北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人間ドックで社会の健康を考える

2005-06-23 23:42:38 | Weblog
 今日も札幌は夏日の予想。札幌は朝にはそれほどでもなくなって、エアコンなしで寝られるのが救いです。

  
 さて今日は、
■人間ドックへ行こう の1本です。

【人間ドックへ行こう】
 朝から人間ドックへ行きました。夕べは暑くて寝苦しかったのだが、「8時以降は飲み食いをしてはいけません」という指示で、水一杯飲めず辛い思いをする。
 なぜこういう日に限って暑いのか。 

 さて健康の話で恐縮ですが、若干視力の衰えはあるものの、血液その他に懸念される数字が一つもありませんでした。

 異常な数値があるのが一生懸命働いている証で、数値が正常というのはさぼっている証拠などという冗談はさておき、体が健康であるにこした事はありません。

 二宮尊徳の教えを漢語108文字にまとめた「報徳訓」というものがあります。いかにその読み下し文を書いておきますが、

 父母の根元は天地の令命にあり
 身体の根元は父母の生育にあり
 子孫の相続は夫婦の丹精にあり
 
 父母の富貴は祖先の勤功にあり
 我が身の富貴は父母の積善にあり
 子孫の富貴は自己の勤労にあり

 身命の長養は衣食住の三つにあり
 衣食住の三つは田畑山林にあり
 田畑山林は人民の勤耕にあり

 今年の衣食は昨年の産業にあり
 来年の衣食は今年の艱難にあり
 年々歳々報徳を忘るべからず

 …とあります。

 健康な体は親からの贈り物であり、それを今度は自分の子孫に対してプレゼントしなくてはいけません。先祖から親、そして自分、さらに子から子孫へという、前後五代以上にわたる命と生活の継続です。

 今の生活は自分だけで得られたものでもなく、自分だけで貪ってしまって良いわけでもない事を教えてくれています。こういうことを今は親も学校教育も語らなくなってしまったのです。

 「そうか、そうだったのか」と思った人が語り継がなくてはならない時代になったのです。その小さな実践をするかしないか。
 いくら良い事を勉強して自分の中に取り込んだとしても、その小さな実践をするかしないかが、良い社会づくりに自分が貢献しているかいないかの境目なのですね。

 尊徳先生は言いました。「我はただ実践あるのみ」であると。

    *   *   *   * 

 掛川でもそうでしたが、遠州地域にはまだ各集落に○○報徳社という会合があって、一ヶ月に一度「常会」と呼ばれる会合をして、地域の話題を語り合ったり、報徳の教えを勉強したりしています。私も何度か常会で講話をさせてもらいました。

 その集まりの最初に必ず全員で唱和するのがこの報徳訓です。
 この姿だけを見るとなにかの宗教的集まりにも見えますが、宗教ではなく地域作り思想、地域作り哲学に共鳴して集まって活動を続けているのです。

 常会の時は昔は女性たちがお昼を作って、それを食べて解散というものでしたが、最近ではお弁当を取ることも多いようです。参加者もお年寄りばかりになりました。

 われわれはお年寄りからまだまだ学ばねばなりません。 

 


 
 
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3 コメント

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ぼくたちは歩いている (nomanda@hotmail.com)
2005-07-01 22:54:45
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html
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ぼくたちは歩いている (nomanda@hotmail.com)
2005-07-01 22:55:57
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html
返信する
うぅ、泣いちゃうよう (管理人)
2005-07-03 12:59:40
 nomandaさん、いつも応援をありがとうございます。



 紹介してくれた「ぼくたちは歩いている」には本当に泣けました。皆さんも是非ご覧ください。うぇーん。

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