北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

掛川市合併記念式典に思う

2005-08-06 23:28:15 | Weblog
 掛川市から合併記念式典への出席の案内が届いていたので、今日はそれに参加するために掛川へ向かいます。

 2ヶ月ぶりの掛川です。

 今日は、
■掛川市合併記念式典 の1本です。

【掛川市合併記念式典】
 朝8時のエアドゥで羽田へ、品川発10時半の新幹線で掛川へと向かう。羽田へ降り立つともうその瞬間に北海道とは異質の熱風が感じられるのだけれど、「これが内地なんだよな」とも思う。

 掛川では市役所の知人が迎えに来てくれていて、そのまま式典会場へと向かう。

 式典会場は生涯学習センターで、会場の受付の市職員はもちろん、会場でも区長さんや各種団体代表に顔見知りが多く、なんだか気恥ずかしい。

 それでも向こうから声を掛けてくださったり、いかにも私に話しかけたそうにしている皆さんの元気な姿を見られただけでもまあ来た甲斐があったというものだ。
 四ヶ月やそこらでまちが変わるわけもないか。

 
 式典の目玉は、司会に掛川在住で昨年度ミス日本グランプリを受賞した、久米里紗さんを抜擢。まだ話し方にたどたどしさが残るけれど、スタイルは抜群。がんばればまだまだ伸びる事でしょう。

 
 式典は、開会の辞、戸塚市長からの式辞のあとに表彰が行われ、新市の名誉市民第一号として榛村純一前市長に賞状の授与が行われた。

 続いて総務大臣代理として総務省から出席してくださった部長から旧一市二町の首長への功労賞が授与され、さらにその後は合併で失職をした市・町議会議員や合併協議会委員の面々を代表して山本前掛川市議会議長への賞状授与と続いた。

 受賞者を代表して榛村純一氏からの挨拶があった。挨拶の内容は、榛村氏の先生のさらに先生であった、早稲田大学名誉教授にして書家の会津八一先生を引き合いに出し、会津先生が名誉教授を最初受け取ろうとしなかったというエピソードに話を振った。

 「…どうしても素直に受け取ってくださらないので弟子たちが相談して、こいつなら、という弟子に白羽の矢を立てて会津先生を口説きに行かせたところ、先生がこう言ったそうです。『良いか、名誉教授には二種類ある。一つ目はもらう側があの大学からその称号を受ける自分にとって名誉である名誉教授と、与える大学の側にとって、あの先生にこの称号を差し上げられることが名誉だと思う名誉教授である。私はどちらか?』と。

 そこで件の弟子は『先生、それはもちろん後者です』と言って、やっと名誉教授を受け取ってくださる事になったわけです。私は今回名誉市民をいただくという事で、自分自身が名誉に思う立場ですが、まだお恥ずかしい限りで、なお一層尽くすべき事があるように思います」

 さらに、もう少しだけ時間をくださいと言って、「生涯学習をする五つの目的についてせっかくなので少しだけお話をさせてください」ときた。

 榛村さんの言う生涯学習の五つの目的とは、要約すると
 ①教育改革としての生涯学習であり、人生を学歴決算することを排し生涯学習人間関係で多様化・自立化すること。

 ②2つ目は、楽しむ・たしなむ生涯学習であり、自由時間を活用しての自己実現、多元的に豊かな生活をすること。

 ③3つ目は、勉強を求められる生涯学習で、国際化や技術革新が激しいため、ハイテク化・IT化・地球環境問題に対して社会に出てからも見識あるように継続教育するため。

 ④4つ目は、高齢化に対応する生涯学習で、伊達に年くわず、社会的コストをかけずに死ぬための節制である。

 ⑤5つ目は、まちづくりと同じ生涯学習であり、これからの地域と両親は尊敬されるに値する地域と両親になることが必要で、わがまちを立派にしつつ、わが人生を立派にするための人生舞台づくりとしての生涯学習である、というわけ。

 世間一般的には②だけが大きく捕らえられて、文科省的な世界に閉じこもりがちだが、実はそれ以外にも4つの目的や意義があるのである。これが掛川の生涯学習の真実というわけだ。

 ここまで挨拶で話すとなると時間もかかり最後は申し訳なさそうに言い訳をしていたけれど、どんな機会を通じてでも市民に生涯学習の意味を伝え、より良い市にしたい、という熱意が相変わらず感じられた。
 政治家が他のことは多少構わずに情熱家でなくてはならない、と思わせる一コマだった。

    *   *   *   * 

 式典終了後には、昔の仲間が集まってくれるというので夕方に今や市民活動のシンボルにもなりつつある明治の豪商のお宅であった竹の丸へ集合。  

 何人もの知人が集まってくれて、懐かしがってくれるのが嬉しかった。声を掛けてくれたスローライフNPOの皆さんにも感謝である。

    *   *   *   * 

 戸塚新市長さんは生涯学習というテーマにはあまり興味がないようで、生涯学習というブランドが惜しいような気もするが、逆に今まで榛村さん以外に生涯学習を理解し、租借し、さらにもっと発展させようと言う立場の人間が現れなかった事が残念でならない、と思う。

 私が残念な事は二つあって、一つ目は、彼の主張に込められた変わらない世の中の真理である不易(ふえき)の部分はそう変化しないのかも知れないけれど、それにしてもITや科学の進展や社会の変化などの要素を加えた「今日的生涯学習の理念」が榛村さん以外からは出てこなかった事。

 そして二つ目は、それにしても榛村さんの言い方は難しかったことで、だれかがそれを優しくかみ砕いてプレゼンテーションしていれば、より多くの市民に理解が深まっただろうに、という思いである。

 スローライフなどは、生涯学習の理念から咲いたきれいな花の一つだと思うけれど、彼独特のとつとつとした話し方や文章の書き方だけでなく、もっと多様な解釈やアプローチがあれば良かった。

 榛村さんは「とにかく発進すれば受け止めてもらえるはずだ」と思っていたフシがあって、私は「相手を見て相手にあった伝え方をすればもっと効果的なやり方があるはず」と思うほうだ。

 例えば、土に水をまくにしても、バケツでじゃっとまけばその多くの水は表面をただ流れてしまうが、同じ量の水でもジョウロで小さな水滴にしてゆっくりまいてやれば土に効率的に浸みて行く事に似てはいないだろうか。

 私の生涯学習感は「関係性の構築」という点に焦点を当てたが、榛村生涯学習理念への入門的考えとして楽しんでもらった上で、彼の本に当たれば理解がもっと深まるということだってあったのではなかろうか。 

 そういう意味で、生涯学習に違った角度から違った光を当てようとする後継者が出なかった事は榛村さんの最大の不幸の一つだったかも知れない。

 今からでも遅くないから、攻めの意味でよく使われる「まちづくり」という言葉と、それを受け入れる「統治されやすさ」という意味のガバナビリティとしての「市民一人一人の生涯学習」の両輪がうまく回った、幸せな25年間をもう一度かみしめて、自分たちの住んでいるまちの明日の幸せを考えて、そして行動をして欲しいと思う。

 
 名誉市民の賞状を受け取ったときに、会場の参加者に向けてそれを披露したときの榛村さんの胸に去来したものは何だったろうか。あの瞬間の彼の声なき声が何人に聞こえたことだろうか。


 僕の胸の中に「上を向いて歩こう」のメロディが流れた。

 
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