごく一部の人の豊かさと幸せしかもたらさないと著者は主張しています。

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 ある会社のある年の年次報告書に「…我が社は世界のトップ科学会社を目指し、…中略…、その株主、従業員、顧客、さらに広く社会全体の富と福利の向上に努める」と書かれてあったのが、その数年後の年次報告書には同じ箇所の表現が「我が社の企業目的は、…中略…、株主にとっての当社の価値を最大化することである」に変わっていたというエピソードが紹介されています。

 社会全体の豊かさが投資家を始めとするごく一部の人たちだけのものでよいはずはありません。社会全体が得た豊かさをより多くの人たちと分かち合えるような社会全体の取り組みが必要です。

    ※    ※    ※    ※

 この本を読んで、なんだかもやもやしていた経済の流れがすっきりしました。自由競争は人々に活力を与える現実的な原動力ではありますが、それを使う程度を考えるべきで、絶対的価値をそこに置くのは間違いだということに改めて気付きました。

 今の日本経済の流れに疑問を持たれている方には、ぜひご一読をお勧めします。
 
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