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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

景観はライフスタイルに咲く花

2005-06-06 23:57:40 | Weblog
 今日は快晴。週のはじめの天気がよいと、一週間が楽しそうです。

 朝通勤でバス停まで外を歩いていて、目がかゆくなったり鼻がぐすぐすしないのに気がつきました。そろそろ白樺の花粉も収まったのでしょうか。

 本当にそうだといいけどなあ。

 さて今日は、

■掛川からうれしい知らせ
■中小地方都市の悲しさ の2本です。

【掛川からうれしい知らせ】
 掛川の知人からメールが来た。

 掛川市が6月1日に電波の日・情報通信月間記念式典で「東海総合通信局長表彰」を受賞したとのこと。

 掛川市の受賞理由は、「生涯学習都市実現をめざし、パソコン操作の基礎講習やICTリーダー育成の講習など、地域住民の情報リテラシー向上に先進的に取り組まれ、地域情報化の推進に多大な貢献をした」ということだそうだ。

 掛川市の助役時代には自らIT推進本部長として職員を叱咤激励し、IT担当課の職員に思う存分働けるように露払いをした甲斐があったというものだ。

 往々にして自治体の幹部というのは年齢が高いもので、IT分野などの新しい行政課題についてはついつい「ついて行けない」のでやらない、となったり、良くても「担当に任せてしまう」という選択をしがちである。

 しかし、あきらめてしまうというのはそのまま今日自治体間競争からずるずると交代することを意味する。

 また担当に任せてしまったのでは、職員にとって幹部の「推進するのだ!」という強いスタンスが見えず、往々にして職員が及び腰になったり、そう言う状況を同僚の課長や部長では調整することができなくなってしまいがちなのだ。

 それゆえここは一段高い上司からの明確な指示が必要なところなのである。

 私が仕えた掛川市長の良かったところは、「ITだけは自分はもう分からないので助役さんに任せます」としてくれたところだ。

 そこで市長から全権を委任されて、思う存分担当の職員と意見交換をして、彼らと共にできるだけのことができたように思う。

 そしてその結果が、今回の東海総合通信局長表彰受賞ということになっただろう。

 この間の職員と市民の皆さんの努力の結晶だし、誇って良いことだと思う。

 
【中小地方都市の悲しさ】
 旧掛川市も合併後の新掛川市も、面積が広いうえに人口が薄捲きの集落に点在しているために、ブロードバンド通信網などの整備が民間任せでは思うように進まなかったのが掛川の悲しいところである。

 今日都会では日本中がブロードバンドの恩恵を被っていて、通信環境だけは日本中が整備されたと錯覚しがちである。

 しかしまだまだADSLも引けないエリアは中小の地方都市にはざらにあるのである。

 職場も学校も病院もショッピングセンターも、娯楽も飲食店も全てが都会に集中して、都会人はその世界をさも当たり前のように享受しているのだ。

 この状態で中小地方都市にとってその町に住み続けるという動機付けは一体何が残るのだろうか。

 そう言う町が「便利な都会に短い時間で行きたい」、「自分たちにも都会並みの運動施設が欲しい」、「安心して暮らせる病院などの医療環境が欲しい」と思うことは贅沢なのだろうか。

 もう都会には十分あるので、これ以上公共事業で安心・安全な施設を作るのは、環境保全の観点からもおよしなさい、というのはどう考えても都会人のエゴの様に思う。

 「いいですねえ、田舎には緑もあって空気も綺麗。こんなところにあこがれていたんですよ」という人の多くは田舎には住まいを移さないものだ。

 人は魅力だけに導かれるのではない。生活を支える基盤施設がなければ悲しいけれどやがて集落は廃れてしまうのだ。

 点在し、偏在する集落と住民の生活を支える産業が農業しかないという現状。そういう先祖伝来の土地に住みたいという希望が収入の面から閉ざされて行くのが現代だとしたら。

 人が都会にしか住み得ない状況を強いられているとしたら、日本の戦後は都会という一様に豊かな地域の代償として、多様なる豊かさをひたすら失い続けてきた急速な歴史として後世位置づけられるのではないか。 

    *   *   *   * 

 良く古民家に憧れて古民家を壊さずに住み続けてください、と言う人がいるけれど、我々は古民家という家を排除しているのではない。

 夏は蚊に悩まされて冬はすきま風に悩まされ、手入れの大変な古い日本家屋で暮らすというライフスタイルを失っているのだ。

 景観法ができて、町並みを美しくしましょう、という運動がなされることになるのかもしれないが、町並みの統一的な美しさはすなわち、統一的なライフスタイルから来る美しさだったはずだ。

 現代人が多様な建築工法と多様な建材を選択できる社会に生きて行く限り、外国人が驚嘆したような江戸時代や明治時代の日本の美しさは取り返すことができず、一部の寺社仏閣の中に閉じこめられてしまうのだろう。

 景観は文化という土から生えたライフスタイルという葉と茎に咲く花に過ぎない。土と葉や茎が弱っているのに良い花は咲かないだろう。

 多様を是認する社会にあって、人々を束ねる思想哲学は何なのだろう。そろそろ我々は何かを覚悟しなくてはならないようにも思うのである。


コメント
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