今日も朝から快晴…、でも気温が低い。そろそろ田植えが心配になってきますぞ。
さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■横断的勉強会
■大人の集い の1本です。
【横断的勉強会】
この春からある会合に参加をして、仲間の問題意識を共有するとともに、職場や仕事上のシステムを改善する方向を探ろうという勉強会に参加している。
いわゆる職場というのはどこでも放っておくと往々にして、縦割りの範囲で事が足りてしまうという安住の地で安楽に過ごしがちである。
そこで敢えてそれを打破するためには、組織の縦割りを超えて横断的な人間関係のなかで、ネットワークを強化しながら課題も解決して行かなくてはならない、という同志が集うているのである。
ところがそうは言ってもなかなか忙しいメンバーが多くて、なかなか全員が一堂に会するというのは難しい。
そのため今週は予定が一度お流れになったのだが、中心人物の一人から「集まれる人だけでも集まろう!」という発案があって、開催をすることになった。
おまけに「第一回目は小松ペーパーをベースに意見交換すること」という指示によって、今日の午後に私のプレゼンからスタートすることとなったのである。
* * * *
さて、私の提出ペーパーは「職員の意識改革」という論点である。もちろん、掛川での生涯学習や榛村前市長の薫陶が影響していて、対象は公務員としての職員意識だけでなく、人間としてどう生きて行くのか、という問題意識も含まれている。
「人脈形成をおろそかにしてはいないか?」、「情報をいただくためには情報を提供することを心がけているか?」、「組織の和を大事にしているか?」、「自分を偉いと思ったり、態度に出していないか?」、「一人の人間として、自分の健康、意志、知識、能力を高めているか?」といった点について、問題意識を述べ、それらを改革すべし、という意見である。
15分ほどの私からのプレゼンを終えて、意見交換してみたけれど、論破しようもない正論だったようで、あまり意見も出ず。
ただ、ではそういう人間に向けた意識改革はどうすればできるのか?と質問されて、私も一瞬困ってしまった。
そうなのだ、どうしたらそういうふうに意識を改革してもらえるのかという具体のアクションが必要だ。
それに対する私の答えは、「上司が強い意志を持って、ねばり強くアドバイスや指導、助言をし続けること」という簡単な、それでいて「それがなかなかできない」ものとなってしまった。
しかしこの単純なことが常に自分の心の中にあれば、優しくそしてねばり強く自分の部下に対する目配り、気配り、心配りができるのではないだろうか。
この単純なことを我と我が事と思うかどうかが最初なのだと思う。
上司はつらい。教師もつらい。
アーサー・ウィリアム・ワードという教育者の言葉に、「教師の姿」として、
凡庸な教師は良くしゃべる
良い教師は説明する
優れた教師はやってみせる
偉大な教師は心に火をつける という言葉がある。
ここの「教師」は容易に「上司」に置き換えられるだろう。
凡庸な上司は良くしゃべる、偉大な上司は心に火をつける…か、くーっ、天につばをしてしまったかなあ。
【大人の集い】
夜に、知人から「面白い人たちが集まる会合がありますから来ませんか」と誘われていたので、出かけていった。
ここでは「Kの会」と呼んでおくことにするが、これがまた札幌中のすごい人の集まり。
うちの大親分の局長を捕まえて「おぅ、この間ギー君がうちに遊びに来ていたよ」という漁師さんから、某省の出先の局長さん、会社社長から弁護士さんまで多彩な人たちが一堂に会して皆旧交を温めあっている。
メンバーを思い出すだけでも恐ろしいのだが、まあ話が合えばただの面白いおじさんばかりである。
会合の中に彫刻家やその作品を仲介するビジネスをしている女性がいて、その方が「旭川の彫刻博物館に荻原碌山の作品があって、これが良いんですよ」と荻原碌山の話で盛り上がった。
荻原碌山と言えば、わが心の故郷安曇野は穂高町にある碌山美術館が本家本元である。
荻原碌山というのは本名荻原守衛(もりえ)と言って、明治12年に現在の長野県穂高町に生まれ、フランスでオーギュスト・ロダンに影響を受けて彫刻家となり、日本のロダンと呼ばれる近代彫刻の先駆者である。【碌山美術館参考】
「『女』や『デスペア』などはすばらしいですよね」などと言っていると、某歯医者の親分がやってきて「君たちはなぜ碌山美術館の話をしているの?僕も昨年穂高町へ行って、碌山美術館を見て感激したんですよ」と話が繋がった。
一瞬でも関わりのある自分の町に誇りを持って勉強してみたことがこういうところでつながりに役立つとは思わなかった。持つべきものは好奇心である。
