いろいろな蕎麦の本も読んできましたが、またまたすごい蕎麦の本を見つけました。「江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?」(岩崎信也著 光文社新書)がそれ。
江戸っ子の蕎麦好き、ということはつとに知られてはいますが、著者の基本的な問題意識は「ではその原点は何だったのか?」ということ。
江戸は徳川幕府が出来てから急速に作られた町で、もともとの食文化は関西から来た職人たちのうどん文化であったとのこと。しかしそれがやがてある時期(江戸時代中期)頃から、(自称)江戸っ子の登場と共に「粋」というスタイルが生まれ、それが蕎麦にフィットしたのではないか、というのが著者の仮説であり、同時にひとつの結論でもあります。
蕎麦の食べ方はもちろん、そば屋には長っ尻(ながっちり)はしないという粋のスタイルが分からなければそれは「野暮」というもの。この野暮ほど江戸っ子が嫌う生き方はなく、それが蕎麦を相手にしてある特定の型をもたらしたのでしょう。
もちろんその過程で、そば粉の製粉技術の向上や江戸地回りの醤油の質の向上、みりんの登場、割り箸の登場などなど、蕎麦を彩る周辺の様々な食文化要素が整ってきたのも江戸時代なのです。
※ ※ ※ ※
江戸っ子の粋のひとつに「新しもの好き」ということがあって、初鰹には金に糸目をつけずに買い求め、それを食したことが大の自慢というわけ。そして蕎麦には新蕎麦という新しいもの好きを興奮させる時期があるのに対してうどんには新うどんという時期が無く、こうした特製にも江戸っ子を蕎麦好きに向かわせた要素があるようです。
それにしても、古今東西の文学に現れた蕎麦を読み解き、時代を考証し歴史の背景を探るそのこだわりには恐れ入ります。
蕎麦の文化を語るには格好の参考書の一つであることは間違いありません。これを読んで、蕎麦打ちの際には大いに豆知識を披露すれば、もう蕎麦打ちの楽しみが何倍にもなることでしょう。
蕎麦研の皆さんは必読の一冊です。この本から試験問題を作っても良さそうなくらいですよ。
手打ち蕎麦は、技を見て、道具を見て、蕎麦を味わって、蕎麦湯を味わって、豆知識を味わう…といくつものお楽しみの要素があります。
ぜひとも大いに人を楽しませる蕎麦打ちを目指しましょう。
江戸っ子の蕎麦好き、ということはつとに知られてはいますが、著者の基本的な問題意識は「ではその原点は何だったのか?」ということ。
江戸は徳川幕府が出来てから急速に作られた町で、もともとの食文化は関西から来た職人たちのうどん文化であったとのこと。しかしそれがやがてある時期(江戸時代中期)頃から、(自称)江戸っ子の登場と共に「粋」というスタイルが生まれ、それが蕎麦にフィットしたのではないか、というのが著者の仮説であり、同時にひとつの結論でもあります。
蕎麦の食べ方はもちろん、そば屋には長っ尻(ながっちり)はしないという粋のスタイルが分からなければそれは「野暮」というもの。この野暮ほど江戸っ子が嫌う生き方はなく、それが蕎麦を相手にしてある特定の型をもたらしたのでしょう。
もちろんその過程で、そば粉の製粉技術の向上や江戸地回りの醤油の質の向上、みりんの登場、割り箸の登場などなど、蕎麦を彩る周辺の様々な食文化要素が整ってきたのも江戸時代なのです。
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江戸っ子の粋のひとつに「新しもの好き」ということがあって、初鰹には金に糸目をつけずに買い求め、それを食したことが大の自慢というわけ。そして蕎麦には新蕎麦という新しいもの好きを興奮させる時期があるのに対してうどんには新うどんという時期が無く、こうした特製にも江戸っ子を蕎麦好きに向かわせた要素があるようです。
それにしても、古今東西の文学に現れた蕎麦を読み解き、時代を考証し歴史の背景を探るそのこだわりには恐れ入ります。
蕎麦の文化を語るには格好の参考書の一つであることは間違いありません。これを読んで、蕎麦打ちの際には大いに豆知識を披露すれば、もう蕎麦打ちの楽しみが何倍にもなることでしょう。
蕎麦研の皆さんは必読の一冊です。この本から試験問題を作っても良さそうなくらいですよ。
手打ち蕎麦は、技を見て、道具を見て、蕎麦を味わって、蕎麦湯を味わって、豆知識を味わう…といくつものお楽しみの要素があります。
ぜひとも大いに人を楽しませる蕎麦打ちを目指しましょう。