北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

恩人たちの墓参り

2007-09-23 23:17:58 | 東京探検
 時間が遅くなると雨が降るという天気予報なので早めに行動開始。今日も文京区の春日から出発する自転車旅です。

 今日は近場での北方面に焦点を当てて出発。本郷通りを北へ駒込方面へ向かうと、立派なお寺が見えました。ここが諏訪山吉祥寺。かつては駿河台にあったとのことですが、火事で焼けて今のところへ移ってきたのです。

  

 実はその際に、下のお寺の周辺に住んでいた人たちが移住してできたのが今の武蔵野の吉祥寺というわけ。だから今の吉祥寺には「吉祥寺」というお寺はないのです。

 お寺はやはり立派だったのですが、気になったのは、このお寺の前にあった駒込地区周辺の「文化と歴史の散歩道」を表す地図のほうです。なにげなくこれを見ていると、周辺のお寺に、最上徳内と近藤重蔵の墓があることが分かりました。

 最上徳内は蓮光寺、近藤重蔵は西善寺に墓があるというのです。この二人は当時ロシアが南下を始めた択捉島に渡って、「大日本恵登呂府」という標柱を立てた冒険家です。近世の蝦夷地の対ロシア外交と北方領土開拓に関しては、北海道の恩人とも呼べる人たちです。

 考えてみると今日は彼岸の中日ではありませんか。何の因果なのか…、しかしこれはお詣りして線香の一本も上げなくてはなりますまい。早速お寺を探してみることにしました。

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 最初の最上徳内のお墓のある蓮光寺も今日はお彼岸でお墓参りの人たちでごった返している状態。おずおずと参拝の受付にいた女性に「最上徳内の墓があると聞いたのですが…」と訊いてみると、早速近くまで案内してくれて、「アクリルのケースに囲まれていますから分かりますよ」とのこと。

 行ってみると、本物は小さくてアクリルのケースに覆われていました。早速、受付にて浄罪と引き換えに譲っていただいた線香の束を供え手を合わせました。

  

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 次は近藤重蔵の墓所である西善寺です。こちらは太い道路に面したところが再開発でビルになっている変わったお寺。ビルをくぐってそれほど広くはない墓所の中を探してみると、こちらはちゃんと東京と指定文化財の看板と屋根付きの囲いがついていてわかりやすくなっています。

 以前広尾で近藤重蔵が開拓した北海道最初の道路を探し回ったことを思い出しました。なにかと縁がありますねえ。こちらも線香を供えて合掌です。

  

  

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 その後は豊島区の染井霊園へと向かいます。ここは東京都指定の広域避難所になっているので、防災担当としては一度見ておきたかったのです。ここは明治時代に宗教に依らない共同墓地として開設されたもので、都営墓地の中では一番小さいのだそうです。この染井は園芸で栄えた地区で、ここで改良された桜がソメイヨシノというのは有名なお話です。

 さて、近くの本妙寺で明暦大火の供養塔があったのでこちらにも手を合わせてきました。なんといっても火事の多かった江戸時代でも最も大きかった火事が振り袖火事とも呼ばれた明暦の大火。

 このときに江戸城天守閣も燃えて以後再建はされませんでした。このときの死者は3万人から10万人ともいわれています。ですからこの供養塔に手を合わせると、この悲劇を二度と起こさせるわけにはいかないという防災の気持ちも新たになりました。

  

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 さて、染井霊園は古いだけあって著名な人たちのお墓もあるようです。もう帰ろうとして、出口近くの看板を見ていると…、なんとここに松浦武四郎お墓もあるというではありませんか。

 松浦武四郎といえば、伊勢国松坂生まれの探検家。彼は、それ以前の蝦夷地が海岸部しか測量されておらずほとんど様子が分からなかったものを、その内陸をアイヌ人たちとともに探検し、川の様子や多くの地名が書かれた地図を残しました。

 彼の幕府への報告書は、和人たちに虐げられていたアイヌ人たちへの暖かいまなざしと、悪徳商人たちへの憤りと正義感にあふれたものです。また蝦夷地を「北海道」と名付けたのも彼。
 現代の北海道がどれだけ彼の財産の上に成り立っているかと思うと、本当に偉大な北海道の大恩人なのです。その松浦武四郎のお墓ならなんとしてもお詣りをしなくてはなりますまい。

 区画を探してたどり着いてみましたが、看板が出ているわけでもなく静かなたたずまいです。

  

 墓石に掘られた彼の戒名は「教光院釈遍照北海居士」。お線香の香りに包まれながら、北海道に思いを馳せました。 
  
 それにしても、行く先を決めないままに町を巡ってみると不思議に寺や墓所巡りに行き当たり、北海道の恩人の墓を三人もお詣りすることができました。

 今日は彼岸の中日。三人の偉大なる冒険家に招かれた一日でした。
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