見返りを求めずに繋がってみたい人が多くて、知的興奮の極みでありました。誘ってくださったNさんとKさんに感謝申し上げます。
次回もまたよろしくお願いします。
* * * *
興奮をさまそうと、KおやじのいきつけのスナックSへと向かう。
案の定わが尊敬すべきKおやじがいて、今日の私の職場での勉強会の話をして「自分も公務員だけど、自分の能力を活かして国民を幸せにするための手段として公務員になったはずだ、それが公務員になることと公務員でいることが目的の人が多いんですよ」と言うと、Kおやじが目をぎらつかせて、「俺も同じ目にあったよ」と言う。
彼は実は、赤字に苦しむ某交響楽団を3年で立て直したことで有名になった辣腕の実力者なのである。
「その楽団に行って開口一番言ったのが『君たちは音楽を何のためにしているのだ?音楽で聴いてくれる人を幸せにするためじゃないのか?』ということだったのさ」
「なるほど」
「そう言ってから一人ずつ呼んでは一本釣りさ。『な、分かるだろ』って一人ずつ理解させていったんだ」
「分かりますね」
「楽団っていうのは、変な話だけど、団員が大勢いるもんだから、演奏の時にさぼったって分からないんだよ。だから少人数編成でトリオとか四重奏とか、時にはソロで施設やら病院やらへ行かせて演奏をやらせたんだ。少人数ならさぼれないだろ?」
「はい」
「そうしたら、聴いている人が感動している様が直に演奏者に伝わるんだなあ、これが。」
「それはそうでしょうねえ」
「そしたらそういう聴衆の反応に、演奏者の方がやっぱり感動するんだよ。俺はこれを『感動の共有』って言ってんだけどな」
「『感動の共有』ですか、いいですね」
「そうやって、演奏者に音楽をやることの意味を再認識してもらったところで、改革案をドンと出して、それで押し切ったんだ。もうほとんど抵抗なし、さ」
「いいですね。そこに幸せがありそうな感じですよ」
自分は何のために今ここにいるのか。残りの人生で何をするためにいままで経験を積んできたのか。神様は自分に何をさせたくて、この時代に生を授けてくれたのか。
自分と関わる人たちを幸せにするためではないのだろうか?
そして共感してくれる人たちを増やして、その思いを果たそうとは思いませんか?
「思わないとできませんわな」とは松下幸之助の言葉である。
あー、面白い一日だった。
さて、ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■横断的勉強会
■大人の集い の1本です。
【横断的勉強会】
この春からある会合に参加をして、仲間の問題意識を共有するとともに、職場や仕事上のシステムを改善する方向を探ろうという勉強会に参加している。
いわゆる職場というのはどこでも放っておくと往々にして、縦割りの範囲で事が足りてしまうという安住の地で安楽に過ごしがちである。
そこで敢えてそれを打破するためには、組織の縦割りを超えて横断的な人間関係のなかで、ネットワークを強化しながら課題も解決して行かなくてはならない、という同志が集うているのである。
ところがそうは言ってもなかなか忙しいメンバーが多くて、なかなか全員が一堂に会するというのは難しい。
そのため今週は予定が一度お流れになったのだが、中心人物の一人から「集まれる人だけでも集まろう!」という発案があって、開催をすることになった。
おまけに「第一回目は小松ペーパーをベースに意見交換すること」という指示によって、今日の午後に私のプレゼンからスタートすることとなったのである。
* * * *
さて、私の提出ペーパーは「職員の意識改革」という論点である。もちろん、掛川での生涯学習や榛村前市長の薫陶が影響していて、対象は公務員としての職員意識だけでなく、人間としてどう生きて行くのか、という問題意識も含まれている。
「人脈形成をおろそかにしてはいないか?」、「情報をいただくためには情報を提供することを心がけているか?」、「組織の和を大事にしているか?」、「自分を偉いと思ったり、態度に出していないか?」、「一人の人間として、自分の健康、意志、知識、能力を高めているか?」といった点について、問題意識を述べ、それらを改革すべし、という意見である。
15分ほどの私からのプレゼンを終えて、意見交換してみたけれど、論破しようもない正論だったようで、あまり意見も出ず。
ただ、ではそういう人間に向けた意識改革はどうすればできるのか?と質問されて、私も一瞬困ってしまった。
そうなのだ、どうしたらそういうふうに意識を改革してもらえるのかという具体のアクションが必要だ。
それに対する私の答えは、「上司が強い意志を持って、ねばり強くアドバイスや指導、助言をし続けること」という簡単な、それでいて「それがなかなかできない」ものとなってしまった。
しかしこの単純なことが常に自分の心の中にあれば、優しくそしてねばり強く自分の部下に対する目配り、気配り、心配りができるのではないだろうか。
この単純なことを我と我が事と思うかどうかが最初なのだと思う。
上司はつらい。教師もつらい。
アーサー・ウィリアム・ワードという教育者の言葉に、「教師の姿」として、
凡庸な教師は良くしゃべる
良い教師は説明する
優れた教師はやってみせる
偉大な教師は心に火をつける という言葉がある。
ここの「教師」は容易に「上司」に置き換えられるだろう。
凡庸な上司は良くしゃべる、偉大な上司は心に火をつける…か、くーっ、天につばをしてしまったかなあ。
【大人の集い】
夜に、知人から「面白い人たちが集まる会合がありますから来ませんか」と誘われていたので、出かけていった。
ここでは「Kの会」と呼んでおくことにするが、これがまた札幌中のすごい人の集まり。
うちの大親分の局長を捕まえて「おぅ、この間ギー君がうちに遊びに来ていたよ」という漁師さんから、某省の出先の局長さん、会社社長から弁護士さんまで多彩な人たちが一堂に会して皆旧交を温めあっている。
メンバーを思い出すだけでも恐ろしいのだが、まあ話が合えばただの面白いおじさんばかりである。
会合の中に彫刻家やその作品を仲介するビジネスをしている女性がいて、その方が「旭川の彫刻博物館に荻原碌山の作品があって、これが良いんですよ」と荻原碌山の話で盛り上がった。
荻原碌山と言えば、わが心の故郷安曇野は穂高町にある碌山美術館が本家本元である。
荻原碌山というのは本名荻原守衛(もりえ)と言って、明治12年に現在の長野県穂高町に生まれ、フランスでオーギュスト・ロダンに影響を受けて彫刻家となり、日本のロダンと呼ばれる近代彫刻の先駆者である。【碌山美術館参考】
「『女』や『デスペア』などはすばらしいですよね」などと言っていると、某歯医者の親分がやってきて「君たちはなぜ碌山美術館の話をしているの?僕も昨年穂高町へ行って、碌山美術館を見て感激したんですよ」と話が繋がった。
一瞬でも関わりのある自分の町に誇りを持って勉強してみたことがこういうところでつながりに役立つとは思わなかった。持つべきものは好奇心である。
見返りを求めずに繋がってみたい人が多くて、知的興奮の極みでありました。誘ってくださったNさんとKさんに感謝申し上げます。
次回もまたよろしくお願いします。
* * * *
興奮をさまそうと、KおやじのいきつけのスナックSへと向かう。
案の定わが尊敬すべきKおやじがいて、今日の私の職場での勉強会の話をして「自分も公務員だけど、自分の能力を活かして国民を幸せにするための手段として公務員になったはずだ、それが公務員になることと公務員でいることが目的の人が多いんですよ」と言うと、Kおやじが目をぎらつかせて、「俺も同じ目にあったよ」と言う。
彼は実は、赤字に苦しむ某交響楽団を3年で立て直したことで有名になった辣腕の実力者なのである。
「その楽団に行って開口一番言ったのが『君たちは音楽を何のためにしているのだ?音楽で聴いてくれる人を幸せにするためじゃないのか?』ということだったのさ」
「なるほど」
「そう言ってから一人ずつ呼んでは一本釣りさ。『な、分かるだろ』って一人ずつ理解させていったんだ」
「分かりますね」
「楽団っていうのは、変な話だけど、団員が大勢いるもんだから、演奏の時にさぼったって分からないんだよ。だから少人数編成でトリオとか四重奏とか、時にはソロで施設やら病院やらへ行かせて演奏をやらせたんだ。少人数ならさぼれないだろ?」
「はい」
「そうしたら、聴いている人が感動している様が直に演奏者に伝わるんだなあ、これが。」
「それはそうでしょうねえ」
「そしたらそういう聴衆の反応に、演奏者の方がやっぱり感動するんだよ。俺はこれを『感動の共有』って言ってんだけどな」
「『感動の共有』ですか、いいですね」
「そうやって、演奏者に音楽をやることの意味を再認識してもらったところで、改革案をドンと出して、それで押し切ったんだ。もうほとんど抵抗なし、さ」
「いいですね。そこに幸せがありそうな感じですよ」
自分は何のために今ここにいるのか。残りの人生で何をするためにいままで経験を積んできたのか。神様は自分に何をさせたくて、この時代に生を授けてくれたのか。
自分と関わる人たちを幸せにするためではないのだろうか?
そして共感してくれる人たちを増やして、その思いを果たそうとは思いませんか?
「思わないとできませんわな」とは松下幸之助の言葉である。
あー、面白い一日だった。
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